コラム」カテゴリーアーカイブ

沖縄伝統空手のいま~世界に飛翔したカラテの源流
第15回 日本初の流派・剛柔流(下)

ジャーナリスト
柳原滋雄

宮城長順の孫弟子たち

海外に30万人以上の弟子をもつ東恩納盛男さんは今も一人稽古を欠かさない

海外に30万人以上の弟子をもつ東恩納盛男さんは今も一人稽古を欠かさない

 現在の沖縄剛柔流を引っ張るのは、流祖である宮城長順の「孫弟子」に当たる世代である。比嘉世幸、八木明徳、宮里栄一らの直弟子たちになる。
 国際沖縄剛柔流空手道連盟の最高師範・東恩納盛男(ひがおんな・もりお 1938-)は、海外65ヵ国に30万人以上の弟子をもつ、沖縄剛柔流の顔ともいえる存在だ。 続きを読む

連載エッセー「本の楽園」 第54回 生きるための芸術

作家
村上政彦

自分でもどういう具合かよく分からないのだが、読んでいないのに気になる本がある。表題に惹かれているのはもちろんなのだけれど、それだけではない。何か、自分にとって大切なことが書かれているようにおもえるのだ。
匂いといってもいいのかも知れない。頭の片隅にあって、ときどきふと思い出して、そうだ、読まなければ、とおもう。あるときは数カ月、ときには何年も、そういう状態の続くことがある。
だったら、早く読めばいいのだが、貧乏暇なしで、ほかに読まなければいけない本もあり、書かなければいけない原稿もあり、会わなければいけない人もいて、なかなか手に取ることができない。 続きを読む

沖縄伝統空手のいま~世界に飛翔したカラテの源流
第14回 日本初の流派・剛柔流(上)

ジャーナリスト
柳原滋雄

那覇手の本流

 1930年(昭和5年)、日本の空手界で最初にできた流派が剛柔流である。
 剛柔流の誕生は、流祖の宮城長順(みやぎ・ちょうじゅん 1888-1953)の一番弟子であった新里仁安(しんざと・じんあん 1901-45)が他武道にまじって東京で空手演武を披露した際、流派名を聞かれて困ったことに端を発する。新里が沖縄に戻って師匠の宮城に報告すると、宮城は『武備誌』にある拳法八句の一節「法は剛柔を呑吐する」から選び取り、「剛柔流」と称したことが始まりだ。 続きを読む

アメリカ・ルネサンスの眩い光彩――書評『詩集 草の葉』

ライター
本房 歩

36歳のデビュー作

 ウォルト・ホイットマンは、およそ200年前の1819年、農夫ウォルター・ホイットマンの次男として、ニューヨーク州ロングアイランドに生まれた。
 じつは父親が自分と同じ名前を彼につけたので、正しくはウォルター・ホイットマン・ジュニアということになる。
 父親はまもなく大工に転身したものの一家の生活は苦しく、ウォルトも11歳から弁護士事務所の雑用係として働きはじめる。その後、見習いを経てニューヨークで植字工となるが、大火で職場の印刷所を失う。故郷に戻って小学校の教師をし、再びニューヨークに戻るとジャーナリストや印刷業などで身を立てていた。 続きを読む

連載エッセー「本の楽園」 第53回 ジュネ――生きるために書いた作家

作家
村上政彦

ジャン・ジュネの作品を手に取ったのは、おそらく中学生のころだった。実家の近くにある、町の小さな本屋の、狭く薄暗いフロアに置かれた本棚に並んでいたのだ。『泥棒日記』だったとおもう。ジュネの代表作である。
『泥棒日記』は、ひとりの作家が泥棒のことを書いた作品ではない。泥棒が、泥棒のことを書いた作品だ。中学生にきちんと読めたかというと、いま考えれば心許ない。ただ、ジュネがどういう作家であるかは感じ取ることができた。彼は、僕がそれまで読んできた作家とは、まったく違う作家だった。 続きを読む