芥川賞を読む 第60回 『異類婚姻譚』本谷有希子

文筆家
水上修一

アイデンティティが希薄になる不気味さ

本谷有希子(もとや・ゆきこ)著/第154回芥川賞受賞作(2015年下半期)

象徴的な「蛇ボール」

 本谷有希子は、もともと舞台女優で、2000年には「劇団、本谷有希子」を設立し、自ら劇作・演出を手がけていた。その後、2006年には鶴屋南北戯曲賞を、2009年には岸田國士戯曲賞を受賞。さらに、2011年には野間文芸新人賞を、2013年には大江健三郎賞と三島由紀夫賞を受賞し、2015年に「異類婚姻譚」(いるいこんいんたん)で芥川賞を受賞した実力派である。
 異類婚姻譚は、言うまでもなく、人間と人間以外の存在、例えば、動物、神、妖怪、幽霊などとの結婚や恋愛を題材とした物語のことを指す。日本に限らず世界各地の民話や伝説、神話、文学作品に登場するわけだが、誰もが知っている日本の作品としては、鶴が人間の女性に姿を変えて男と結婚する「鶴の恩返し」や、男が亀を助けたことで竜宮城の乙姫(異界の存在)と過ごす「浦島太郎」などが有名だ。
 異類婚姻譚という説話類型名を作品名にしたことにより、読む前からこの作品がそうした物語であることを明言しているわけで、そのことによって、どこか奇妙な非現実的なストーリーを読み手がすんなりと受け入れる土壌を事前に作っている。 続きを読む

書評『推理式指導算術と創価教育』――戸田城聖の不朽のベストセラー

ライター
本房 歩

100万部超の人気を誇った学習参考書

 著者の鈴木将史氏は数学者であり、2022年から2025年まで創価大学の学長を務めた。現在は同大学顧問であり教授である。

 1930(昭和5)年6月に出版された『推理式指導算術』は、そこから11年間も版を重ね、累計100万部を超す異例のミリオンセラーとなった。
 最終版は1941(昭和16)年8月10日で、じつに「改版改訂126版」となっている。圧倒的な人気を博したことがわかる。
 この『推理式指導算術』は当時の中等学校(中学校・高等女学校・実業学校の総称)の受験をめざす小学生の自習のために書かれた書物だった。今でいう受験参考書である。
 21世紀の初めごろまでは、年配の学識者や財界人のなかにも、この本のおかげで数学が好きになってずいぶんと助けられたと語る人が珍しくなかったほどだ。 続きを読む

【9/15まで開催】山田淳子写真展「わたしの祖父母たち 北方領土・元島民の肖像」を紹介

ライター
小林芳雄

自らのルーツをたどる旅

 9月15日まで、東京・新宿で山田淳子写真展「わたしの祖父母たち 北方領土・元島民の肖像」が開催されている。この写真展は、北方領土で暮らした人びとの歴史を後世に遺そうと、元島民100人の姿を写真に収め写真集として発刊し、さらに写真展として開催したものだ。
 北方領土とは、北海道の東方に位置する歯舞群島、色丹島、国後島、択捉島の総称である。1945年、日本がポツダム宣言受諾以降、スターリン率いるソ連が一方的に編入した。当時、この地域には約17000人の日本人が居住していたが、1947年から1949年にかけてソ連により強制的に退去させられている。
 1991年4月、ソ連の民主化を進めたゴルバチョフの来日によって北方領土問題の存在が認められた。その後、ソ連の崩壊、民主化を経て、旅券やビザなしでの元島民の墓参事業や現島民との相互訪問などの交流が行われて来たが、新型コロナ感染症やロシアのウクライナ侵攻の影響もあって、現在、そうした交流事業は途絶えてしまっている。

 写真家・山田淳子さんは、祖父が北方領土歯舞群島の志発(しぼつ)島出身の元島民3世。2015年から写真家として活動し、本年9月に写真集『わたしの百人の祖父母たち』を上梓した。 続きを読む

『摩訶止観』入門

創価大学大学院教授・公益財団法人東洋哲学研究所副所長
菅野博史

第96回 正修止観章 56

[3]「2. 広く解す」 54

(9)十乗観法を明かす㊸

 ⑨助道対治(対治助開)(3)

 次に忍辱波羅蜜の説明の段では、「恨無く、怨無きこと、富楼那(ふるな)の罵られて、手を免るることを喜び、乃至、刃を被れば疾く滅することを喜びしが如くす」(第三文明選書『摩訶止観』(Ⅲ)、近刊、頁未定。以下同じ。大正46、92中18~19)と述べ、怨恨がないことは、富楼那が罵られても、手や石によって打たれることを免れることを喜び、ないし刃を受けても速やかに死ぬことを喜ぶようなものである。この富楼那に関する逸話は、『雑阿含経』巻第十三(大正2、89中22~下13)に出るものである。富楼那がしだいに厳しい迫害を受けたとしても、それにすべて忍耐する決意を示したものである。 続きを読む

書評『エモさと報道』――「新聞」をめぐる白熱の議論

ライター
本房 歩

「エモい記事」は必要なのか

 若者言葉である「エモい」は『広辞苑』にはまだ載っていないものの、2021年12月に改訂された『三省堂国語辞典』(第8版)には収録された。

【エモい】 (形)〔俗〕心がゆさぶられる感じだ。(略)〔由来〕ロックの一種エモ〔←エモーショナル ハードコア〕の曲調から、二〇一〇年代後半に一般に広まった。古語の「あはれなり」の意味に似ている。(『三省堂国語辞典』)

 さて、事の発端は2024年3月29日にさかのぼる。
 朝日新聞が運営するウェブサイト「Re:Ron」に、著者である西田亮介氏(社会学者/日本大学危機管理学部教授)の記事が掲載された。
 タイトルは〈その「エモい記事」いりますか――苦悩する新聞への苦言と変化への提言〉。これは、そのまま本書『エモさと報道』の第1章に収録されていて、ちなみに次のような書き出しで始まる。

 昨今、「ナラティブで、エモい記事」を新聞紙面でしばしば見かける。朝日新聞だけではない。他の全国紙も同様だ。具体的には、データや根拠を前面に出すことなく、なにかを明瞭に批判するでも、賛同するわけでもない。一意にかつ直ちに「読む意味」がはっきりしない。記者目線のエピソード重視、ナラティブ(物語)重視の記事のことである。夕刊や日曜版においては、一面などに掲載されることもある。(本書)

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