長嶺将真物語~沖縄空手の興亡 第11回 空手の琉球処分(上)

ジャーナリスト
柳原滋雄

2年前から始まった前史  1979年4月、八木明徳(1912-2003)は「全沖縄空手道連盟」の第7代会長に就任した。  沖縄空手の〝本流〟の組織として1956年に知花朝信(1885-1969)を中心に設立された「沖縄空 […]

長嶺将真物語~沖縄空手の興亡 第10回 『沖縄の空手道』を発刊

ジャーナリスト
柳原滋雄

父子一体で世界に羽ばたく  1969年1月、長嶺将真は最初の海外指導に出かけた。  すでに5年ほど前、第1号となる海外指導員をアメリカのニューヨークに送り出し、「沖縄松林流USA本部」の名称で組織化していた。以来、沖縄か […]

長嶺将真物語~沖縄空手の興亡 第9回 実業家としての挫折

ジャーナリスト
柳原滋雄

2度の経営失敗  1957年8月、長嶺将真はわずか8票差で瀬長亀次郎市長の信任を問う市議会選挙で敗れた。従来は長嶺票に数えられていた「ソシン」とだけ記載した票が10票ほどあって最後まで判定に悩んだというが、運悪くこのとき […]

長嶺将真物語~沖縄空手の興亡 第8回 那覇市議時代

ジャーナリスト
柳原滋雄

3足の草鞋  1952年、長嶺が20年にわたる警察人生に区切りをつけたとき、これから空手に専念するとの思いとともに、仕事では実業家の道を考えていたと思われる。  実際、翌年の元旦号の琉球新報には、沖縄第一倉庫が出した新年 […]

長嶺将真物語~沖縄空手の興亡 第7回 戦後の再出発

ジャーナリスト
柳原滋雄

最後の署内柔道大会  焼け野原となった那覇に戻ってきてからの長嶺の仕事は、みなと村の管理だった。当時、那覇港から陸揚げされる物資の荷揚げ作業を国場組が一手に仕切っており、警察内部で長嶺に担当させようという声が出たという。 […]