『摩訶止観』入門

創価大学大学院教授・公益財団法人東洋哲学研究所副所長
菅野博史

第101回 正修止観章 61

[3]「2. 広く解す」 59

(9)十乗観法を明かす㊽

 ⑩知次位(2)

 次に、円教の次位について説明する。『摩訶止観』の冒頭には、

 円教の次位の若(ごと)きは、菩薩境の中に於いて、応に広く分別すべし。但だ彼は証、今は修なるが故に、須(すべか)らく略して辨ずべし。四種三昧の修習の方便の若きは、通じて上に説けるが如し。唯だ法華懺(ほっけせん)のみ別して六時、五悔(ごげ)に約して、重ねて方便を作す。今、五悔に就いて、其の位の相を明かす。(第三文明選書『摩訶止観』(Ⅲ)、近刊、頁未定。以下同じ。大正46、98上10~14)

と述べている。 続きを読む

芥川賞を読む 第64回 『影裏』沼田真佑

文筆家
水上修一

崩壊の予感漂う、寄る辺のない孤独

沼田真佑(ぬまた・しんすけ)著/第157回芥川賞受賞作(2017年上半期)

唯一心を許した男の失踪

 受賞作「影裏」(えいり)の舞台は、岩手県。主人公の「わたし」が唯一心を許していたのは、日浅(ひあさ)という男。事あるごとに酒を酌み交わし、豊かな水流が美しい川辺で釣りに興じる2人。だが、些細な出来事をきっかけに疎遠になり、やがて日浅は失踪。その行方を追ううちに、「わたし」は日浅の〝もうひとつの顔〟を目の当たりにし、その光と影に向き合う。岩手の豊かな水と緑の中で描かれる世界は、薄暗いひんやりとした手触りが美しく、不気味でもある。
 柱となるのは、「わたし」と日浅の関わりなのだが、途中で「わたし」が過去に付き合ったゲイの恋人や、東日本大震災の話が出てくる。ただ、いずれも作品の中にひっそりと紛れ込ませるような描き方なので、それが決して作品の主題ではないことは分かる。それでも、それぞれの素材が、「影裏」というタイトルからイメージされる、人間の影の部分や裏の顔というものを浮き上がらせるのに効果的な役割を果たしている。それは、薄暗くひんやりとした情景描写と同じように、孤独で、不安げだ。
 普通、芥川賞の選評を丹念に読むと、何が評価され何が不評だったか、ある程度の輪郭が見えてくるのだが、「影裏」に対する選評にははっきりした対立軸が見えない。各選考委員がそれぞれの視点で高評価し、あるいは低評価をしている。それだけ複雑で多面的な作品と言えるのかもしれない。 続きを読む

連載「広布の未来図」を考える――第12回 「正義」と「寛容の対話」

ライター
青山樹人

「離脱」で見えてきた公明党の影響力

――前回(「第11回 アニメ・マンガ文化」2025年9月24日)から1カ月以上も空いてしまいましたが、その間、自民党の総裁選、公明党の連立離脱、自民党と日本維新の会の閣外協力による〝連立〟政権樹立、公明党の下野、高市早苗・自民党総裁による憲政史上初の女性総理の誕生など、永田町では大きなトピックが続きました。

青山樹人 しかも外交日程が重なって、早速10月27日にはアジア歴訪中のトランプ米国大統領が来日するなど、さまざまな局面で政治がショーアップされた1カ月だったように感じています。

 ともあれ、創価学会が支持・支援する公明党は、1999年10月から始まった自民党との連立に、ひとつの区切りをつける判断をしました。
 苦渋の決断ではあったと思いますが、自民党の「政治とカネ」を曖昧にしたままでは、連立は続けられないということだったと理解しています。
 四半世紀の協力関係が少なくとも政党間では終わるので、公明党の選挙戦略も抜本的に練り直しを余儀なくされますね。 続きを読む

【道場拝見】第15回 沖縄空手道拳法会拳武館(剛柔流)〈下〉

ジャーナリスト
柳原滋雄

「裏分解」の極意

 久場道場(沖縄市)では、日頃の稽古では自由組手を行わない。ただし「昇段審査」では組手を義務づけるという。沖縄の剛柔流や上地流の昇段審査ではさして珍しい光景ではないそうだ。

審査のときにいきなりやります。そこで見るのは、戦える心があるかどうか。いざというときに実際に動けるようにするためには、日頃の心構えが重要になります。今までのところ、(組手から)逃げた人はいません。(久場良男館長)

稽古の後半に2回行った型サイファ

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【道場拝見】第14回 沖縄空手道拳法会拳武館(剛柔流)〈上〉

ジャーナリスト
柳原滋雄

100%護身目的の稽古体系

 米軍倉庫跡を改築したという道場は自宅3階部分のプレハブ建て。拳武館(沖縄市)道場の入口には「沖縄剛柔流拳法」の大きな文字。マットを敷きつめた内部はかなり広く感じる。
 道場主の久場良男館長(くば・よしお 1946-)は60年を超す武歴(空手歴)をもつ。中学3年のとき剛柔流の渡口政吉(とぐち・せいきち 1917-1998)道場に通ったのが最初で、高校時代はもっぱら剣道に打ち込んだ。大学時代は名古屋で和道流空手に親しみ、卒業後帰沖して再び渡口に本格師事することになる。

基本に、ものすごくうるさい先生でした。

 空手の師である渡口について開口一番そう語った。剛柔流は東恩納寛量(ひがおんな・かんりょう 1853-1915)と、その直弟子であった宮城長順(みやぎ・ちょうじゅん 1888-1953)、比嘉世幸(ひが・せこう 1898-1966)の流れがメインとして残る。現在、沖縄にあるのは比嘉世幸系、宮城長順の弟子である八木明徳(やぎ・めいとく 1912-2003)系、同じく宮里栄一(みやざと・えいいち 1922-1999)系の主に3系統だ。 続きを読む