臨終をめぐる家族の物語——インド映画『ガンジスに還る』

フリーライター
藤澤 正

ボリウッドといえば「歌」や「踊り」?

 父親の臨終をめぐる家族の物語『ガンジスに還る』(英題:HOTEL SALVATION/2016年/インド)が、まもなく日本でも公開される。
「インド映画」と聞いて、何を思い浮かべるだろうか。「歌」や「踊り」が登場するお決まりの〝ボリウッド〟を連想する人も多いのではないか。

 インドの映画産業は実に盛んで、1年間の製作本数では米ハリウッドを優に上回っている。その映画製作の一大拠点が、国内最大の都市ムンバイである。
 アラビア海に面した西海岸に位置するムンバイは、1995年までは「ボンベイ」と呼ばれていた。この旧名称の頭文字である「ボ」と「ハリウッド」を掛け合わせたのが、インド・ムンバイの映画産業全般を指す「ボリウッド」という俗称なのだ。
 日本で最初にインド映画のブームが起きたのは、1998年のこと。『ムトゥ 踊るマハラジャ』が、東京・渋谷シネマライズで単館上映され、同年のミニシアター興行成績第1位を記録。その後、全国100カ所以上の劇場で公開され、動員は25万人を超えた。文字通り、歌って踊ってのインド映画である。
 おそらくここから、インド映画といえば「歌」や「踊り」といったイメージが、日本人のなかに醸成されていったのだろう。

ガンジスを舞台にした家族の物語

ganges02『ガンジスに還る』は、まさに多くの人が抱くであろうインド映画のイメージとは異なる作品だ。「歌」や「踊り」は登場しない、父親の臨終をめぐる温かな家族のドラマである。
 ある日、自らの死期が近いことを悟った父親は、バラナシに移り住み、聖なるガンジスで人生の終焉を迎えたいと家族に打ち明ける。
 ヒンズー教最大の聖地であるバラナシ。ガンジス川に面したこの街には、インド国内から、日々多くのヒンズー教徒が訪れる。
 ガンジスの水は魂を清め、人々を輪廻の苦しみから解き放つと信じられている。そのことから、川岸にあるガート(階段状の沐浴場)には、夜明けから沐浴をする人々が溢れかえっている。敬虔なヒンズー教徒にとっては、この地で最期を遂げられることが人生最大の喜びなのだ。
 川岸には火葬場もあり、故人の遺灰は聖なるガンジスに還される。同時にさほど離れていない川岸には、ヨガや歯磨き、洗濯をする人がいるなど、そこで生活をする人々の日常もある。ガンジスでは、死は生と同じ人生の〝一部〟なのだ。

 そんなバラナシには、死を待つ人々が暮らす「ムクティバワン」(解脱の家)という施設がある。ヒンズー教には「四住期」という人生の四つのステージが説かれており、最終段階である遊行期において解脱を目指すため、人々はここでやがて訪れる死の準備をする。
 本作でも、父親・ダヤはこのムクティバワンに移り住みたいと家族に告げる。ともに暮らす息子夫婦と孫娘は大反対するものの、父親の決意は揺るがない。最終的に、息子・ラジーヴが仕方なく仕事を休んで付き添うことになる。
 ムクティバワンでの生活でも、何かにつけて衝突する父親と息子。バラナシを訪れ、自宅に戻るように父親を説得する息子の妻と孫娘。雄大なガンジス河畔での生活は、果たしてダヤとその家族をどこへ導いていくのか——。

深い精神性を身近に描いた秀作

 輪廻からの解脱——。本作の重要な鍵となるこの言葉には、ヒンズー教の生命観が凝縮されている。生命は死によって終わるものではなく、生と死の輪廻を繰り返す。その生死の流転から抜け出し、永遠不滅の境地に辿り着きたい。こうしたインドの大いなる生命観が、この言葉の背景にはある。ganges03 しかし、画面はそのような難しい思想や哲学を、雄弁に語るわけではない。あえてカジュアルな視点で、時にコミカルに、〝死〟に直面する家族のそれぞれの〝生〟を、実に丁寧に描き出している。
 それを可能にしたのは、監督・脚本を務めたシュバシシュ・ブティアニの「若さ」と「国際感覚」が大きいように思う。
 ブティアニ監督は1991年、コルカタの生まれ。ニューヨークで映画製作を学び、反シーク暴動(84年)を題材にした短編映画『Kush』(2013年)でデビューした新進気鋭の若手監督だ。現在はムンバイを拠点に活動している(ブティアニ監督へのインタビューは本コラムで近日公開予定)。
 自国を離れてニューヨークで学び、この作品を製作した時点ではまだ25歳だった若き監督。そんな彼だからこそ、インドの深い精神性との距離感を絶妙に保ちつつ、国境を越えた私たちにも、その本質を感じ取らせる物語が描けたのではないだろうか。
 国連は、2024年には人口でインドが中国を抜き、世界第1位になるとの予測を発表している。経済の面でもインドの成長は著しく、今や中国とともにアジアのスーパーパワーとして、国際社会への影響力を高めつつある。

シュバシシュ・ブティアニ監督

シュバシシュ・ブティアニ監督

 そんな時代であるからこそ、私たちは、これまでの漠然としたイメージに囚われるのではなく、等身大のインドを見ていく必要があるのではないだろうか。インド映画だからといっても、必ず「歌」や「踊り」が出てくるわけではない。私たちが、「黒澤明」や「小津安二郎」の世界観ばかりを日本映画のすべてだと思っていないのと同じことだ。イメージは、あくまでイメージなのだ。

 本作は文化も宗教も異なるどこか遠くの物語でありながら、日本の私たちにとっても身近に感じられる映画となっている。観た人はみな、インドの深遠なる生命観に触れ、家族をはじめとした自らの周辺にある〝生死〟について、思いを巡らせることができるはずだ。ぜひ劇場に足を運んでもらいたい。

『ガンジスに還る』(英題:HOTEL SALVATION)


2018年10月27日(土)より岩波ホールほか全国順次公開!

また会う日まで――

インドの聖地「バラナシ」を舞台に、死期を悟った父と、それを見守る家族の旅路。

監督・脚本:シュバシシュ・ブティアニ
出演:アディル・フセイン、ラリット・ベヘル、ギータンジャリ・クルカルニ、パロミ・ゴーシュほか

2016年|インド|シネスコ|99分

配給・宣伝:ビターズ・エンド
協賛:インド政府観光局
協力:エア インディア
『ガンジスに還る』公式サイト
Facebook @ganges _movie

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