捏造にまみれた「江戸しぐさ」
「江戸しぐさ」という言葉を耳にしたことのある方は少なくないと思います。江戸しぐさ普及の中心的役割を担ってきたNPO法人江戸しぐさでは、譲り合いの精神で気持ちよく交流するための「江戸商人の行動哲学・マナーが江戸しぐさ」であると定義しています。
しかしその一方で、江戸しぐさはすべて口伝であるため、古い文献や証拠などは一切残されていないとしています。さらに「江戸っ子狩り」が行われ、江戸しぐさの伝承者はほとんどいないという荒唐無稽な話までしています。
代表的な江戸しぐさの一つに「傘かしげ」があります。雨の日に、狭い路地を人とすれ違うときはお互いの傘を反対側に傾けて、雨水が相手にかかるのを防ぐというものです。ところが史実と照らし合わせると、江戸は大阪などに比べ和傘の普及が遅れ、庶民は笠や蓑で雨をしのぐのが一般的だったことがわかります。つまり、わざわざ「傘かしげ」という特殊な動作をする状況は、一般的ではなかったのです。しかも、洋傘とは異なる当時の和傘の構造では、洋傘のように傾けるのではなく、すぼめたほうが簡単にすれ違うことができます。「傘かしげ」なる動作を行う必要性自体が存在しないのです。
江戸しぐさは、800~8000あるともいわれていますが、一つ一つを検証していくと、実際の江戸で行われていた可能性は極めて低いことが明白なのです。
しかし、捏造された〝歴史的事実〟であるにもかかわらず、「互いを思いやるマナー」として、企業の社員研修、さらには公教育の現場でも積極的に導入される事態に至り、私はその虚偽性を系統立てて検証することにしました。
そしてNPO法人江戸しぐさの源流に当たる芝三光という人物の来歴も踏まえ、いかにして「江戸しぐさ」なるものが創作されたかを詳らかにしたのが、前著『江戸しぐさの正体』だったのです。
『江戸しぐさの正体』出版後の反応
私がこの本を出版すると、雑誌や新聞などのメディアで書評に取り上げられるなど、数々の反響がありました。それまで江戸しぐさ推進派だった団体からも、見直しの動きが出てきました。
〝江戸時代の人々が日常的に行っていたマナー〟と信じられていたものが、実は捏造された歴史だったという事実のインパクトは大きかったようです。
腰の重かったテレビにも、ようやく批判的視点から江戸しぐさ問題を取り上げる動きが出ました。2015年6月25日に放映されたTBS「ニュース23」では、国立科学博物館研究員の鈴木一義氏や、大名時計博物館館長の上口翠氏と共に、私も内容の検証に参加。当時の時計技術や時間観念から、江戸しぐさの一つ「時泥棒」という概念はあり得なかったことが紹介されました。
また、以前江戸しぐさに好意的なコメントを寄せていた法政大学総長の田中優子氏も登場し、江戸しぐさそのものを「空想上のもの」と否定。江戸しぐさの教科書掲載普及に関しても「なぜそれが本当かどうかについて、研究者からヒアリングするというプロセスを怠ったのか」と、文部科学省の姿勢を問いただしました。江戸研究者である田中氏が、こうしたコメントを発した意義は大きいものがあります。
さらに同番組では、江戸しぐさを積極的に推進していた育鵬社という教科書の版元から「次年度からは教科書に江戸しぐさを載せない」とのコメントを引き出しています。
一方で副読本扱いの道徳の教材には、まだ記載が残っているものもあります。その後の報道(BuzzFeed「それは偽りの伝統 教材に残り続ける『江戸しぐさ』」)によれば、この点についての文科省の見解は、
「道徳は内容の真偽を問うものではないため、江戸しぐさの真偽は関係ない」
というものでした。真偽でなければ、一体何を基に善悪を判断しているのか。そもそも噓を教えること自体、道徳に反するのではないでしょうか。
「親学」との関係性
