書評『陰謀論入門』――陰謀論に対峙すべき方途を示す

ライター
小林芳雄

陰謀論とはそもそも何か

「アポロ11号の月面着陸は偽物である」「ウォール街を支配しているのは爬虫類人間である」など、陰謀論は部外者からすればバカバカしい内容だ。しかしヒトラーが唱えた「ユダヤ人はドイツ経済を支配しようとしている」という陰謀論は、荒唐無稽であるにも関わらず600万人の犠牲者を生み出すという惨禍を招いた。なぜ人は陰謀論を信じるのか。そもそも陰謀論とはなんだろうか。
 本書は、アメリカにおける陰謀論研究の第一人者である著者が、最新の研究成果や豊富な事例を踏まえてその全体像を明らかにする画期的な入門書である。
 陰謀論の特徴は以下のように定義できるという。

陰謀という言葉の使われ方はさまざまだが、本書においては、有力な個人からなる少人数の集団が、自らの利益のために、公共の利益に反して秘密裏に行動していることを指す。そして陰謀論とは、有力な個人からなる少人数の集団が、自らの利益のために、公共の利益に反して秘密裏に行動した/行動している/行動するだろうという、信頼に足る証拠なく対象を非難する認識のことを指す。(本書71ページ)

 政治に権謀術数はつきものとも言えるし、今も昔も不正は行われているかもしれない。しかし、その存在を立証するためには、厳密な手続きを踏まなければならない。
 証拠を集める。事実を確認する。さらには検事や裁判官などの専門家が検証することにより、陰謀の存在は認められる。これに対し事実の有無に関係なく陰謀が行われていると信じてしまうのが陰謀論である。
 著者によれば、人が誤った信念を形成する際には複数の要因が関係する。そのなかでも特に強い影響を与えるのが「党派主義」という先有傾向である。「党派主義」は幼少期から長い年月をかけて形成される。物の見方や行動に極めて強い影響を与えるが、外部の情報から影響を受けることは殆どない。自身が抵抗を覚える情報に対しては無視し、自分が同意する情報には重きを置く。さらにこの傾向が強まると、自身の結論に都合の良い情報しか検討しなくなるという。こうした傾向が強い人は、大きな歴史的事件があった場合に陰謀論の信者になる可能性が高いという。
 アメリカのトランプ前大統領は政局運営を有利にするために、「コロナウイルスは中国の研究所で生まれた」「2020年の大統領選挙では不正投票がおこなわれた」など数々の陰謀論を用いた。そこから陰謀論は保守派の専売特許だと考える人が多い。しかし実証的なデータによれば、どのような政治的立場であっても一定数の人が根拠のない話を信じてしまうという。実際、左派であっても、「陰謀論」を唱える政治家はいるのだ。

敗者ほど陰謀論を利用する

陰謀論はアメリカ社会において、権力を持たない集団によって権力を持つ集団を攻撃するために使用されるとき、大きな反響を呼ぶ傾向にある。(本書150ページ)

 選挙に圧勝した政党に所属する人が、陰謀論を唱えることはまずない。決まって口にするのは敗北を喫した政党の人々だ。自身の敗北という厳しい現実を受け入れることができない政治家は、陰謀論に頼るようになる。また勝利した勢力が唱えていた陰謀論は、とたんに目立たなくなる。大きな反響を呼ぶ陰謀論は、必ず現在の権力分布に適合した形で表れてくる。ここから著者は「陰謀論は敗者のためにある」と辛辣な指摘をする。
 本書は主にアメリカ陰謀論について論じている。しかし、日本の現状を突き合わせてみると、当てはまる点があまりにも多く、驚きを禁じえない。
 わが国では昨年、元首相の銃撃という痛ましい「歴史的事件」が起こった。本書の指摘にあるように、それは陰謀論の大きなうねりを生み出した。犯行は逆恨みによるものであった。しかし焦点は元首相と支援していた宗教団体の関係性に移る。やがて宗教者が政治に関わること自体を問題視するような論調が、論壇の主流を占めるようになっていった。
〝宗教者の政治活動は政教分離に違反しない〟と歴代内閣法制局長は繰り返し答弁している。内閣法制局長は法の番人と言われる専門的な知識の持ち主だ。
 にも関わらず、あたかも不正が存在しているかのような語り口は、「党派主義」に基づく陰謀論に酷似している。また「法の下の平等」をないがしろにし、スケープゴートを仕立て上げ、自身の正当性を声高に主張するそのさまは陰謀論者の典型な姿である。
 しかも、こうした主張を執拗に繰り返す政党は万年野党だ。この点も「陰謀論は敗者のためにある」という著者の言葉に驚くほど合致する。今や社会に蔓延しつつある陰謀論に、わたしたちはいかに対峙するべきか。

批判力と寛容の精神が陰謀論を封じ込める

政治的な透明性と説明責任は、陰謀論による度を越えた影響を緩和することはできても、陰謀論をなくすことはできない。われわれはまた、陰謀や陰謀論に与することのない政治家を選ぶ必要がある。(本書187ページ)

 著者は、批判力の重要性を繰り返し訴える。自身の意見を常に検証する高い批判力の持ち主は、陰謀論を信じる確率が低い。また、このように陰謀論の正体を学ぶことは、どのような人でも偏見から免れることがない事実に気づかせてくれる。そこからできるだけ公平に相手の意見を理解しようとする寛容の精神も生まれる。批判力と寛容の精神は健全な公共空間に欠かすことができない。
 陰謀論が政治に関わるものである以上、政権与党としても、これまで以上に透明度の高い政権運用をすることも必要になる。政治を厳しく監視する姿勢は、誤った信念が蔓延するのを防ぐ有効な手段である。
 そして最重要の課題は政治家の質を上げることだ。本書には政治家が陰謀論を弄び利用した事実が具体的に挙げられている。政治家が犯した罪は極めて重い。だからこそ、陰謀論に与しない政治家を一人でも多く増やすことが肝要になる。
 そのためにも私たち有権者は、責任をもって一票を投じる必要がある。こうした地道で平凡な努力を重ねることが、陰謀論を封じ込めることにつながっていく。

『陰謀論入門――誰が、なぜ信じるのか?』
(ジョセフ・ユージンスキ著/北村京子訳/作品社/2022年5月10日)


こばやし・よしお●1975年生まれ、東京都出身。機関紙作成、ポータルサイト等での勤務を経て、現在はライター。趣味はスポーツ観戦。