特集㉛ 広宣流布の新しい扉——創価学会が御本尊を制定

ライター
青山樹人

「信心の血脈」は創価学会に

 1991年の「破門通告」以来、日蓮正宗は創価学会員となる者への本尊授与を停止してきた。本尊が授与されなければ、学会の発展も阻止できると考えたのだろう。
 だが、93年10月、宗門から離脱した寺院の一つである栃木県の浄圓寺から申し出があった。浄圓寺が寺宝として所有する日寛書写の本尊があり、広宣流布のため、これを形木(原版)として、全世界の創価学会員に本尊を再び授与できるようにしてもらいたいというものだった。
 日寛(1665~1726年)は大石寺第26世の法主で、教学の再編に努め第9世日有とともに〝中興の祖〟とされてきた。草創期の学会も、日寛書写の御本尊を各家庭の御本尊として用いていた経緯がある。
 浄圓寺の申し出について学会は慎重に検討協議を重ねた。日蓮大聖人の願った広宣流布への道を日顕が阻止している以上、日蓮大聖人の精神のままに広宣流布に進む教団として、学会が本尊を授与する立場に立つことは正当性がある。この日寛書写の本尊を新たに創価学会が授与する本尊と制定した。
 あわてた日蓮正宗は、大石寺から下付されないものは「ニセ本尊」であるとか、「法主の開眼がなければ本尊として機能しない」とか、思いつくかぎりの非難を加えてきた。
 だが日達の時代から、本尊は東京・池袋の法道院で印刷され、そこから直接、全国の末寺に発送されていた。法主による開眼などあり得ない。曼荼羅本尊を開眼するような怪しげな教義は、そもそも日蓮大聖人の教えにはない。
 本尊をすべて大石寺で扱うようになったのは、日顕の時代に入ってからである。当然ながら、日顕が一体一体の本尊を開眼していたような事実などないことは、離脱した僧侶たちが証言している。
 そればかりか、日顕が本尊書写にあたっても、本来の書写室でおこなわず、居室である大奥の茶の間で落語を聴きながらステテコ姿で書写し、書きかけの本尊を床に並べたまま食事をしたり風呂に入ったりしていたことが、奥番(大奥の担当)をしていた僧侶によって明らかにされてしまった。
 日蓮大聖人は「信心の血脈無くんば法華経を持つとも無益なり」と明言されている。日蓮大聖人の精神のままに広宣流布に戦う〝信心の血脈〟は、事実に照らして創価学会にしかない。
 新たに日寛書写の本尊を用いるようになってすでに30年近く。創価学会は世界192カ国・地域で広宣流布が同時進行する時代を現出している。本尊に功力があるのかどうか、この「現証」にまさるものはないだろう。

法華経に記された「僭聖増上慢」

「法華経の行者」を迫害する者(仏法で言う僣聖増上慢)の姿について、法華経はじつにリアルな描写をしている。

 或は阿練若に 納衣にして空閑に在って
 自ら真の道を行ずと謂いて 人間を軽賤する者有らん
 利養に貪著するが故に 白衣の与に法を説いて
 世に恭敬する所と為ること 六通の羅漢の如くならん
 是の人は悪心を懐き 常に世俗の事を念い
 名を阿練若に仮って 好んで我れ等が過を出さん
 而も是の如き言を作さん 此の諸の比丘等は
 利養を貪らんが為めの故に 外道の論議を説く
 自ら此の経典を作って 世間の人を誑惑す
 名聞を求めんが為めの故に 分別して是の経を説くと
 常に大衆の中に在って 我れ等を毀らんと欲するが故に
 国王大臣 婆羅門居士
 及び余の比丘衆に向かって 誹謗して我が悪を説いて
 是れ邪見の人 外道の論議を説くと謂わん
 (中略)
 悪口して嚬蹙し 数数擯出せられ
 塔寺を遠離せん  (勧持品第十三)

――喧噪を離れた荘重な寺院の中に暮らし、自分では「真の道」を行じていると思いながら、実際には人間を卑しんで軽視する精神を持った宗教者がいる。
 このエセ出家は供養を目当てに在家のために法を説き、六神通を得た阿羅漢のように人々から尊敬されている。
 この者は常に内心には悪心を懐いていて、出家の身でありながら世俗の快楽のみを追求している。
 宗教的立場を隠れ蓑にし、法華経を実践する師弟に過失があるかのように責めてくる。
 しかも、この出家は、こういう批判をしてくるのである。
「この師弟は、金儲けのために邪な教えを説き、勝手な教義を創作して、世間の人々を惑わしている。名聞名利を求めるために、仏教を利用している」
この出家は、法華経を実践する師弟の社会的信用を失墜させるために、政治権力や知識層、その他の宗教者らに向かって、この師弟の〝悪〟をこのように語る。
「彼らは、邪見の人間であり、仏法に違背している」と。
 このように口を極めて師弟を罵ったうえ、複数回にわたって追放処分にし、寺院への参詣を禁止する――。

