小説を読む読者がもっとも楽しいのは物語を味わうことだろう。僕自身、20代の前半までアバンギャルドをやっていたけれど、あるとき物語の愉楽を思い出して、小説のコースを大きく変えた。形式の巧みさや美よりも、物語の愉楽を選んだのだ。
ただ、物語は楽しいだけではない。諸刃の剣だ。読み手を楽しませて、励まし、生きるための力を与えるのは、いい側面だ。しかし、わるい側面もある。人心をあやつって、あやうい世論をつくることもできる。
今年(2023年)の2月に神奈川近代文学館でシンポジウムを催した。ロシア・ウクライナ戦争を、林京子の文学から読み解こうとする試みだった。プーチン大統領は、何度か核兵器の使用を示唆した。そこで、核戦争を描いた林京子の文学を選んだのだ。
シンポジウムのファシリテーターは、僕が務めたのだけれど、そこでこんな発言をした。
ロシア・ウクライナ戦争は物語の戦争でもあります。ロシア側は、ファシストから同胞を救う解放者の物語、ウクライナ側は侵略者から祖国を守る英雄の物語。文学者は二つの物語を越え、グランド・ストーリーを語ることができるのか?
このシンポジウムを終えて、一冊の本とめぐりあった。『人を動かすナラティブ なぜ、あの「語り」に惑わされるのか』(毎日新聞編集委員・大治朋子著)。ざっくり言ってしまうと、テーマは兵器としての物語についてである。 続きを読む