長嶺将真物語~沖縄空手の興亡 第17回 番外編②(シリーズ最終回) 長嶺将真の弟子群像
草創期の主な弟子たち 戦前、まだ庭先など屋外で稽古するのが普通だった空手の世界で、長嶺が泊(とまり、那覇市)に建てた屋内道場は当時としては珍しいものだった。戦後は牧志(まきし、同市)の仮道場で「松林流」の看板を初めて掲 […]
草創期の主な弟子たち 戦前、まだ庭先など屋外で稽古するのが普通だった空手の世界で、長嶺が泊(とまり、那覇市)に建てた屋内道場は当時としては珍しいものだった。戦後は牧志(まきし、同市)の仮道場で「松林流」の看板を初めて掲 […]
1998年から2006年まで2期8年にわたり沖縄県知事を務めた稲嶺惠一氏は、知事時代の1999年に2回目となる沖縄伝統空手道世界大会を開催し、2005年に「空手の日」を制定したことで知られる。父親の一郎氏は早稲田大学の […]
ハワイで行った平和講演 1995年7月、笹川良一が96歳で死去。長嶺が「空手の琉球処分」(第11回、第12回参照)に巻き込まれる原因をつくった人物の死は、沖縄空手にとって一つの時代を象徴する出来事だった。 8月には、 […]
ゆるやかな統一組織「沖縄空手道懇話会」 全沖縄空手道連盟から国体競技に参加するために分かれた沖縄県空手道連盟。1980年代の沖縄空手界は組織が完全に二分されていた。87年に開催された沖縄海邦国体の空手競技では、沖縄県は […]
全空連の対応の変化 沖縄県空手道連盟(以下「県空連」)ができた後、国体競技に沖縄県が組織的に初めて参加したのは翌年の1982年の島根県で開催された「くにびき国体」(以下「島根国体」)だった。 10月に行われた島根国体 […]