江戸しぐさが広まるにつれ、書籍やネット経由で手軽に情報を入手し、「にわか講師」として江戸しぐさの講義をする人々が増えました。その結果、皮肉なことに、創始者の芝三光一人が知っていたという江戸しぐさの「経緯」の部分が消えつつあり、NPO法人江戸しぐさの存在感も低下してきました。
こうした「にわか講師」の筆頭に、「親学」を提唱している明星大学教授の高橋史朗氏がいます。
親学とは、子どもの脳を育て、心を育て、感性を育てるための親の学びだとされています。しかし、その子育て理論の根拠にしている事例の多くは、科学的に見て通説とは言えないものが多く、「学」と呼ぶには問題があります。そのことは、でっち上げの江戸しぐさが取り入れられていることからもわかります。
親学は、TOSS(旧・教育技術法則化運動)という教員団体の指導方針に含まれています。まさに親学の存在が、江戸しぐさをここまで学校教育に浸透させる役割を果たしたと言えます。
本来、教育の現場で行われるべきことは、何も知らない子どもたちが、きちんと物事の因果関係を見極めて論を組み立てる思考力を養成することです。捏造されたものをあたかも歴史的真理であるかのように教えられ、導かれていくのはゆゆしき事態と言えます。
大切なことは、聞き心地のいい捏造された歴史を学ぶことではなく、現代に生きる私たちとは異なる常識や価値観を持って生きていた人々を知ることであり、私たちが生きる時代を客観視し、今の時代が〝当たり前〟なのではなく、その特殊性も同時に知ることです。そこから歴史の面白さや人間の営みについて洞察を促すのが、教育の持つ役割だと思います。親学も、親学が取り入れている江戸しぐさも、教育のあるべき姿とはあまりにもかけ離れた存在と言えるのではないでしょうか。
江戸しぐさの「終焉」とは
江戸しぐさの虚偽が明らかになった今もなお、文科省や教科書の版元からは、誤りを認める公式の発言は出ていません。「江戸しぐさ」は歴史的事実ではなく、芝三光という人物が作り出した現代人のマナーにすぎないことを明記すれば済むだけなのですが、それすら難しいようです。
文科省は2015年に「研究活動における不正行為への対応等に関するガイドライン」の概要を改訂し、不正行為として捏造・改ざん・盗用を挙げています。しかし、文科省の江戸しぐさの扱いを見ると、そもそも捏造された歴史(捏造)、教材に使うにあたって内容を改ざんしている(改ざん)、江戸しぐさという概念をどこから持ってきたか明示していない(盗用)と、当の文科省自身がこのガイドラインを守れていません。文科省は研究機関ではありませんが、いわばその上位にある機関なので、守って当然なのですが……。
一方、広めた側ではなく、受け入れた側の責任はどうなるのでしょう。人間には自分の感情を補完してくれるものが真理であってほしいという傾向があるのは否定できません。放射能が怖い人は、〝微量の放射線でも危険だ〟という説を取り入れやすくなるものです。江戸しぐさも、ちょっと感動するような、万人受けする〝都合のいい話〟であったからこそ、ここまで広まったと考えられます。そんな時代だからこそ、感情を揺さぶる「いい話」を耳にしたときは、ネタの出所・根拠を冷静に探すなど、客観的な対応をする努力が必要です。
創始者の意図を超えて肥大化した江戸しぐさの行く先は、誰にもわかりません。しかし一つ言えるのは、道徳的普及を目指している人々の望む方向ではなく、〝面白ネタ〟として消費されるようになる可能性を秘めていることです。もしそうなれば、そのときこそ、偽史としての江戸しぐさは終焉を迎えるのではないでしょうか。
関連記事:
虚偽で形づくられた「江戸しぐさ」の正体とは(歴史研究家/偽史・偽書専門家 原田 実)
「江戸しぐさ」と「親学」――オカルト化する日本の教育(歴史研究家/偽史・偽書専門家 原田 実)
『江戸しぐさの終焉』
原田 実著価格 907円/星海社新書/2016年2月26日発刊
→Amazonで購入