福岡生命理論は組織論、芸術論へと展開する――書評『動的平衡3』

ライター
本房 歩

「生命」とは何か

 生物学者・福岡伸一氏の名著『動的平衡』シリーズの第3弾
 2009年に刊行された『動的平衡』、11年に刊行された『動的平衡2』は、最先端の生命科学の知見と芸術への深い教養、巧みな譬喩に満ちた流麗な文体が話題となり、累計25万部を超すベストセラーとなってきた。
 その〝福岡生命理論〟は、いよいよこの第3弾で、組織論、芸術論にも拡張していく。
 まず「動的平衡」とは何か。
 それは福岡氏による「生命」の言い換えである。この福岡生命理論の代名詞ともいえる言葉について、著者は『動的平衡2』の冒頭に次のように記している。

 生命とは何か。生命をモノとして見ればミクロな部品の集合体にすぎない。しかし、生命を現象として捉えると。それは動的な平衡となる。絶え間なく動き、それでいてバランスを保つもの。動的とは、単に移動のことだけではない。合成と分解、そして内部と外部とのあいだの物質、エネルギー、情報のやりとり。(『動的平衡2』

分子を置き換える作業

 たとえば私たちが食べているものはことごとく他の生命であり、それは消化という過程で分子レベルに分解され、再び合成される。
 食べるという営みは、既にある自分の身体を構成する分子を、食物として摂取した他の生体を構成している分子とを置き換えている作業に過ぎない。 
 著者は最初の『動的平衡』(2017年に大幅加筆修正され小学館新書から刊行)で、

 個体は、感覚としては外界と隔てられた実体として存在するように思える。しかし、ミクロのレベルでは、たまたまそこに密度が高まっている分子の緩い「淀み」でしかないのである。(『動的平衡』

と記している。
 私たちは、これは自分の身体、あれは犬、あれは蟻、と認識しているが、あらゆる生命は分子の「流れ」そのものでしかない。

 その流れの中で、私たちの身体は変わりつつ、かろうじて一定の状態を保っている。その流れ自体が「生きている」ということなのである。(同)

「生きている」ことの本質

 宇宙には「エントロピー増大の法則」という大原則がある。あらゆるものは時間の経過とともに劣化・風化し、エントロピー(乱雑さ)が増大して最後は秩序を失って崩壊する。
 私たちの生命も例外ではなく、むしろもっとも果敢にエントロピーに抗うことによって、高度に秩序を維持している。生命は「闘う」ことによって、生命たり得ているのだ。

 これと闘うため、生命は端から頑丈に作ること、すなわち丈夫な壁や鎧で自らを守るという選択をあきらめた。そうではなく、むしろ自分をやわらかく、ゆるゆる・やわやわに作った。その上で、自らを常に、壊し分解しつつ、作りなおし、更新し、次々とバトンタッチするという方法をとった。この絶え間ない分解と更新と交換の流れこそが生きているということの本質(『動的平衡3』

 生物学者の眼は、たとえばビジネスもこの生命の法則で捉え直す。商行為とは「エントロピー増大の法則」に抗い、使ったエネルギーよりも作り出した秩序によってより大きな価値を創造することなのだと。
 あるいはまた生物学者の眼は、音楽や美術と生命の関連性についても、じつに奥深いものを見出して読者の前に惜しげもなく差し出してくれる。
 なぜ17世紀のフェルメールの光を、あるいはストラディヴァリの音を、いまだに誰も越えられないのか。その答にはしばし呆然とさせられる。
 もし『1』 『2』を未読の方は、順を追って読むもよし、あるいはこの『3』から福岡生命理論に飛び込むもよし。ただし、それはもはや抜け出せない〝愉楽の沼〟であることをご忠告申し上げておこう。