開手のサンチンに特徴
沖縄3大流派の1つである上地流の中にあって、県内500人を抱える「拳優会」を率いるのが新城清秀会長(しんじょう・きよひで 1951-)だ。祖父と父親が和歌山の紡績工場時代に流派創設者の上地完文(うえち・かんぶん 1877-1948)に師事し、以来、3代にわたり流派を形成した。父親の新城清優(しんじょう・せいゆう 1929-1981)が1955年、那覇市安里で最初の道場を開設し、60年に嘉手納ロータリーの中にあった前道場に移動する。そこで45年間、激しい稽古の時代が続いた。入門してくる駐留米兵を相手に稽古のたびに自由組手によるけが人が続出し、道場前に救急車が常駐する時代もあったという。
あの当時に比べて、だいぶおとなしくなっています。
現在の道場は再開発に伴う立ち退きで、2005年に嘉手納から移転した。読谷村ながら、立地は嘉手納町に近接する場所だ。
「拳優会本部道場」の一般部(大人)の稽古は月・水・金。8月の金曜夜、取材に訪れた。道場は海辺が近い一帯のやや高台の住宅地にある。
板張りの道場に入って最初に感じたのは、天井が高いことだった。稽古は午後7時から始まり、この日は黒帯を中心に10人の精鋭が顔をそろえた。うち外国人容貌の門弟が数人。女性も1人まじる。稽古は7時を少しすぎて始まった。
ハイ、整列。





