新しい「生きるモデル」の構築を急げ!

北海道大学大学院教授
山口二郎

自民党安倍新政権がスタート。希望ある未来構築のために必要な新政権の課題とは何か。

アベノミクスに、浮かれてはいけない

 今の政権運営を見ていると、前回の安倍政権の失敗からかなり学習して慎重な政権運営をしていることを感じます。つまり、野党時代の主張と政権奪取後の言動にいい意味での開きがある。たとえば、安全保障問題や歴史認識の問題などについては、安倍首相本来の持論からはかなりトーンダウンしているわけで、そこには、近隣諸国や国民に余計な心配をかけまいとする現実的な配慮があります。これは評価に値します。
 ただ、期待感が高まっているアベノミクスについては多少疑問を持っています。金融緩和と公共事業などの積極財政によって、一時的に景気が上向いているかのような感覚が社会全体に広がっていますが、浮ついているのは都市部の〝小金持ち〟だけでしょう。株価上昇やインフレ期待で不動産や金価格が上昇しても、得するのは一握りの金持ちだけで、日本社会の活力や経済の長期的な成長に結びつくとは限りません。
 特に、生活保護費の減額や、地方公務員の給与削減を目的とする地方交付税の削減など、弱者と地方には金を回さない姿勢は、デフレ対策にはマイナスです。
 生活保護費の減額は、生活保護受給者だけの問題ではありません。その金額は、ほかのさまざまな弱者対策の基準になっているので、これが下げられると、他の弱者対策にも波及してしまうのです。減額を実現するために、生活保護費の不正受給の問題を政治的なキャンペーンに利用したのでしょうが、これは自民党の持つ悪い政治体質を表していると思います。
 また、「最低賃金よりも生活保護費が高いのはけしからん」という議論もありますが、発想が逆で、ちゃんと働いても生活できるだけの賃金がもらえないという社会のほうがむしろ問題です。低いほうに合わせる発想ではなく、1日8時間働けば最低限の生活ができるだけの賃金を保障できるような経済秩序を見直すほうが先決です。

消費税引き上げのための絶対必要条件

 消費税引き上げについては、普通の生活者が等しく税負担をかぶるような不公平なシステムになることを恐れます。これを改善するためには、低所得者ほど負担感が増す逆進性をカバーする対策(還付方式や軽減税率など)をセットで議論しないと、国民感情としては受け入れがたいです。
 今回公明党の奮闘で軽減税率導入の方向で進んでいる点は、評価できます。自民党に対抗する立場だった民主党が小さくなった今、公明党が頼みの綱です。国民の良識や常識を政策に反映させるのは公明党の役割だと思います。
 軽減税率導入を実施するためには、インボイス方式を導入して、消費税の納税の仕方について徹底的に透明化しないことには難しいと思います。また、納税者番号などを周到に用意して財政当局が国民1人1人を把握することも不可欠です。ただ、国民にとっては議論が分かれるところなので、慎重に議論を重ねるべきでしょう。

憲法議論の背景にある危険な意図

 自民党は、憲法改正のハードルを高くしている憲法96条について、その発議要件を「衆参両院議員の3分の2以上」の賛成から、「過半数」に緩和することを目指しています。憲法を改正しやすいようにしているわけですが、まず96条から改正しようとする方法は、私は姑息なやり方だと思います。もし憲法を改正したいのであれば、どこを改正したいのか、その中身をしっかりと議論すべきです。憲法改正に高いハードルを設けているのは、国の基本的な枠組みを、その時々の国民の多数派で簡単に変えられないようにするためですから、そこを安易に扱うべきではありません。
 また、「憲法を施行以来一度も改正していない国は先進国の中では日本だけ」という理由で、憲法改正に賛同する論調がありますが、これも「何を変えるか」という議論が先に来るべきです。そもそも戦後60年間「憲法改正」を叫んできた人たちは、戦争放棄をうたった九条や基本的人権の制限を望む人たちでした。それを国民がわかっていたからこそ、「憲法は改正しないほうがいい」という民意が続いてきたわけです。中身を議論する前に、改正すること自体に意義があるかのような議論は、非常に危険です。

