コラム」カテゴリーアーカイブ

【道場拝見】第15回 沖縄空手道拳法会拳武館(剛柔流)〈下〉

ジャーナリスト
柳原滋雄

「裏分解」の極意

 久場道場(沖縄市)では、日頃の稽古では自由組手を行わない。ただし「昇段審査」では組手を義務づけるという。沖縄の剛柔流や上地流の昇段審査ではさして珍しい光景ではないそうだ。

審査のときにいきなりやります。そこで見るのは、戦える心があるかどうか。いざというときに実際に動けるようにするためには、日頃の心構えが重要になります。今までのところ、(組手から)逃げた人はいません。(久場良男館長)

稽古の後半に2回行った型サイファ

続きを読む

【道場拝見】第14回 沖縄空手道拳法会拳武館(剛柔流)〈上〉

ジャーナリスト
柳原滋雄

100%護身目的の稽古体系

 米軍倉庫跡を改築したという道場は自宅3階部分のプレハブ建て。拳武館(沖縄市)道場の入口には「沖縄剛柔流拳法」の大きな文字。マットを敷きつめた内部はかなり広く感じる。
 道場主の久場良男館長(くば・よしお 1946-)は60年を超す武歴(空手歴)をもつ。中学3年のとき剛柔流の渡口政吉(とぐち・せいきち 1917-1998)道場に通ったのが最初で、高校時代はもっぱら剣道に打ち込んだ。大学時代は名古屋で和道流空手に親しみ、卒業後帰沖して再び渡口に本格師事することになる。

基本に、ものすごくうるさい先生でした。

 空手の師である渡口について開口一番そう語った。剛柔流は東恩納寛量(ひがおんな・かんりょう 1853-1915)と、その直弟子であった宮城長順(みやぎ・ちょうじゅん 1888-1953)、比嘉世幸(ひが・せこう 1898-1966)の流れがメインとして残る。現在、沖縄にあるのは比嘉世幸系、宮城長順の弟子である八木明徳(やぎ・めいとく 1912-2003)系、同じく宮里栄一(みやざと・えいいち 1922-1999)系の主に3系統だ。 続きを読む

九州創価学会「世界平和の第九」――31年前と同じ日、同じ会場で

ライター
青山樹人

「人類の宿命転換」への勝負の時

 本年(2025年)11月18日に、創価学会は創立95周年の佳節を迎える。

 池田大作先生(第3代会長)は生前、2020年8月の本部幹部会に贈ったメッセージで、「創立90周年(2020年)から100周年への10年は、一人一人が『人間革命』の勝利の実証をいやまして打ち立て、いかなる『大悪』も『大善』に転じて、いよいよ人類の『宿命転換』を、断固として成し遂げていくべき勝負の時であります」と、全世界の同志に呼びかけられた。

 2020年代の前半は、100年に一度という地球規模のパンデミックに始まり、国連安全保障理事会の常任理事国であるロシアによるウクライナへの侵攻、ハマスを中心とした過激派によるイスラエル奇襲に端を発する、イスラエルからのガザ地区への2年におよぶ徹底攻撃など災禍が続いた。
 ウクライナ侵攻では、核兵器の使用がにわかに現実味を帯びている。
 ガザ攻撃ではパレスチナ人の犠牲者が6万7千人を超えたと、ガザ保健省が発表した(2025年10月4日)。このうち約2万人は子ども、約1万人は女性である。

 学会創立95周年の節目は、池田先生が示された「人類の宿命転換」をかけた10年の〝折り返し点〟となる。
 先生が「いかなる『大悪』も『大善』に転じて」と叫ばれたこと。そして、その「人類の宿命転換」といっても、一切の基軸となるのは「一人一人が『人間革命』の勝利の実証」を打ち立てる点に尽きることを、あらためて肝に銘じたい。 続きを読む

『摩訶止観』入門

創価大学大学院教授・公益財団法人東洋哲学研究所副所長
菅野博史

第100回 正修止観章 60

[3]「2. 広く解す」 58

(9)十乗観法を明かす㊼

 ⑩知次位(1)

 今回は、十乗観法の第八、「知次位」(次位を知る)の段の説明である。「次位」は、修行の階位の意味である。修行の階位を知らないと、まだ悟っていないのに悟ったと思い込む増上慢に陥る危険性があるとされる。したがって、修行者に正しく階位を知らせる必要があるのである。 続きを読む

書評『ローマ教皇』――教皇の言葉を読み解き、その実像に迫る

ライター
小林芳雄

脱色された日本の報道

 ローマ教皇は、世界に14億人の信徒を擁する宗教・カトリックを代表する存在である。
 著者の山本芳久氏は、東京大学大学院の教授で、中世の哲学者・神学者トマス・アクィナス研究の第1人者であり、またアリストテレスやイスラム教、ユダヤ教などの研究でも知られる。
 本書『ローマ教皇 伝統と革新のダイナミズム』は、ベネティクト16世(在位2005年-2013年)、フランシスコ(在位2013年-2025年)、レオ14世(在位2025年-)といった現代のローマ教皇の宗教文書を読み解くことによって、これまで日本で知られていなかった実像に迫るものだ。

我が国のキリスト教の信徒は全人口の一%程度に過ぎないのであるから、キリスト教の根本精神とは何かというような観点が表に出てこないのはある意味当然のことかもしれないが、それでは教皇について的確に理解することはできない。(本書70~71ページ)

 2025年に行われた教皇選挙(コンクラーベ)は、同時期に映画『教皇選挙』が上映されたこともあり、日本でもこれまでにない関心を集めた。またローマ教皇の時局に対する発言がニュースでとりあげられることも少なくない。
 しかし、その発言の根に流れるカトリックの教義や伝統に目を向けられることはない。いわば「宗教的脱色」をされた形でしか報道されることはなかった。これでは教皇の発言の真意は理解されず、ミスリードがおきかねない。 続きを読む