書評『この社会の歪みと希望』――政治の現実を動かしていく方途とは

ライター
本房 歩

雨宮と佐藤の〝共通項〟

 〝異色〟の対談集である。
 雨宮処凛は、作家で活動家。10代で不登校や家出を経験したのち、20歳で右翼の活動に参加する。ロックバンドのボーカルでもあり、そのいでたちから「ミニスカ右翼」と称された。
 しかし、2006年からは一転して革新・左派系論壇に活動の場を移し、「反貧困ネットワーク」世話人など、格差・貧困の問題に取り組み続けている。2007年に出版した『生きさせろ! 難民化する若者たち』(太田出版)が日本ジャーナリスト会議賞を受賞。
 佐藤優は、同志社大学大学院神学科を修了したプロテスタントのキリスト教徒。外務省に入省し、在英大使館、在ロシア大使館の勤務のあと、主任分析官として対ロシア外交に携わったインテリジェンス(諜報)の専門家。いわゆる鈴木宗男事件に連座するかたちで逮捕起訴され有罪判決。外務省を失職し、作家として旺盛な言論活動を続ける。
 雨宮は〈おそらく、佐藤さんと対談本を出した相手の中で私が「最低学歴」ではないだろうか〉と語り、佐藤は〈雨宮さんと私の政治的立場は異なると思う〉と綴る。
 しかし、ふたりには共通項もある。雨宮はもう10年近く月刊誌『第三文明』に連載をもっているのだ。佐藤もまた同誌で池田大作・創価学会インタナショナル会長の著作『法華経の智慧』を読み解く長期連載を続けている。

「頑迷な反権力」は不毛

 この対談は折しも新型コロナウイルスのパンデミックがはじまった2020年1月から4回にわたっておこなわれた。
 貧困問題の最前線に立って、くりかえし政府と交渉し、『赤旗』や『週刊金曜日』などで政府批判をし、三宅洋平や山本太郎の選挙を応援してきた雨宮。
 外務官僚として国家の機微に触れる仕事をし、とくに共産主義の裏表を知る立場として、日本共産党の危うさに警鐘を鳴らす佐藤。
 この両者が「教育、差別、貧困、コロナ」をめぐって率直に語り合う。
 本書を開いた読者は、ふたりの精神が柔らかく開かれていることに目を見張るだろう。
 まるで何もかも距離が遠いように見える両者が、とても自然に言葉を交わし合う。双方の相違は、たちまち互いの経験や視点への敬意となって、とりあげるテーマへのまなざしを豊かで賢明なものにしていく。
 たとえば佐藤は雨宮のことを、〈けっして権力に取り込まれない人〉と評する。

佐藤 ただし、「権力側の人間とは口もききたくない」というような、頑迷な反権力ではない。むしろ、必要なら国家権力側の力も柔軟に利用して、困っている人を助けようとする。(本書)

 佐藤は雨宮をこう語り、一部の人々にみられがちな「権力者は階級支配をしているから悪だ」という旧来的マルクス主義の単純な決めつけを批判する。
 これに対し雨宮も、〈本当にそうですね〉と同意し、だからこそ自身も一時期、政府のさまざまな委員を引き受けてきたのだと語る。

行政をどう動かすか

 その〝政治の力を活用する〟話をめぐり、佐藤が具体的な助言をする場面がある。佐藤は、公務員になるような人間は基本的には人間性が良いが、裁量権のない事柄については動こうにも動けないのだと言う。
 そこで雨宮が、日本共産党の都議団や国会議員にかけあってもみたが、ことが動かなかったという経験を話した。
 佐藤は、役所というのは与党ラインからやらないと動かないのだと雨宮に言う。役人にとって、決められたルーティーンを曲げることにはリスクがあるからだ。
 役所に役人の裁量権を越える判断をさせようと思えば、そのリスクを役人に負わせるのではなく、与党側に負わせてしまうほうが、ことが進みやすい。野党では、役人は自分のリスクを回避できない。
 地方自治体ならば、正攻法で裁量権のない役人に訴えるより、知事に連絡を取る方ほうが、ことが動きやすい。こうした構図を佐藤は雨宮に説いたのだ。
 雨宮は、相模原で起きた障害者施設殺傷事件の裁判の傍聴に通い続けた。加害者には既に死刑が確定しているが、加害者がどのように歪んだ思想を先鋭化させていったかを雨宮が語り、佐藤はあの事件は「思想犯によるテロ」だと分析していく。この事件について1章が割かれている点でも、本書は読む価値がある。

