芥川賞を読む 第63回 『しんせかい』山下澄人

文筆家
水上修一

ありきたりの青春小説らしからぬ青春小説

山下澄人(やました・すみと)著/第156回芥川賞受賞作(2016年下半期)

舞台は、実在した北海道の演劇塾

 山下澄人の作品が初めて芥川賞候補になったのは、2012年。その後、立て続けに候補となり、2016年、4回目の候補作「しんせかい」で芥川賞を受賞。当時50歳。その20年前の1996年には「劇団FICTION」を立ち上げ、今に至るまで主宰しているので、小説よりも演劇活動の方が長い。
「しんせかい」は、有名な脚本家が北海道に設立した演劇塾が舞台だ。語り部は、作者と同名の「スミト」なので、私小説と言っていいだろう。作者のプロフィールを見ると、確かに2年間、その演劇塾に在籍している。
 物語は、俳優と脚本家を夢見る若者たちが、何もない北海道の大地の中で、共同生活をするための建物を建て、生活費を稼ぐために農作業に従事し、その合間を縫うように演劇の勉強をする。そこでの生活は、周辺の地元民からは「収容所」と呼ばれるほどの過酷なものだった。
 もちろん小説であるから実体験と創造が入り混じっていることは当然だとしても、実在した演劇塾に対する興味は読者としてかき立てられる。ところが、物語としての本作品は、極めて淡白なのだ。 続きを読む

棚上げされた「政治とカネ」――論点のすり替えは許されない

ライター
松田 明

27年ぶりの「閣外協力」政権

 10月20日、自由民主党と日本維新の会が〝連立政権〟を樹立することで正式に合意し、両党首が「連立政権合意書」に署名した。
 従来、閣僚を出さない場合は国際的にも「連立」とは呼ばない。これまでの教科書とも整合性がとれなくなる。それでも両党が「連立」という呼称にこだわっているのは奇妙な話である。

 ともあれ、これによって本日21日に臨時国会が召集され、首班指名選挙の結果、自民党の高市早苗総裁が内閣総理大臣に指名された。
 憲政史上初めての女性の内閣総理大臣の誕生であり、女性の社会進出を不当に阻んできた〝ガラスの天井〟が国政の場で破られたことは意義深い。

 初の女性首相の登場によって、社会のあらゆる場面で今以上に女性リーダーが登用され、活躍しやすくなる社会になることを願っている。
 その意味でも、国民の1人として、まずは高市氏の首相就任に率直な祝意をお贈りしたい。 続きを読む

書評『知っておきたいメンタルヘルスの話』―医学と仏法の視点から語り合う

ライター
本房 歩

「決して焦る必要はありません」

 このほど第三文明社から『知っておきたいメンタルヘルスの話』(大白蓮華編集部編)が発刊された。
 これは、聖教新聞社発刊の『大白蓮華』に連載された「誌上座談会『福徳長寿の智慧』に学ぶ」(第3回、第4回、第15回~第31回)をもとに加筆・編集し、さらに同誌連載の「希望のカルテ」(2024年7月号~2025年6月号)を、コラムとして加筆・編集したもの。
 本書で言う「メンタルヘルス」とは、いわゆる「こころの病気」である。

 医療従事者である創価学会ドクター部や創価青年医学者会議のメンバーに加え、回によっては公認心理士、臨床心理士、さらに創価学会の西方青年部長も座談の輪に加わっている。
 創価学会の信仰は、科学的知見や医学の立場を軽視しない。むしろ、それらの知見を重視し、適切な対処法や治療法を尊重して、そのうえで仏法者として「生老病死」の現実にどう向き合っていくかを説く。 続きを読む

書評『幽霊の脳科学』――さまざまな怪談を脳科学の視座から分析する

ライター
小林芳雄

幽霊を見る患者との出会い

 気温が高い日々が続くと、昔から日本人は背筋が冷たくなるような怪談話を好む。現在でも、テレビのみならずYouTubeでも怪談チャンネルが人気を博している。
 本書『幽霊の脳科学』は、日本各地に伝承されてきた幽霊譚や落語の怪談噺などを題材に採り、脳科学者の立場から論じたものだ。
 著者はこれまで脳神経内科医として勤務し、主にパーキンソン病などの神経・筋疾患の研究を行ってきた。医師である著者が「脳と怪談」の関係を真面目に考えるきっかけとなったのは、1人の患者との出会いであったという。

 この患者さんを診ていて私が思ったことは、「患者さんの体験した幻覚はまさに幽霊譚であり、同時に脳機能障害もあったということは、逆に脳神経系の部分的な機能障害に伴って幽霊を見る症状が出現する可能性は考えられないだろうか」ということでした。(本書19ページ)

 患者は60歳の男性で、笑顔を絶やさぬ穏やかな人物であった。しかし最近、幽霊が見えるようになったと言い始めた。当初の診断では、視力や視野、運動機能や感覚機能に問題はなかった。しかし、詳しく検査を進めると高次脳機能障害のあることが判明し、また睡眠障害があることも分かった。治療により、その改善を試みたところ、幽霊を見ることはすっかりなくなったという。 続きを読む

『摩訶止観』入門

創価大学大学院教授・公益財団法人東洋哲学研究所副所長
菅野博史

第99回 正修止観章 59

[3]「2. 広く解す」 57

(9)十乗観法を明かす㊻

 ⑨助道対治(対治助開)(6)

 通教と別教については、説明を省略する。円教については、

 復た次に、若し『殃掘摩羅経(おうくつまらきょう)』に、「所謂(いわゆ)る彼の眼根は、諸の如来に於いて常なり。具足して減無く修し、了了分明に見る」と云うが如くならば、彼は是れ九法界の眼根なり。「如来に於いて常なり」とは、九界は自ら各各真に非ずと謂うも、如来は之れを観ずるに、即ち仏法界にして、二無く別無し。「減無く修す」とは、諸根を観ずるに、即ち仏眼なり。一心三諦、円因は具足して、缺減有ること無し。「了了分明に見る」とは、実を照らすを「了了」と為し、権を照らすを「分明」と為す。三智は一心の中にあり、五眼は具足し、円かに照らすを、名づけて了了に仏性を見ると為すなり。「見る」は、円証を論じ、「修す」は因円を論ず。又た、「具足して修す」とは、眼根を観じて、二辺の漏を捨つるを、名づけて檀と為す。眼根は二辺の傷つくる所と為らざるを、名づけて尸と為す。眼根は寂滅して、二辺の動ずる所と為らざるを、名づけて羼提(せんだい)と為す。眼根、及び識は自然に薩婆若海(さばにゃかい)に流入するを、名づけて精進と為す。眼の実性を観ずるを、名づけて上定と為す。一切種智を以て、眼の中道を照らすを、名づけて智慧と為す。是れ眼根の「具足して減無く修す」と為す。減無く修するが故に、了了分明に眼の法界を見る。(第三文明選書『摩訶止観』(Ⅲ)、近刊、頁未定。以下同じ。大正46、95中9-23)

と述べている。 続きを読む