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沖縄伝統空手のいま~世界に飛翔したカラテの源流
第12回 沖縄独自の流派・上地流(中)

ジャーナリスト
柳原滋雄

2代で築いた流派の基礎

戦後まもなく亡くなった上地完文翁(左写真)と、二代目宗家の上地完英(右写真、66歳のころ)

戦後まもなく亡くなった上地完文翁(写真左)と、二代目宗家の上地完英(写真右、66歳のころ)

 上地完文がこの世を去ったのは1948年。栄養失調のため、享年71だった。
 このとき最期の地・伊江島から名護市の実家まで亡骸を小舟に乗せて運んだ一人が、新城清秀(しんじょう・きよひで 1951-)の祖父・新城清良(しんじょう・せいりょう 1908-1976)である。
 清良は和歌山の紡績工場時代に完文に師事し、またその子・清優 (しんゆう 清秀の父 1929-)も、10歳で上地流空手に入門。戦後完文が帰郷するのに同行した。清秀自身も10歳で空手を始めた、いわば3代つづく空手一家だ。 続きを読む

沖縄伝統空手のいま~世界に飛翔したカラテの源流
第11回 沖縄独自の流派・上地流(上)

ジャーナリスト
柳原滋雄

 上地流は、沖縄3大流派(しょうりん流・剛柔流・上地流)の一角を占め、独特の存在感を持つ。3流派の中では比較的歴史が新しいが、戦後は米国を起点に世界へと広がった。
 歴史的にみても、小林流や剛柔流が日本本土に伝播し、現在の4大流派(松濤館・剛柔流・糸東流・和道流)の基礎を構成したのと比べると対照的な立ち位置だ。一例として、本土空手の主力組織といえる全日本空手道連盟において、上地流の型は指定型(空手の型試合で演武するときの対象型)に一切含まれていない。
 その意味でも、上地流は沖縄独自の流派といえる。 続きを読む

沖縄伝統空手のいま~世界に飛翔したカラテの源流
第10回 戦後沖縄空手界を支えた重鎮たち

ジャーナリスト
柳原滋雄

戦後沖縄空手界を支えた4人の巨星

 文献資料の乏しい空手の歴史にありながら、19世紀以降、著名な武人が集中して出生した時期がいくつか見受けられる。
 例えば、松村宗棍(1809年生まれ)、照屋規箴(同)、多和田真睦(1814年生まれ)を仮に第1グループと位置づければ、第2グループとして、親泊興寛(1827年生まれ)、安里安恒(1828年生まれ)、松茂良興作(1829年生まれ)、糸洲安恒(1831年生まれ)の一群が挙げられる。いずれも沖縄空手の草創期に名を連ねた武人にほかならない。 続きを読む

沖縄伝統空手のいま~世界に飛翔したカラテの源流
第9回 空手の淵源と流派

ジャーナリスト
柳原滋雄

福建省から伝わった武術

 かつての琉球王国および明治期以降の沖縄で生まれ育った武人は、名を残した著名な者から、無名のまま歴史のはざまに埋もれていった者まであまた存在すると思われる。
 空手の歴史研究は文献が極めて限られているため、学術的にはいまだ混沌とした分野に思える。それでも近年、さまざまな調査研究により、おぼろげな輪郭は浮かび上がってきた。 続きを読む

沖縄伝統空手のいま~世界に飛翔したカラテの源流
第8回 空手の種類 競技・武術・健康

ジャーナリスト
柳原滋雄

もともとの空手にルールはない

 日本の南端に位置する沖縄 から世界に広がった空手は、伝わった時期や伝播経路などによって、多くのバリエーションを持つに至った。
 同じ「カラテ」でも、沖縄伝統空手と、一般的に知られている空手を並べてみると、かなり異なった武術ともいえる。
 沖縄発祥の空手は、「武術空手」や「武道空手」という言葉で括ることができる。平たくいえば「ルールのない空手」であり、命のやり取りをした時代の空手にほかならない。 続きを読む