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連載「広布の未来図」を考える――第7回 宗教間対話の重要性

ライター
青山樹人

諸宗教との対話は不可欠

――前回(第6回)は、広宣流布の運動を推進していく上で「私たちはどのような社会をめざしていくのか」という具体的なビジョンが必要ではないかという話でした。引き続き、このテーマを考えていきたいと思います。

青山樹人 前回、広宣流布といっても、他の宗教を淘汰して一色に染めていくようなものではないということを、池田先生の著作をもとに確認し合いました。
 この他宗教との関係について、もう少し考えていきたいと思います。あくまで頭の体操と思って、ひとつの思索の参考に聞いてください。

 この4月にローマ・カトリックの教皇フランシスコが逝去され、5月に新しく教皇レオ14世が選出されましたね。
 教皇は12億人とも13億人とも言われる信徒を擁するローマ・カトリック教会の最高位の司教であり、同時にバチカン市国の国家元首でもあります。 続きを読む

連載「広布の未来図」を考える――第6回 三代会長への共感

ライター
青山樹人

未来への展望が求められる時代

――3月から始まったこの連載ですが、おかげさまで反響をいただいているようです。

青山樹人 第1回で申し上げたように、あくまでも一つの見解としての言論であり、読んでくださる方の何らかの思索のヒントになればという企画です。
 お手軽なネット記事と違って、あえて毎回それなりに文字量も多くしています。それでも読んでくださる方々には感謝するばかりです。

 今から70年前の1955(昭和30)年7月の『大白蓮華』巻頭言で、戸田先生は「青年よ、心に読書と思索の暇(いとま)をつくれ」と綴られました。池田先生もまた、この恩師の言葉を何度も青少年たちに語られてきました。

 そのなかで戸田先生は、「読書と思索のない青年には向上がない。青年たる者はたえず向上し、品位と教養を高めて、より偉大な自己を確立しなければならぬ」と記されています。

 仕事に、家庭や家族のことに、地域のことに、学会活動に、本当に多忙な日々を送っている人が多いと思います。ともすれば目の前のことに追われていく日々です。
 だからこそ、創価の青年には、また青年の心で生き続ける先輩世代も含めて、あえて活字に挑んで思索を重ねていただきたいと願っています。 続きを読む

連載「広布の未来図」を考える――第5回 「カルト化」の罠とは

ライター
青山樹人

「反カルト」がはらむ「カルト性」

――旧統一教会の問題では、「カルト」という言葉に注目が集まりました。そもそも「カルト」と「宗教」は何が異なるのか。あまり深く考えないまま、安易に使われているような気もしないではありません。
 そこで、今回は「カルト」について、いくつかの観点から考える機会にできればと思います。

青山樹人 「カルト」の定義は、じつは学術的には厳密にこれと定まったものはないのです。一般的には〝特定の人物や事物に対して熱狂的に崇拝する小規模な集団〟を指して使われることが多いと思います。
 べつに特定の宗教集団だけを指す言葉ではなく、むしろ集団の性格や構造に向けられた言葉といえるでしょう。

 性格という点では、「反社会性」です。具体的には、集団の理念や目的のためであれば「人権侵害」を正当化することです。
 家族や友人から隔離して集団生活を強制したり、生計に支障をきたすような額の出資や献金をさせたり、就学や就労などの機会を奪って集団のための役務に就かせたりする。 続きを読む

連載「広布の未来図」を考える――第4回 宗教者の政治参加

ライター
青山樹人

戦後、多くの教団が政界進出

――今回は「政治と宗教」について、多くの人が抱いている疑問などにも触れながら、ていねいに考えていきたいと思います。
 まず、日本では多くの人が、宗教団体が政治に接近することに警戒心を持っているように思います。なかには、「憲法違反」だと思い込んでいる人もいます。

青山樹人 おっしゃるとおりですね。「政治」も「宗教」も、一般的には話題から避けることが多い。だから、よけいに不信感や不安感が強まるのかもしれません。
 私はこういう問題こそ、友人や家族と折に触れて語り合うことが必要だと思っています。その場合も、なにか説得しようとか、論破しようとかいうような姿勢ではなく、〝一緒に考えていく〟態度が大切だと思います。

 民主主義の社会というのは、異なる思想信条、価値観、信仰などを持った人々が共存していこうとする社会です。これが大前提ですよね。
 もし特定の思想信条や価値観、信仰が排除抑圧されてしまうのであれば、それはもはや独裁国家、権威主義国家になってしまいますから。 続きを読む

連載「広布の未来図」を考える――第3回 宗教を判断する尺度

ライター
青山樹人

――「政治と宗教」への人々の懐疑や批判的な声が続いています。そのうえで前回は、むしろこれをコミュニケーションのチャンスと捉えるべきだという話が出ました。

青山樹人 これは、とても大事な視点だと思います。むろん、誰でも自分が一番大切にしているものを土足で踏みにじられれば、黙っていられませんよね。その心情は当然でしょう。
 また、幾百万人の信仰に関わる悪意のデマに対しては、やはり黙していてはいけない。

 池田先生は『新・人間革命』で、日蓮大聖人が常に電光石火の言論戦に徹していた姿に触れ、

 黙っていれば、噓の闇が広がる。その邪悪を破る光こそ、正義の言論である。(第8巻「清流」の章)

 「一」 の暴言、中傷を聞いたならば、「十」の正論を語り抜く。(同)

と綴られています。
 まして現代はSNSの時代です。誤情報や悪意のデマが瞬時に広がる。だからこそ「電光石火」のスピードで、真実の情報を繰り返し発信していく必要があります。 続きを読む