中国とどう向き合うべきか

 対中国関係がギクシャクしていますが、違う国家である以上主張が対立することは当たり前。それを前提として、それでも長期的に共存するための知恵を巡らすのが外交です。国際社会における中国の懸念すべき振る舞いについては当然抗議すべきですが、と同時に20世紀に日本が中国にしてきたことへの贖罪も続けていかなければなりません。両面でフェアな態度で臨むべきで、いずれか一方に偏ってしまうべきではありません。
 私は北海道大学で教壇に立っていますが、中国人留学生も多く学んでいます。日本の学生と机を並べて学ぶ彼らは、中国の暴動も含めて冷静に日中関係を見ています。観念的なネット空間だけで対峙すれば激しい憎悪が生まれやすくなりますが、大事なことは、実際に人と会って話をする「リアリティー」です。その意味で、先般、公明党の山口那津男代表が訪中して習近平総書記と面会したことは大きな意味があることでした。

参議院選挙の結果で政治が大きく動く

 今後の政治の大きな流れを考えたとき、自公政権が続くのか、自民党が連立の組み替えや再編を志向するのか、これは50年単位の日本の政治の未来を左右する問題になるでしょう。
 次の参議院選挙(2013年7月)で、日本維新の会とみんなの党が選挙協力すれば維新は第2党になる可能性があります。そうすると、維新に親近感があると思われる安倍首相は、維新との連立で衆参両院で安定多数を選ぶ可能性も出てきます。となると、安倍政権のアジェンダは今とはずいぶん変わり、タカ派プラス新自由主義という最悪の組み合わせになるでしょう。今の現実的な穏健路線も参議院選挙までの方便だとすれば、それは国民への背信行為です。
 安倍政権が当分続くことが予想される以上、国民のためを考えれば、私は、公明党が連立に残ってブレーキやかじ取り役をしてほしいと思います。そうでなければとんでもない方向へ進むのではないかという危惧を持っています。

長期的な「生きるモデル」を

 安倍政権の喫緊の課題は、3党合意に基づいて、きちんとした政策の結論を出すことです。消費税率引き上げと増税分の使い道については大枠の合意があるので、あとは専門家に任せて具体的な仕組みをデザインしてもらい、それを後から蒸し返すことなく粛々と実行することです。
 もう1つの長期的な重要課題は、「生きるモデル」をつくることです。高度経済成長期にできた、終身雇用で定年まで働いてマイホームを持てるようなモデルは、すでに崩壊して20年ほどがたちます。それに代わる新しいモデルはまだ生まれてきません。若い人が社会に出て、仮に正社員でなくてもまじめに働けば、結婚して家庭を持って普通に暮らしていけるような新しい「生きるモデル」づくりを急がなければなりません。それは、雇用のルールや秩序、出産、育児、医療、親の面倒を見ることまで、人生全般の困難な問題について1人で苦労しなくてもいい仕組みをつくることです。それは、公明党が昔から主張してきた人生全体をカバーする社会保障政策です。
 今、こうした雇用や子育て問題などについて懸命に取り組んでいるのは、各種NPOに見られるような若い世代の市民活動家たちです。彼らは頑張っています。日本の未来は暗くない。
 ところが、こうした志ある若者たちに対して今の政治は冷たいし、距離がありすぎます。民主党はNPOとまだ近距離でしたが、自民党は頭を下げないヤツは世話しない風潮がいまだにあるようです。そういう意味でも、公明党には頑張ってもらわなければなりません。公明党もまた、創価学会というある種のアソシエーションを土台とする、日本では珍しい政党なのですから。フラットな人間関係のなかで自発性をもとに動くことを、体で知っている人たちです。
 平和と、国民の生命と生活を守るという2つのテーマについては、安倍首相の手薄な部分なので、公明党が船の碇のように、おかしな方向に行くことを踏み留める役割を担ってほしいと思います。

<月刊誌『第三文明』2013年4月号より転載>


やまぐち・じろう●1958年、岡山県生まれ。東京大学法学部卒業。東大助手、北海道大学法学部助教授、アメリカ・コーネル大学留学を経て、93年から北海道大学法学部教授。イギリス・オックスフォード大学客員研究員を経て、2000年から現職。専攻は、行政学、現代政治。グローバル化の荒波のなかで、人間の尊厳を守るための政治や政策について考え続けている。著書『辻井喬&山口二郎が日本を問う』(平凡社)、『政権交代とは何だったのか』(岩波新書)など多数。