コラム」カテゴリーアーカイブ

「創価教育の源流」を学ぶ

創価大学池田大作記念創価教育研究所 客員研究員
塩原將行

第3回 すべての女性に教育の機会を-大日本高等女学会を設立-

向学心のある女性に学ぶ機会を

 創価大学の大学院を卒業後、母校の職員になった私は、通信教育部で7年半勤務させていただきました。創立者池田大作先生は、開学当初から通信教育部の開設を強く希望されていました。また、通信教育部開学式のメッセージでは、牧口常三郎先生が通信教育の事業に従事されていたことに言及されていました。私にとって、これらのことが、本格的に牧口先生の研究へ取り組むきっかけになったのです。

 1900年(明治33年)、4年制の尋常小学校が義務教育になり、授業料が原則無償となったことから、1905年(明治38年)には、小学校の就学率は男女あわせて95.6%(女子は93.3%)に上昇しました。しかしながら、中等学校への進学率は男女あわせて4.3%(女子は1.7%)にすぎず、向学心があっても学校で学ぶことができる女性はごくわずかでした。同年の高等女学校の数は、私立を含めても100校にすぎず、通える場所にはない地域も多かったのです。 続きを読む

与野党の新たな結集軸へ――「政策5本柱」示した公明党

ライター
松田 明

来秋までに「中道改革ビジョン」を策定

 公明党は11月29日に開催された「全国県代表協議会」で、「政策5本柱」を打ち出し、「中道改革勢力の軸」として出発することを約し合った。

 公明党は29日、各都道府県本部の幹部を集めた「全国県代表協議会」を党本部で開いた。連立政権離脱後の党の理念や政策の5本柱を示し、1人当たり国内総生産(GDP)の倍増などを掲げた。来秋の党大会までに「中道改革ビジョン」を策定する方針も表明。斉藤鉄夫代表は「中道改革の旗を高く掲げ、与野党の結集軸として新たな地平を力強く切り開く」と意気込んだ。(『毎日新聞』11月30日

 周知のとおり、公明党は10月10日をもって足掛け26年に及んだ自民党との連立に「区切り」をつけ、石破内閣の総辞職と同時に〝野党〟の立場になった。
 自民党は日本維新の会との閣外協力による〝連立〟(国際的にも政治学の世界では閣内協力しない政党間による政権を「連立」とは呼ばないが、自維政権は合意文書で「連立」と呼称している)を組み、高市政権の樹立にこぎつけた。 続きを読む

書評『創学研究Ⅲ』――世界平和の実現と人類救済の思想

ライター
本房 歩

多角的な視点からの「世界宗教論」

 このほど創学研究所(松岡幹夫所長)から『創学研究Ⅲ――世界宗教論』(第三文明社)が刊行された。
 既刊の「Ⅰ」は「信仰学とは何か」。「Ⅱ」は「日蓮大聖人論」。それに対して今回の刊は、同研究所の創立5周年を記念したシンポジウム(2024年)の成果をまとめるかたちで「世界宗教論」となっている。

 ここでは目次に沿って内容を概括したい。
 第1章は、創価学会の牧口常三郎初代会長と戸田城聖第2代会長の世界宗教観について考察したもの。歴史学や宗教学では「世界宗教」という言葉の淵源は、ローカルな宗教に対するキリスト教を意味するものであった。
 その後、1920年代から30年代に、民族宗教の対義語として用いられるようになり、キリスト教のほかに。仏教、イスラム教、場合によってはユダヤ教、儒教、ヒンドゥー教なども含意するようになった。
「世界宗教」には普遍的宗教と覇権的宗教の両義性がある。創価学会の場合、牧口会長が提唱した「人道的競争」、戸田会長が提唱した「地球民族主義」の理念から、覇権主義やイデオロギー対立を排することが可能だと論じている点が興味深い。 続きを読む

高市首相に「助け舟」を出した公明党―2つの「質問主意書」の意味

ライター
松田 明

【本コラムの概要】
①歴代政権はあえて「存立危機事態」の具体的事例を曖昧にしてきた
②官僚とのすり合わせを欠いた高市首相のアドリブ答弁
③首相見解と政府統一見解にズレが生じた危うさ
④首相の名で首相の発言を正式に〝修正〟させた公明党の知恵
⑤斉藤代表「高市首相への協力を惜しまない」
⑥沖縄返還時に「非核三原則」をつくらせたのは公明党
⑦「非核三原則」堅持を明言しない高市内閣の答弁書
⑧党首討論で、あえて首相に釘を刺した斉藤代表
⑨高市首相が尊敬する安倍元首相にはバランス感覚があった
⑩初の女性首相として慎重に政権運営をしてほしい

  
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『摩訶止観』入門

創価大学大学院教授・公益財団法人東洋哲学研究所副所長
菅野博史

第103回 正修止観章 63

[3]「2. 広く解す」 61

(9)十乗観法を明かす㊿

 ⑫無法愛

 今回は、十乗観法の第十、「無法愛」(法に対する愛著をなくすこと)の段の説明である。
 この段の冒頭には、「第十に無法愛とは、上の九事を行じて、内外の障を過ぐれば、応に真に入ることを得べけれども、入らざる者は、法愛の住著を以て、前(すす)むことを得ざるなり」(第三文明選書『摩訶止観』(Ⅲ)、近刊、頁未定。大正46、99下14~16)とある。つまり、これまで説明してきた十乗観法のなかの前の九つの事柄を行じて、内外の妨げを通過すれば、真に入ることができるはずであるが、真に入らない者は、法愛という執著によって進むことができないことを指摘している。
 次に、四善根(煖・頂・忍・世第一法)の第二の頂から悪道に落ちることを「頂堕(ちょうだ)」という。蔵教・通教・別教・円教の頂堕について述べているが、説明を省略する。 続きを読む