迅速に動いた赤羽国交相

 2019年7月の参議院選挙で、れいわ新選組は重度の障害を持った2人の国会議員を誕生させた。雨宮は山本太郎とさまざまなかたちで共闘してきた。2015年ごろには、生活保護世帯の子どもの進学などについて、山本太郎の国会質問作りも手伝ったという。
 雨宮自身は公明党の議員と直接交流がない。しかし、この生活保護世帯の子どもの進学問題は、〈公明党議員によって最終的に大きく改善の方向に向かった〉〈それは貧困問題に関わる人たちにとって非常に大きな出来事でした〉と雨宮は述べる。
 そして、れいわの国会議員の質問をめぐって〈公明党の「本気」を感じたことがあります〉と、あるエピソードを佐藤に語った。
 れいわの木村英子議員は国土交通委員会に所属し、当事者の立場からバリアフリー問題をたびたび質問してきた。雨宮自身も、木村に指摘されるまで知らなかったことがあったという。そして、公明党の赤羽一嘉国交大臣の対応が非常に迅速だったというのだ。

雨宮 (赤羽大臣は)わずか二、三日のうちにどんどん動いてくれました。その速さがすごいので、「ああ、赤羽大臣は本気で変えようとしてくれているんだ」と感動しました。

社会に希望を開いていく

 佐藤は、19年の参議院選でれいわ新選組が東京選挙区に山口那津男(公明党代表)候補への〝刺客〟を送りこんだ一件に触れた。れいわが立てた候補は「沖縄創価学会壮年部」を名乗る人物で、選挙運動を通して創価学会と公明党を批判し続けた(その後、落選したこの候補者はれいわ新選組を離党)。
 佐藤は、創価学会員であっても公明党を支持しない自由も他党から立候補する自由はあると述べる。だが、同候補者が自分個人の政治的意見であるにもかかわらず、〝主語〟を「池田先生」にすり替えて、「公明党の政策は池田先生の教えに反している」という主張をしたことは誤りだと指摘する。
 そして、れいわ新選組が、〈公明党支持層に食い込めるチャンス〉として、そのような候補者を山口代表の〝刺客〟としたことは、〈宗教者の心の大切な部分に踏み込む鈍感な行為〉〈率直に言って悪手だったと思います〉と述べている。
 そして、こうした経緯がありながら、赤羽大臣がれいわの議員の声に真摯に対応したのは、大臣の人間性もあるが、公明党が「価値観政党」だからだという。公明党が一貫して「福祉の党」であるのは、党創立者の「一番苦しんだ人が、一番幸せになる権利がある」という精神を公明党議員が受け継いでいるからだと。
 本書はタイトルに「希望」が入っているように、両者はコロナ禍で露わになった社会の歪みを冷徹に指弾しながらも、コロナ禍を通して社会に〝よい変化〟が生まれつつあることを確認し合っている。
 社会の危機に乗じて「不安」「憎悪」を扇動する勢力は、弱者をからめ捕ろうとする。そのようなものを退け、現実に社会を一歩一歩変革していくためにはどうすればよいか。
 雨宮氏と佐藤氏の〝開かれた対話〟のなかに、読者はその大きなヒントを見出すのではないか。


『この社会の歪みと希望』
佐藤優/雨宮処凛

価格 1,540円/第三文明社/2021年6月24日発売
 
 
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