コラム」カテゴリーアーカイブ

連載エッセー「本の楽園」 第83回 アートとしてのアナスイ

作家
村上政彦

 アナスイのコレクションを眺めていると、なぜか、創作の意欲を刺激される。あるとき、デパートですばらしいワンピースを見て、思わず「欲しい!」とおもった。僕には、女装癖はない。だから、純粋にアートの作品として、欲しいとおもったのだ。
 しかし、隣にいた妻は、私には似合わないわ、という。いや、君のためじゃなく、僕のために買うんだ。彼女の頭の上に、大きな「?」が浮かんでいた。だから、これは画を買うのと同じなんだ。僕は、作品として、このワンピースが欲しいんだ。
 妻は、値札を見て、無理、と一言いった。いや、画よりも安い。でも、画じゃないもの。これ、大きな額縁に入れて壁に飾って置いたら、仕事が捗る。妻は首を振りながら売り場を去った。 続きを読む

期待値の低い「野党合流」――急ぐ理由は政党交付金

ライター
松田 明

「亥年は鬼門」のジンクス

 12年に一度、統一地方選挙と参議院選挙が重なる「亥年」の2019年が、まもなく終わる。
 亥年の選挙が波乱含みで、とりわけ自民党にとって鬼門になると言われ出したのは1980年代後半だ。
 実際、1995年の参院選で自民党は得票率で新進党の後塵を拝し、2007年は当時の民主党に風が吹いて、第1次安倍内閣が退陣するきっかけともなった。
 その意味では、2019年も危うい1年だった。 続きを読む

連載エッセー「本の楽園」 第82回 僕はグレン・グールドになりたかった

作家
村上政彦

 小学生のころ、門のある大きな家が並ぶ住宅街を歩いていると、ピアノの音が聴こえてくることがあった。僕は、それを弾いている人を想像した。たぶん少女で、髪は長く、白いブラウスを着て、赤いスカートを身につけている。そして、なぜか、白いハイソックスを履いている。
 傍らには、美しい母親がいて、少女がピアノの練習を終わると、おやつを運んで来る。それは、どうしても、苺ショートと紅茶でなければならない。僕は、そんな生活とは無縁の、貧しい長屋暮らしだったので、よけいに妄想をたくましくした。
 あるとき、酒場へ出勤するため、化粧をしていた母に、ピアノを習わせてほしいと頼んだことがある。彼女はふんと鼻で笑って、貧乏人の子供がピアノ習うてどうするんや、と手を休めずに言った。 続きを読む

「周―池田」会見45周年(下)――池田会長が貫いた信義

ライター
青山樹人

そこに人間がいるからです

 池田会長が2度の訪中をおこなった1974年当時、中国はソ連と激しく対立していた。
 1950年代からイデオロギー対立を深めていた両国の関係は、69年に国境問題をめぐって大規模な軍事衝突に至る。双方の指導者は互いに公然と核攻撃に言及し、中国では北京などに核シェルターが建設された。
 72年に中国が米国のニクソン大統領を北京に迎え、日本とも国交正常化したことは、ソ連の国際的孤立をさらに深めていたのである。
 こうした状況下で、74年5月に初訪中した池田会長は、モスクワ大学の招聘を受けて9月8日にソ連を初訪問する。
 日中国交正常化提言と同じく、ここでも池田会長は恩師・戸田会長の原水爆禁止宣言の日を選んだのだった。 続きを読む

「周―池田」会見45周年(中)――日中国交正常化への貢献

ライター
青山樹人

真に尽力しているのは誰か

 入院中であった周恩来総理が医師団の反対を押しきってまで、池田大作・創価学会会長と会見したのはなぜか。
 中国を代表する歴史学者であり「史学大師」とまで称された章開沅・華中師範大学元学長は、

 中日友好を何よりも重視した周総理は、中日友好のために真に尽力している人は誰なのかを知っておられたのでしょう。だからこそ、重い病の身を押して、池田先生とお会いになられたのだと思います。(『人間勝利の春秋』第三文明社)

と述べている。
 1949年10月に中華人民共和国が建国された。だが、日中戦争で筆舌に尽くしがたい暴虐をはたらいた日本との関係は絶たれたままであった。 続きを読む