連載エッセー「本の楽園」 第174回 脳を創る読書

作家
村上政彦

 二十歳になるかならないかのころ、うちからかなり離れた駅近くのビルに大型書店が入った。それまで僕は、うちから歩いて数分の小さな書店と、バスに乗って10数分の2階建ての書店に通っていた。
 いまはショッピングモールやデパートに大型書店があるのは珍しくないけれど、当時はこの書店ほど品揃えの多い書店を知らなかった。友人といっしょになかへ入って、僕は静かに興奮していた。
 僕がいちばん好きなのは、読書だ。それもスイーツをつまみながらの。新刊、古書問わず、買ったばかりの本を手にして、チョコや豆大福を頬張っているとき、僕は生きていてよかったと実感する。この快楽を得ることができるなら、100歳までがんばって生き抜いてやる。
 大型書店で背の高い棚にぎっしりならぶ本を見た僕は、宝の山を見つけた海賊のように、できればここにある本を全部手に入れたいとおもった。でも、それは叶わない。その代わり、1冊ずつ棚からぬきだして、ぱらぱらとページをめくる。
 どれぐらい時間が経ったか、「おい、帰ろうよ」と友人が言う。帰る? こんなにお宝があるのに? 友人の顔を見ると、えらく不機嫌だ。「まだ、いいじゃん」。僕がいうと、「じゃ、俺、帰る」。「いいよ」。友人は怒ってほんとうに帰ってしまった。 続きを読む

連載エッセー「本の楽園」 第173回 物語を生きる

作家
村上政彦

 河合隼雄というユング派の心理学者のことは、若いころから知ってはいた。高名な研究者であり、カウンセリングをおこなう臨床家でもある。しかし、なぜか、本好きの僕が河合さんの著作を手にとることはなかった。
 べつに河合さんを毛嫌いしていたわけではないし(直接お目にかかったこともないので嫌う理由がない)、ユング心理学には関心があったので、彼の著作を読んでいても不思議はなかった。いや、読んでいないほうが不思議だといえる。
 人との出会いにタイミングがあるように、本との出会いにもタイミングがある。そのタイミングがやってこなかったのだ――と書けば、注意深い読者の方は、もうお気づきだろう。やってきたのだ、タイミングが。
 ある日、馴染みの古書店をパトロールしていたら、『物語を生きる――今は昔、昔は今』というタイトルが眼についた。物語は、僕にとってきわめて大切なものだ。手にとるのが自然だった。少し破れた帯には、「生きるとは、自分の物語をつくること!」とある。買わないわけにいかない。
 著者は、河合隼雄さんだった。古書店の表でぱらっとページをめくってみたら、第一章からやられた。 続きを読む

書評『希望の源泉・池田思想⑥』――創価学会の支援活動を考える

ライター
本房 歩

キリスト教徒が読み解く池田思想

 月刊誌『第三文明』で2016年8月号から続いている佐藤優氏の連載「希望の源泉――池田思想を読み解く」。佐藤氏は元・外務省主任分析官の肩書を持つ作家であり、同志社大学大学院神学研究科を修了したプロテスタントのキリスト教徒でもある。
 国際情勢に関する著作はもとより、哲学、キリスト教、インテリジェンス、政治など、幅広いジャンルで旺盛な執筆活動を続けている。そんな佐藤氏が、この10年ほど熱意を持って取り組んでいるのが、創価学会とその指導者である池田大作創価学会インタナショナル会長(以下、SGI会長)の研究だ。
 創価学会とSGI会長を論じるにあたって、佐藤氏は全150巻におよぶ『池田大作全集』を揃えて読み込んできた。また全12巻の『人間革命』、全30巻の『新・人間革命』も読み込んで、これらについては独自の視点から著作も出している。
 これまで創価学会を批判的であれ好意的であれ論じた言論人や学者はいるが、ここまでの読み込みをした上で発言した者は一人もいないのではないか。 続きを読む

『摩訶止観』入門

創価大学大学院教授・公益財団法人東洋哲学研究所副所長
菅野博史

第29回 偏円⑥

(5)権・実を明かす③

(c)接通に約して、以て教理を明かす②

 蔵教・通教・別教・円教の四教の存在以外に、被接(ひしょう)を問題とする理由については、利根の修行者が飛躍的に修行を前進させる可能性を理論的に組み込むために、三種の被接を考案したと思われる。一般化していうと、宗教の修行における超越の可能性に席を用意したというわけである。この三被接は、『法華玄義』の境妙(迹門の十妙の第一)のなかの七重の二諦説(真諦と俗諦について、七種類の定義を施している)においてよく示されている。というのは、七重とは、四教と三被接を合わせたものであるからである。
 ここでは、最初に、一実(円教)のために三権(蔵教・通教・別教)を施す場合、ただ蔵教・通教・別教・円教の四種の止観があるだけであるが、別によって通を接する(別接通〈べっせつつう〉)止観に関しては、(1)権であるのか、実であるのか、(2)どのような意味で四という数に関与しないのか、(3)どのような意味でただ通教だけを接するというのか、(4)どのような位において接せられるのか、(5)どのような位に接せられて入るのか、という五つの質問が設けられている。初めに教に焦点をあわせて五問に答え、次に諦(真理)に焦点をあわせて四問(第二問を除く)に答えている。 続きを読む

書評『宗教を哲学する』――政治と宗教を考えるための画期的論考

ライター
小林芳雄

日本における宗教理解の浅薄さ

 2022年7月、安倍晋三元総理が凶弾によって倒れた。逮捕された容疑者の犯行動機が旧統一教会への恨みであったことから、政治と宗教の問題がにわかに注目を浴び、大きな問題としてとりあげられた。ワイドショーでは旧統一教会と政治家の関係性を追求し、そこにジャーナリストや研究者が登場し、さまざまな議論を繰り広げた。また国会でもこの問題がとりあげられた。
 しかし、それらの発言には時局迎合的なものが多く、国家と宗教という問題を真面目にとりあげ議論を深めていこうとする人は、ほんの一握りでしかない。
 本書は副題に「国家は信仰をどこまで支配できるのか」とある通り、国家と宗教の関係性というテーマを真正面からとりあげている。
 同じ問題をあつかった本がこれまで出版されてきたが、憲法や法解釈の観点から論じたものが大半を占めていた。しかし本書は哲学という観点から問題の本質に迫ろうとする画期的な論考といえるだろう。 続きを読む