腕白少年として泊で生まれ育つ
琉球王国の海の玄関口であった泊(とまり)港。そこに隣接する泊村は、古くから首里城のある首里から四キロほど離れた首里氏族ともゆかりのある地域として、地域共同体の結束が強い場所として知られていた。戦前は風光明媚な地域として知られ、泊は「地域全体が家族みたいなもの」といわれていた。明治新政府による琉球処分によって、旧藩が崩壊し、仕事を失う士族階級とともに、泊でも多くが路頭に迷ったが、貧しくても、教育だけは失わなかった伝統がある。そんな土地柄に、長嶺将真(ながみね・しょうしん)は1907年7月に生を受けた。 続きを読む