 日顕のやってきたことをつぶさに見てきた創価学会員たちは、日顕の行状がこの経文にあきれるほど符合していることをまざまざと実感したことだろう。
 信徒の供養で豪邸に暮らし、自分を本尊に等しい生き仏だと主張しながら、そこには民衆への一片の慈悲もない。
 学会員からの莫大な供養を懐にしたまま、次々に普請道楽をしては、今度は法華講から供養を収奪し、「現代の大聖人様」と仰がれ、信徒たちに伏せ拝(ふせはい)までさせている。
 出家の身で物欲と金欲に歯止めがきかず、一族だけで社会通念では理解できない散財を繰り返している。
 しかも日顕は、日蓮正宗法主という立場から池田SGI会長と創価学会員を批判し、仏法に違背しているとしてこれを切り捨ててきた。『文藝春秋』に学会批判の手記を載せ、東京都知事に学会の解散を迫り、1994年に「四月会」が誕生すると、これと歩調を合わせて創価学会が金儲けのための反社会的な教団であると繰り返し吹聴し、政治家にSGI会長の証人喚問をそそのかしてきた。
 日顕は96年11月18日にも、当時の文部大臣宛に学会の宗教法人解散を求める『意見書』を出している。
 かつてSGI会長を会長職から追放し、二度にわたって総講頭職から追放し、学会員の登山を禁止し、SGI会長と学会を破門・除名処分としたのだ。

最高裁から7度の断罪

 日達の急逝に乗じて、日顕に「法主」の座を盗み取られた日蓮正宗は、大恩ある創価学会を切り捨て、不世出の広宣流布の指導者である池田SGI会長を追放したことで、完全に邪教と化してしまった。
 先師・日達の業績をことごとく破壊し尽くしたばかりか、日蓮・日興以来の教義さえ捨てて、怪しげな法主絶対論を説く「日顕宗」に成り下がって久しい。その正邪は、歳月がすぎればすぎるほど歴然となっている。
 そして、日顕と宗門の不法行為は司法の場で厳しく断罪されてきた。日蓮正宗が最高裁から断罪された数は7回。日顕個人も2回にわたって最高裁から断罪されている。
 まず、日顕の行状を糾弾して宗門を離脱した僧侶に対して、寺院を明け渡すよう宗門側が起こしていた裁判で3件が相次いで敗訴確定。
 続いて、やはり宗門を離脱した池田託道住職に対してデマで中傷した事件で、デマを口にした日顕本人に30万円の賠償命令。
 学会が米国内のコンピューターに細工をしたなどという荒唐無稽なデマを発表した事件でも敗訴。日顕個人が宗門と連帯して400万円もの賠償金を支払う厳しい断罪を受けた。
 さらに、信徒から預かった遺骨を米袋などに入れて不法投棄していた事件でも大石寺に200万円の損害賠償命令。日顕の芸者遊びの実態を報じた創価新報を訴えていた裁判でも敗訴。逆に、日顕の常習的な遊蕩の事実が法廷で明らかにされる結果となった。

詳細を明かせない相承

 2005年12月、宗内外からの厳しい視線に耐えられなくなったのか、日顕はしがみついていた猊座からついに転落した。宗内には、あえて権力の座を手放したのは、息子の信彰に〝次の次〟を継がせたいからだろうという見方もある。
 しかし無惨なことに、日顕は自分が相承を受けていないために、次期法主への相承の詳細すら公表することができない。年の瀬の慌ただしさに紛れるようにコソコソと代を譲った。
〝ニセ法主〟からニセの法脈を受け継いだのは、早瀬義寛(日如)である。地元・池袋の歓楽街で「ブクロの寛ちゃん」と通称されていた。僧侶でありながら教学も苦手ならまともな筆文字も書けない。
 しかも、法主が代替わりをしても宗門は日顕が築いた〝負の遺産〟で苦しむ一方である。日顕は愚かにも見栄を張って、1988年に「富士学林大学科(法教院)」なるものをつくった。むろん、大学科などと称してみても、文部科学省の認可もない私塾に過ぎない。
 過去に日顕は、正規の大学を装う卒業証書を偽造して法教院の卒業生をインドの国立デリー大学大学院に留学させようと計って露見し、国際的な非難を浴びている。
 C作戦以降、住職として赴任する先のない坊主は数百人にのぼり、ただでさえ苦しい宗門の台所事情を圧迫している。それにもかかわらず、宗門では毎年20名前後の得度者を増やし続けてきた。ただただ得度者を採らなければ日顕の建てた法教院が無用の長物となるからという理由による。
 もう一つの〝負の遺産〟は、やはり見栄と思いつきで日顕がぶち挙げた「信徒倍増」計画である。2002年、日顕は衰亡する宗勢に焦ったのか、立正安国論上呈から750年目となる2010年までに信徒を倍増すると公言した。
 しかし法華講員の多くは、広宣流布など考えたこともなく、いわゆる葬式仏教として単に檀家となっているのであり、残りは創価学会への嫉妬だけでかろうじて活動しているようなもの。それらも含め信徒は高齢化する一方で、折伏はいっこうに進まない。なにより、檄を飛ばしている坊主らが、折伏などしたことがない。
 10期にわたって開催された06年の夏期講習会も、同じ信者が何度も参加するムリを重ねてみたが、目標ノルマの6割の参加者に留まった。
 文化庁の「宗教年鑑」によると、2006年の日蓮正宗寺院数は660。信徒数は393000人。これが2018年では寺院数が657に減っている。いくら信徒数で水増しの報告をしても、実際には信徒が激減しているため末寺が消えざるを得ない。
 名実ともに日本社会の〝柱〟の存在となり、世界に隆盛していく創価学会と、侘びしく衰退していく日蓮正宗のコントラスト。
 2019年9月、阿部日顕は世田谷区内で死去したが、世間の無関心はもちろん、もはや創価学会員さえ気にも留めなかった。

※この記事は『最新版 世界広布新時代への飛翔』(青山樹人著/鳳書院)をベースに加筆修正したものです。

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あおやま・しげと●著書に『宗教はだれのものか』(2002年/鳳書院)、『新装改訂版 宗教はだれのものか』(2006年/鳳書院)、『最新版 宗教はだれのものか 世界広布新時代への飛翔』(2015年/鳳書院)など。WEB第三文明にコラム執筆多数。