特集⑦ 中ソ和解への「対話」――ソ連の扉を開いた池田会長

ライター
青山樹人

初訪中と初訪ソへ

 中国の周恩来総理は、「創価学会は民衆に基盤を置いた団体である」として1960年代初頭から注目し、のちに中日友好協会会長となる孫平化らに、学会についての情報収集を指示していた。松村謙三、高崎達之助、有吉佐和子といった親中派の人々からも、創価学会と池田会長への高い評価が周総理に伝えられていた。
 日中国交正常化を訴えた、学生部総会での勇気ある池田提言は、松村ら日中友好を望む人々に大きな希望を与えた。当時、中国は文化大革命の混乱の渦中にあり、米国の中国敵視政策に追随する日本政府の姿勢もあって、日中友好を口にすることそのものが非常に困難な情勢だったのである。
 松村や高崎らは再三、池田会長に訪中を要請していた。1970年には、松村を介して「会長の訪中を歓迎します」との周総理の言葉が池田会長に伝えられた。
 これに対し会長は、自分は宗教者であり、国交回復の問題は政治次元に託すべきことであるとして、自分が創立した公明党を推挙した。
 その結果、当時の公明党は結党して日の浅い小さな野党であったにもかかわらず、71年6月に第1次訪中団を派遣することができた。翌年の国交正常化までに計3回の訪中をし、国交正常化実現に重要な役割を果たすのである。
 南開大学周恩来研究センターが著した『周恩来と池田大作』のなかで、中国人民対外友好協会副会長の黄世明は、

 公明党は池田先生が創立した政党です。彼らが正式に訪中できたのは、池田先生の六八年の講演があったからです。

 池田先生の発言と支持があったからこそ、公明党は中日国交回復五原則を日本に持ち帰り、交渉できたのです。

と証言している。
 1974年5月29日、池田会長は第1次訪中に出発した。
 この第1次訪中では、北京大学を訪問したほか、李先念副総理と会見した。周恩来総理は膀胱がんの手術を控えており、会見することができなかったのだ。
 9月になると、池田会長はソ連を初訪問する。モスクワ大学、高等・中等専門教育相、ソ連最高会議などを訪問し、ノーベル賞作家のショーロホフとも会談した。
 当時、ソ連は国際社会での孤立を深めていた。同じ東側陣営に属していた中国とは、60年代後半からイデオロギー路線の違いで対立し、両国は国境線付近に軍隊を配備するなど一触即発の状態になっていた。北京など中国の大都市では、ソ連からの核攻撃に備えた防空演習が繰り返されていた。
 72年には敵対していたはずの米中間で電撃的なニクソン大統領訪中がおこなわれ、日中の国交も正常化した。ソ連には強い不満と疑心暗鬼が渦巻いていた。

「ソ連は中国を攻めません」

 ソ連訪問の最終日、コスイギン首相の要請で池田会長はクレムリンで首相と会見した。
 この席で会長は、日ソ友好への展望を語り、とりわけ平和条約の早期締結を促した。相互理解のためにもソ連要人の訪日を要請し、幅広い立場の人々と交流することを進言。さらに政治や経済だけでなく民衆と民衆を結ぶ文化教育交流の必要性を説いた。
 コスイギン首相から、あなたの根本的なイデオロギーは何かと尋ねられた会長は、こう答えた。

 平和主義であり、文化主義であり、教育主義です。その根底は人間主義です。

 この時期にモスクワ大学副総長を務め、会談にも同席したウラジミール・トローピンは、

クレムリンの一室に、暖かみと互いに関心を抱くような雰囲気が生まれ、そこから生き生きとした人間味あふれる会話がはじまった。(『出逢いの二十年』潮出版社)

と記している。
 会長の言葉に、首相も応じる。

今、会長は「平和主義」と言われましたが、私たちソ連は、平和を大切にし、戦争を起こさないことを一切の大前提にしています。

 池田会長はコスイギン首相に対し、世界が懸念していた中ソ間の緊張状態について、率直に問いただした。

中国の首脳は、自分たちから他国を攻めることは絶対にないと明言しておりました。中国はソ連の出方を見ています。ソ連は中国を攻めますか。

 中国首脳と会見してきた民間人としての単刀直入な言葉だった。

いいえ。ソ連は中国を攻めるつもりも、孤立化させるつもりもありません。

 コスイギン首相は明言した。

そのことを、中国の首脳にそのまま伝えてもかまいませんか。

伝えてくださって結構です。

 さらに語らいは核兵器の問題に移り、首相はここでも核兵器への憂慮を表明し、核軍縮は不可避であると明言した。これは当時のソ連の公式見解を覆す画期的な発言であった。

「そこに人間がいるからです」

 日本最大の宗教団体である創価学会の会長が中国とソ連を相次いで訪問したことには、国内外から批判や憶測が飛び交った。宗教者が赤いネクタイを着けて、マルクス主義の国に何をしに行くのかと批判したメディアもあった。
 とりわけソ連訪問には批判や反対が相次いだ。なぜ共産主義の国に行くのかと財界重鎮から問われた会長は、明快に答えた。

 そこに、人間がいるからです。人間に会いに私は行くのです。共産主義の国であろうが、資本主義の国であろうが、そこにいるのは、平和を願う、同じ人間ではないですか。ですから私は、その人間の心と心に橋を架け、結ぶために行くんです。それが平和への、最も確かな道であるというのが私の信念です。

 この当時の真情を、会長は後年綴っている。

 中国と友好を進める人はソ連と友人になれず、ソ連に近づけば中国への道が閉ざされる。概略的に言えば、そういう状況であった。しかし、私には私の信念がある。どんなに風圧があろうとも、平和のためには、誰かが突破口を開くしかなかった。(『聖教新聞』1995年6月18日付)

 だが、数十星霜を経た今、この時期の会長の勇気ある行動がどれほど深い水底で世界史を動かしたかは明白である。

 今いえることは、池田氏のこうした姿勢こそが、一九七四年、ソ連とソ連国民の扉を少しずつ開かせたのである。(略)池田大作氏こそが、第二次世界大戦前や戦中の日本と、現在の日本はまったくちがう国であることを、わが国の世論と指導者層に信念をもってねばり強く伝えようとしたのであった。(前掲『出逢いの二十年』)

 帰国した池田会長は、日本のメディアに精力的にソ連の印象を発信した。強い嫌悪と恐怖に覆われていた日本社会のソ連観に対し、会長はソ連の人間的な表情を伝えることに全力を注いだ。激務と国内外の激励行のなか、翌年2月には『私のソビエト紀行』も出版している。

※この記事は『最新版 世界広布新時代への飛翔』(青山樹人著/鳳書院)をベースに加筆修正したものです。

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あおやま・しげと●著書に『宗教はだれのものか』(2002年/鳳書院)、『新装改訂版 宗教はだれのものか』(2006年/鳳書院)、『最新版 宗教はだれのものか 世界広布新時代への飛翔』(2015年/鳳書院)など。WEB第三文明にコラム執筆多数。