知花の直弟子の流れ
1969年、知花朝信(ちばな・ちょうしん 1885-1969)が他界した後、沖縄小林流空手道協会の2代目会長には宮平勝哉(みやひら・かつや 1918-2010)が就任した。戦前からの古い弟子で、満州の日本語学校で教員を務めたあと、戦後は那覇市役所に勤務した。
20歳で宮平の弟子となった宮城驍(みやぎ・たけし 1935-)現会長は、宮平のことを「がっちりした体格で、柔道の有段者、沖縄相撲も強かった。人格者だった」と振り返る。 続きを読む
1969年、知花朝信(ちばな・ちょうしん 1885-1969)が他界した後、沖縄小林流空手道協会の2代目会長には宮平勝哉(みやひら・かつや 1918-2010)が就任した。戦前からの古い弟子で、満州の日本語学校で教員を務めたあと、戦後は那覇市役所に勤務した。
20歳で宮平の弟子となった宮城驍(みやぎ・たけし 1935-)現会長は、宮平のことを「がっちりした体格で、柔道の有段者、沖縄相撲も強かった。人格者だった」と振り返る。 続きを読む
横尾忠則のことはとても個性的な絵を描くイラストレーターとして知っていた。でも、それだけだった。特にそれ以上のことを知ろうとも思わなかった。彼のことが気になり始めたのは画家に転向してからだ。
確か、マルセル・デュシャンの影響で、死んでいた絵画がニュー・ペインティングと称されて、またアートの世界で復活を遂げたころだったか。イラストレーターとして成功していた彼が、絵画という未知の領域に乗り出したことで、なぜか? という思いが湧いた。
でも、何となく、それも素通りして、横尾の作品や本を手にすることはなかった。去年あたりから、ぽつぽつ彼の本を読むようになった。これがおもしろかった。 続きを読む
20世紀を代表する歴史家アーノルド・J・トインビーが、英語版『人間革命』にわざわざ序文を寄せ、
創価学会はすでに世界的出来事である。
と書いたのは1971年のことだ。
当時、創価学会は前年に750万世帯に達したばかりであり、いくつかの国に法人化された組織があったとはいえ、まだSGI(創価学会インタナショナル)も結成されておらず、公明党も結党して10年にも満たない野党だった。
あれから半世紀。今日、創価学会の存在感と影響力は、往時とは比較にならない大きさになっている。 続きを読む
「拳聖」と謳われた松村宗棍(まつむら・そうこん 1809-1899)や糸洲安恒(いとす・あんこう 1831-1915)の流れに位置する知花朝信(ちばな・ちょうしん 1885-1969)が、1933年に命名して開いたのが小林(しょうりん)流である。この流派は、首里手の本流といってよい。
知花は剛柔流の宮城長順(みやぎ・ちょうじゅん 1888-1953)や本土で糸東(しとう)流を開いた摩文仁賢和(まぶに・けんわ 1889-1952)と同世代にあたり、東京で空手普及にあたった船越義珍(ふなこし・ぎちん 1868-1957)より二周りほど下の世代となる。 続きを読む