首里士族の伝統武術として受け継がれる
首里城裏手の小高い丘の上にある崎山公園。那覇市から港にかけて一望できるこの公園の一角に2018年7月、首里手(しゅりて)の先駆者たちの名前をしたためた顕彰碑が設置された。
表には「空手古武術首里手発祥の地」と金彫りされ、10人の空手家の名前が刻まれている。生まれの早い順に並べると次のようになる。 続きを読む
首里城裏手の小高い丘の上にある崎山公園。那覇市から港にかけて一望できるこの公園の一角に2018年7月、首里手(しゅりて)の先駆者たちの名前をしたためた顕彰碑が設置された。
表には「空手古武術首里手発祥の地」と金彫りされ、10人の空手家の名前が刻まれている。生まれの早い順に並べると次のようになる。 続きを読む
沖縄県の翁長雄志知事(2018年8月8日に逝去)が大会実行委員長をつとめた「第1回沖縄空手国際大会」が、今年(2018年)8月2日から5日までの4日間、那覇市と豊見城市で開催された。
沖縄空手の伝統型の演武を競技対象とするもので、海外から560人以上の選手を迎え、日本国内650人(うち沖縄県内が470人)と合わせて1200人を超える過去最大規模の大会となった。
「第1回」と銘打たれているものの、過去にも似たような大会は県の主催で何度か開催されている。今回は県に加え、県内主要空手4団体を束ねる「沖縄伝統空手道振興会」が名を連ね、さらに特筆すべきことは、流派別に分かれて開催されたことだ。 続きを読む

海外に30万人以上の弟子をもつ東恩納盛男さんは今も一人稽古を欠かさない
1930年(昭和5年)、日本の空手界で最初にできた流派が剛柔流である。
剛柔流の誕生は、流祖の宮城長順(みやぎ・ちょうじゅん 1888-1953)の一番弟子であった新里仁安(しんざと・じんあん 1901-45)が他武道にまじって東京で空手演武を披露した際、流派名を聞かれて困ったことに端を発する。新里が沖縄に戻って師匠の宮城に報告すると、宮城は『武備誌』にある拳法八句の一節「法は剛柔を呑吐する」から選び取り、「剛柔流」と称したことが始まりだ。 続きを読む
戦後なぜ上地流は世界に広まったのか。沖縄に駐留していた米兵が母国に帰国し、そこから世界中に広まったと説明するのは高良信徳(前出)だ。
特にベトナム戦争時代、発進基地となった沖縄では、米兵が戦場から帰ってくると、暇をもてあましてできるだけ体を鍛えようとする風潮があり、空手道場に通ってきたという。米軍の部隊が各流派と契約して彼らに教えていた時代もあったという。 続きを読む