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沖縄伝統空手のいま~世界に飛翔したカラテの源流
第23回 沖縄県空手振興課長インタビュー(上)

ジャーナリスト
柳原滋雄

 沖縄県庁に空手に特化した専門課が設けられたのは2016年4月。沖縄の特色ある文化の中で、一つの武術に着目した課の設置には注目が集まった。例えば青森県庁にも、りんご果樹課というその土地でしか見出せない専門課が存在するが、そうした中にあって、文化力の発信をめざす沖縄県の取り組みはかなりユニークだ。「空手振興課」の初代課長として尽力してきた山川哲男課長(53)に、これまでの歩みと今後の展望を聞いた。 続きを読む

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沖縄伝統空手のいま~世界に飛翔したカラテの源流
第22回 競技分野の実績で抜きん出る劉衛流

ジャーナリスト
柳原滋雄

仲井間家に伝わった一子相伝の空手

 劉衛(りゅうえい)流という空手流派は、沖縄では多くの人に知られているが、日本本土では無名に近い存在かもしれない。ただ空手の世界大会(型部門)に出場する喜友名諒(きゆな・りょう 1990-)選手らの姿を見れば、多くの人はテレビ映像などで見たことがあると感じるだろう。 続きを読む

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沖縄伝統空手のいま~世界に飛翔したカラテの源流
第21回 しょうりん流⑤ 首里・泊手としての松林流

ジャーナリスト
柳原滋雄

戦後の沖縄空手界を牽引した長嶺将真

得意技の北谷屋良のクーサンクーを演武する長嶺将真

得意技の北谷屋良のクーサンクーを演武する長嶺将真

 戦後の沖縄空手界をけん引した中心人物、長嶺将真(ながみね・しょうしん 1907-1997)の開いた流派である。
 長嶺は那覇商業時代に胃病を患い、1年ほど病床に臥せったが、友人の勧めで空手を始めるとめきめき健康を回復し、そのまま空手に打ち込む人生となった。
 沖縄の武人には、幼少期に体が頑健でなかったため、空手によって丈夫になった逸話が多く残されている。糸洲安恒、船越義珍、喜屋武朝徳、知花朝信など、いずれも同様の体験が伝えられる。 続きを読む

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沖縄伝統空手のいま~世界に飛翔したカラテの源流
第20回 しょうりん流④ 喜屋武朝徳の系譜 少林流

ジャーナリスト
柳原滋雄

知花系統と並ぶ首里手の流れ

昭和戦前期の沖縄空手の指導者たち。前列左端が喜屋武朝徳(1937年)

昭和戦前期の沖縄空手の指導者たち。前列左端が喜屋武朝徳(1937年)

 松村宗棍(まつむら・そうこん 1809-99)に師事した喜屋武朝徳(きゃん・ちょうとく 1869-1945)の系譜を組む流派で、「少」ない林と書く。
 首里手の流れながら、同じ松村の弟子であった糸洲安恒(いとす・あんこう 1831-1915)から知花朝信(ちばな・ちょうしん 1885-1969)につづく「小林流」と、かなり色合いを異にする。パッサイやクーサンクーなど同じ型名称であっても、演武線などがかなり異なるためだ。 続きを読む

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沖縄伝統空手のいま~世界に飛翔したカラテの源流
第19回 しょうりん流③ 知花朝信の開いた小林流(下)

ジャーナリスト
柳原滋雄

知花の直弟子の流れ

 1969年、知花朝信(ちばな・ちょうしん 1885-1969)が他界した後、沖縄小林流空手道協会の2代目会長には宮平勝哉(みやひら・かつや 1918-2010)が就任した。戦前からの古い弟子で、満州の日本語学校で教員を務めたあと、戦後は那覇市役所に勤務した。
 20歳で宮平の弟子となった宮城驍(みやぎ・たけし 1935-)現会長は、宮平のことを「がっちりした体格で、柔道の有段者、沖縄相撲も強かった。人格者だった」と振り返る。 続きを読む