書評『傷つきやすいアメリカの大学生たち』――アメリカ社会の教育問題とその原因を探る

ライター
小林芳雄

脆弱な存在を自認する学生たち

 大学における学問の自由・言論の自由にこれまで尽力してきた法律家と社会心理学を専門とする2人の著者が、アメリカ各地で起きている大学紛争の原因を分析し、解決の方途を探った一書である。
 ――授業で出された課題図書を読むことすら拒否する、政治的立場の異なる講演者に暴力をともなう激しい抗議を行う、教員の言葉尻をとらえて糾弾して激しいデモなどによって辞任にまで追い込む、学長や学部長を軟禁し罵詈雑言を浴びせ、自己批判と謝罪を迫る――。
 出来事を列挙すると、1960年代から70年代に起きた日本の学生運動や中国・文化大革命時代の紅衛兵を思い起こさせる。しかし、これらは全て近年のアメリカの大学で起きた事件である。しかも、紹介されている事例の大半は、世界最高の教育水準を誇るといわれた名門大学で起きたものだ。
 本書はこれらの現象の背後に、現在、アメリカの教育界を席巻している3つのエセ真理があることを指摘している。

1.脆弱性のエセ真理:困難な経験は人を弱くする。
2.感情的決めつけのエセ真理:常に自分の感情を信じよ。
3.味方か敵かのエセ真理:人生は善人と悪人の闘いである。(本書18ページ)

 抗議行動をする多くの学生たちは、「自分は脆弱な存在であり保護の必要性がある」という自己認識を抱いている。そのため「自分たちの安全が脅される可能性がある」「自分たちが不快な気持ちになる」「心理状態が不安をもたらす危険性がある」と感じさせる発言や意見に強い拒絶反応を示す。そこから自身と異なる思想や政治的立場の人に「悪人」とレッテルを貼り、ときには魔女狩りのような行為にさえ走る。
 彼らを過激な行動へと導いているものこそ、3つのエセ真理にほかならない。幅広い思想家や文化に学び、さまざまな視点から物事を分析し真実を追求するのが学問であるとするならば、こうしたもの考え方ほど遠いものはない。

社会問題が教育に強い影響をおよぼす

このようなエセ真理がはっきり教えられることはほぼない。むしろ、善かれと思って若者たちに課せられる規則、実践、基準を通して伝えられている。(本書17ページ)

 エセ真理がアメリカの教育界にはびこった原因は、社会そのものにある。それは大きく3点に分けることができる。
 1点目は、子どもを取り巻く教育環境の変化だ。現代のアメリカでは過度な受験競争が起きている。
 大学入試ではテストの成績だけでなく、スポーツやボランティアなどの課外活動も評価対象になる。多くの親たちは子供に成功してほしいと思い、平日だけではなく、休日も習い事をさせ、そのスケジュールを厳しく管理している。その代償として友達同士で自由に遊ぶ経験が奪われ、自発性や自主性、仲間同士の創意工夫でルールを決めるなどの能力が身につかずに成長する子供たちが増えてしまった。
 また社会的交流が減った影響からか、心理的不安を抱え自殺へと向かう10代の若者は増加の一途をたどっている。親の過度な保護と干渉が子どもを脆弱に育てる原因になっている。
 2点目は、経済至上主義の影響を受けた大学の企業化である。アメリカの大学では教員よりも職員の人数の方が多く雇用され、官僚化が進んでいる。また収益を増やすためには競合する他の大学よりも魅力的に映るように売り込まなければならない。
 また学生の満足度を上げることも重視される。そこから学生の安全確保に対して過剰なまでに気を配る風潮が生まれた。ようするに学生をお客様扱いするような大学が増えてしまっているのだ。
 3点目は、アメリカ社会の政治的分断が進んでいることだ。民主主義政治は本来、異なる信念の持ち主たちが幅広い立場から議論を交わし公共圏で合意形成を目指すものであった。しかし近年は右派と左派が激しく対立し、お互いを罵倒し合うような状況が続いている。合意形成し団結するのではなく、あろうことか共通の敵を作ることによって団結することが平然と行われるようになってしまった。
 子どもたちはこうした政治状況の影響を正面から受け、世の中を「善人と悪人」という二元論で見る傾向性が強くなってしまった。
 さらに、これらの問題のやっかいな点は、そのほとんどが子どもに対する思いやりから起きている点だ。善意で行っているからこそ、その欠陥に気づくのはむずかしい。

人間は本来、困難な状況を乗り越える力を持つ

 こうしたアメリカ教育界の現状は、日本と共通する点が多くみられる。例えば、学生の均質化や学力の低下や、未成年の自殺の急増、加熱する受験競争や過度な安全性への配慮などである。他人事では済まされない。
 しかし、社会と教育の負の連鎖という難しい問題を語る2人の著者の語り口は決して暗くはない。将来の大学教育に対して数多くの具体的な提案を行ない、むしろ明るい展望を示している。
 それは「人間はもともと脆弱な存在ではなく、困難に挑戦し乗り越えより強くなることができる力がある」という人間観を持っているからであろう。
 どんなに悲観的な現状でも、それを乗り越えることができるという強い楽観主義と、それを支える人間に対する強い信頼こそ、本書からもっとも学ぶべきことなのかもしれない。

『傷つきやすいアメリカの大学生たち』
(ジョナサン・ハイト、グレッグ・ルキアノフ著、西川由紀子訳/草思社/2022年12月5日刊)

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こばやし・よしお●1975年生まれ、東京都出身。機関紙作成、ポータルサイト等での勤務を経て、現在はライター。趣味はスポーツ観戦。