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連載エッセー「本の楽園」 第162回 小説は人物が九割

作家
村上政彦

 近年は、きちんと小説の読めるプロが少なくなった。大手出版社の編集者だからといって、読めるとは限らない。ここでいう「読める」は、もちろん文字が読めることではなく、小説をしっかり評価できるということだ。
 でも、まったく、読める人がいないわけではない。僕の周りには何人か信頼のできる読み手がいる。ときには、そういう人たちに生原稿を読んでもらって、意見を聴くこともある。僕の知っているプロの作家は、たいていそうやって作品の水準を上げてゆく。
 信頼できる読み手のひとりが、批評家のKさんだ。この人とは知り合いの編集者を介して、30年ほど前に出会った。それから、僕の小説の良き読み手であり、知恵袋ともなってくれている。
 そのKさんが、一昨年の収穫ベスト3のうち、1位に挙げていたのが、『優しい猫』である(ちなみに鳥影社から出た僕の『αとω』は3位)。これは読まないといけないと思いつつ、あっという間に2年が経ってしまった。 続きを読む

連載エッセー「本の楽園」 第161回 真のレジェンド

作家
村上政彦

 新聞やTVなどのメディアでは、レジェンドという言葉をよく見かける。けれど、本物のレジェンドは少ない。賑やかしの好きなマス・メディア特有の誇張だ。ただ、『遺言 対談と往復書簡』に登場する2人は、真のレジェンドである。
 志村ふくみは民藝の流れをくむ染織家、石牟礼道子は世界文学『苦海浄土』を著した小説家、詩人。この2人をレジェンドと呼ばずして、誰をレジェンドというか。
 往復書簡の企画は、志村が、長くつきあいのある編集者に、いまいちばん話したいのは石牟礼道子さんといったことから始まり、病にある石牟礼を気遣って、志村が熊本まで出向いて対談を行った。
 この間、石牟礼は新作能を構想していて、その衣装の染付を志村に依頼し、2人のあいだでは、能の脚本をめぐるやりとりも始まった。往復書簡は2013年の3月11日に始まり、2013年の5月30日まで続く。対談は2度。内容は、色と言葉についての含蓄ある思考に満ちているが、新作能の創作ノートの趣きもある。
 僕が意外だったのは、対談で明らかになった石牟礼の水俣での立ち位置だ。『苦海浄土』は、水俣病を告発すると同時に、患者たちの、悲しく、美しい、生をとらえて、いのちの深部に達した文学となっている。
 それが地元では、あまりよく思われていなかったらしい。 続きを読む

連載エッセー「本の楽園」 第160回 生涯の一冊と出会うには

作家
村上政彦

 僕は本が好きだ。小説や詩、評伝やノンフィクション――どのジャンルの本も、本であるなら手にとる。なかでも、最近になって気がついたのだけれど、本について書かれた本が好きらしい。
 僕の蔵書は(厳密に数えたことはないが)、ざっと3000~4000冊ぐらいだろう。これでもかなり整理してきた。そのなかに、本について書かれた本が眼につく。書評集、お勧め本のエッセイ集、読書についての本などなど。
 いちばん近くは、若松英輔の『読書の力』を読んだ。

 すべて良書を読むことは、著者である過去の世紀の一流の人々と親しく語り合うようなもので、しかもその会話は、かれらの思想の最上のものだけを見せてくれる、入念な準備のなされたものだ。(デカルト『方法序説』谷川多佳子訳、岩波文庫)

 僕は大学で小説の書き方を教えているのだが、そのとき学生に言うのは、書くためには、まず、読まねばならない、そして、読書は著者(他者)との対話であるということだ。僕らは読書によって、デカルトの言うように「一流の人々」と対話ができる。それが書くための準備になる。 続きを読む

連載エッセー「本の楽園」 第159回 集中!

作家
村上政彦

 僕の朝の日課は、まず、家族と朝食をとることから始まる。それから犬の散歩。家のすぐ近くを流れる大きな川の土手を歩くので、朝日を浴びることができて気持ちがいい。9時半から昼までは小説の執筆と決めている。ところが――
 ところがである。この日課がたびたび乱れる。多くはパソコンやスマホのメールのチェック、デジタルで購読している新聞2紙の閲覧。メールのチェックは、手っ取り早くすませることができるが、ときとして熟考を要するものもある。
 新聞はざっと見出しだけ見るつもりが、気になる記事があると印刷してスクラップブックに入れるので、けっこう時間がかかる。はっと気がつくと、昼近くになっていることが少なくない。
 これではいけない。僕は小説家なのだから、小説を書く時間をおろそかにしてはいけない、と思いつつ、つい、やらかしてしまう。そんなとき眼についたのが、『24 TWENTY FOUR 今日1日に集中する力』である。
 タイトル買いしてしまった。集中したいから。なかなか集中できないから。ページを開くと、冒頭に、「24時間をもっとも有効に使う方法は世界中の叡智により、すでに明らかになっています」とある。なに、なに? 教えて! 続きを読む

連載エッセー「本の楽園」 第158回 月や、あらん

作家
村上政彦

 僕は、某大学で文芸創作の授業を担当している。毎年、100人近くの学生たちといっしょに小説の書き方を学んで、彼らの書いた作品を読む。そのなかで、必ず、この若者はいい小説家になるとおもう原石が見つかる。
 今年は不作だとおもう年は、ない。いつの年も原石は見つかる。これまでに3人の学生がプロデビューを果たした。いまも楽しみな教え子が何人かいる。そのうちのひとり、沖縄の教え子は、写真の腕もいい。
 僕は若いころに写真を組み込んだ小説を創作したが、早すぎたのか、まったく世人の眼に止まらなかった。数年前、やっと某批評家が運営するウェブマガジンで写真入りの小説を発表できた(もっともそれも反応はひっそりしたものだったが)。
 いや、語りたいのは、沖縄の教え子の小説だ。言葉選びのセンスがいい。言葉の運びもいい。人物はリアルだ。なにより、それまでの沖縄出身の小説家たちが書いてきた沖縄とは違う沖縄を書く。そのことに、僕は沖縄文学にも新しい波が生まれつつあるとうれしくなった。 続きを読む