【コラム】「葬儀と坊さん」という発明――徳川幕府が骨抜きにした日本の仏教

ライター
青山樹人

〝民衆支配〟のための宗教政策

 最近は葬儀のかたちも少しずつ自由になりつつあるというが、それでも人が亡くなったら坊さんが来てお経をあげるというのは、日本社会で想定されているスタンダードな葬儀のスタイルだろう。
 日頃は「無宗教」を名乗っているような人でも、葬儀を僧侶にゆだねることには抵抗がない。そして、ほとんどの人は、それが仏教の教えに基づいたものであり、日本の古い伝統だと思い込んでいる。

 しかし、これは仏教の教えに基づいたものでもなければ、日本の古い伝統でもない。
 そもそも仏教と葬儀は何の関係もない。釈迦は自分の葬儀を出家の弟子にさせることさえ禁じている。
 庶民の葬送に僧侶が介在するというのは、17世紀に入ってから、徳川幕府が民衆支配のために作り出した〝政治の産物〟なのだ。

 徳川幕府が270年もの長期政権であり得たことは、その宗教政策が功を奏したことと無縁ではない。
 彼らは、初期の段階でキリスト教を日本から一掃して宗門改め(強制的な仏教への改宗)を実施し、ついで仏教界に布教を禁止(自讃毀他の禁止)し、人々に檀家制度を強要して、日本の仏教を今日に至る「葬式仏教」に作り替えた。

 なぜ幕府は統治するにあたってキリスト教を排除し、仏教を骨抜きにしたのか。
 それは、民間信仰や自然崇拝などと違って、本来こうした宗教は、世俗の権力や国家という枠組みさえ「相対化」してしまうからだ。

 地上の覇者となった者からすれば、人々が権力を恐れ、権力が君臨することを無条件に受け容れることが望ましい。
 ムラの内側でおとなしく秩序を守り、公儀への不満を口にせず、お上の示した方針を実現するために身を捧げていくような、身も心も従順な臣民であってもらいたい。

精神の自由を恐れる権力

 一方、成熟した宗教は、地上の王権が設定する権威や価値観とは別のところに、人生の目標や使命感、モラルを見出させていく。
 そういう宗教を持った人間は、身体的には王権の支配を避けられずとも、心の中、精神の内面では自由を獲得している。
 その自由な精神は、権力を絶対視せず、むしろ権力の横暴に対して常にプロテスト(抵抗)するパワーを持っている。〝権力の相対化〟とは、そういうことである。

 だからこそ、新たに君臨する権力が、民の上に絶対的であるためには、その地上の王権さえ相対化してしまうような眼を民衆に与える宗教を、容認するわけにはいかない。

 幕府は、キリスト教を禁教にするという名目を利用して、支配と監視の領域を人々の心の中にまで徹底した。
 人々は必ず特定の寺社に所属させられ(檀家制度)、死者が出ると、檀那寺の住職が死相を見届け、〝キリシタンでない〟ことを承認した証として、死骸の頭に剃刀を入れ、戒名を授け、引導を渡し、埋葬を許可することになった。
 これに逆らう者、年間の決められた折々に檀那寺に参詣し布施をしない者は、キリシタンの疑いありということで摘発の対象とされた。

 21世紀の今まであたりまえのように実行され、それが仏教本来の姿のように思い込まれている、「人の死に僧侶が来て戒名を授ける」という慣習。
 先祖からの大切なしきたりだと考えている人もいるだろうが、たぶん一番うんざりした思いでいるのは、時の権力者に心の中まで踏み込まれ、乱暴なルールを強制されてしまったご先祖様かもしれない。


あおやま・しげと●東京都在住。雑誌や新聞紙への寄稿を中心に、ライターとして活動中。著書に『宗教は誰のものか』(鳳書院)など。