連載エッセー「本の楽園」 第175回 編集の提案

作家
村上政彦

 僕の本業は小説を書くことだ。一般に小説家とは孤独な仕事だとおもわれているらしい。確かに書くときには独りである。口述筆記というやり方もあるけれど、僕はパソコンのワードプロセッサー機能を使っているので、速記者や記録係はいない。
 ただ、実は、編集者という存在がある。彼らは僕の書いたものを読んで、意見を述べ、ときにアイデアを出し、最終的に作品の評価をする。編集者が納得しないと活字にならないのだ。
 つまり、書くときは独りだけれど、僕ら小説家は編集者の眼を感じ、ふと一緒に書いているような錯覚になることもある。編集者は伴走者なのだ。いい編集者はそれを意識していて、こちらが必要なときに相談に乗ってくれたり、思いもかけないときに連絡をくれたりする。
 業界で有名な編集者の言葉に、「編集者は語らず。ただ書かせるのみ」というのがある。彼らは黒子であって、表には出ない。少なくとも僕がデビューしたころの編集者はそうだった。
 ところが最近、編集者が表に出てくることがある。自分の編集哲学を語ったり、それを本にしたり。これは世の中が「編集」という技を求めているからではないかとおもう。
 では、「編集」という技の本質はなんだろうか?

編集という行為そのものはね、映画の編集があるでしょう、あれなんですよ。すでに撮り終えた山ほどあるフィルムから、必要なものをえらんで、それを的確につなぎ合わせて、新しい面白さ、新しい深さ、つまり新しい価値を生み出す。すでにあるものからえらんで、つなげる――映画にかぎらず、それが編集という行為なんじゃないかな

 この編集論を語るのは、伝説の編集者・津野海太郎だ。『編集の提案』という本の奥付を見ると、こうある。

1938年、福岡県生まれ。評論家・元編集者。早稲田大学文学部を卒業後、演劇と出版の両分野で活躍。劇団「黒テント」演出、晶文社取締役、「季刊・本とコンピュータ」総合編集長、和光大学教授・図書館長などを歴任する

 僕の好きな作家・植草甚一を発見したのも、高橋悠治たちと小さな新聞『水牛』(のちに『水牛通信』)をつくったのも、このひとだ。僕の本棚には、『植草甚一スクラップブック』も、『水牛通信』の本(古書で8000円!)もある。
 津野海太郎という人物を知ったのは、それほど古いことではない。僕が面白いとおもう本の少なくないものを彼が編集していて、自然と名前が記憶に残った。今回とりあげている『編集の提案』は、彼が1970年代後半から1990年代のなかばにかけて書いた文章を収めている。
 ものによっては半世紀も昔の古い文章がある。しかし内容は決して古びていない。それどころか、「テープ起こしの宇宙」「座談会は笑う」「初歩のインタビュー術」「雑誌はつくるほうがいい」など、いまも実用できる知恵や技、物の見方・考え方がひそんでいる。
 現在、僕らの身の回りには「すでに撮り終えた山ほどあるフィルム」がある。しかしそこから面白いものを、えらんで、面白く、つなげるセンスのある編集者は、どれだけいるだろうか。
 僕の知るかぎりでは心もとない。津野海太郎ほどの編集者は、そうそういないのだ。略歴に「元・編集者」とあるのが惜しくて仕方ない。
 本書でいちばん興味を惹かれたのは、「子ども百科のつくりかた」だ。

私の考える子ども百科は二つの目標をもつことになった。その一つは、子どもたちに彼らが知るべきことを、子どもむきにうすめられたものとしてではなく知らせること

もう一つは、子どもたち自身がそれらの知識をかれらの頭と手によって組織していく、そのことを可能にするような簡単にはせっぱつまらない基盤を準備すること

 このどちらをも可能にするためには、

むずかしい概念やイメージをつかって、世界と人間についての、古い、それゆえにわかりやすい考えかたをくつがえそうとしてきた人間たちが、こんどは、単純で基本的なことばによってしか突破できない課題を、自分のしごとの中心部につくりださなくてはならない

 それは、子供のためと言いながら、実は大人のためでもある。

もはや子どもの力なしには、私たちが単純で基本的なことばにたどりつくことはできないのではあるまいか

 津野は、イタリアで出版された子供百科『私と他人たち』を例にあげる。その編集方針――

たしかめられた知識は、世界を変える可能性をわれわれにあたえる。世界を変えるためには、世界を知らなければならない。『私と他人たち』はなにひとつ隠さないという立場をえらんだ。おとなむけの本も子どもむけの本も、ひとしく真実を語る必要がある

 この子ども百科の第一巻は、家族、学校、労働、国家、犯行、労働運動、革命の大項目に分けられ、「学校――拷問」「人類学はなんの役にたつのか」「台所のしごと」といった小項目があり、「性交の絵とき」も「射殺されたゲバラの写真」もあるという。
 僕は、子供のころ、百科事典をよく読んだ。新しい知識を得ると、自分の背が少し高くなったような気がしたものだ。できれば、そのころに津野海太郎のつくった「子ども百科」を読んでみたかった。

おすすめの本:
『編集の提案』(津野海太郎・著、宮田文久・編、川谷光平・写真/株式会社黒鳥社)


むらかみ・まさひこ●作家。業界紙記者、学習塾経営などを経て、1987年、「純愛」で福武書店(現ベネッセ)主催・海燕新人文学賞を受賞し、作家生活に入る。日本文芸家協会会員。日本ペンクラブ会員。「ドライヴしない?」で1990年下半期、「ナイスボール」で1991年上半期、「青空」で同年下半期、「量子のベルカント」で1992年上半期、「分界線」で1993年上半期と、5回芥川賞候補となる。他の作品に、『台湾聖母』(コールサック社)、『トキオ・ウイルス』(ハルキ文庫)、『「君が代少年」を探して――台湾人と日本語教育』(平凡社新書)、『ハンスの林檎』(潮出版社)、コミック脚本『笑顔の挑戦』『愛が聴こえる』(第三文明社)など。