実現した歴史的な広島訪問
1945年8月。当時10歳になったばかりだった私の父は、疎開先の鳥取にいた。広島に「新型爆弾」が落とされたと聞いた数日後、父は鳥取の郊外で貨物列車が白い大きな荷物を運んでいるのを見た。
よく見ると、荷物に見えたのは人間だった。包帯でぐるぐる巻きにされた大勢の兵士たちが、立たされたまま縛られて、京都の陸軍病院へと運ばれていたのだった。 続きを読む
1945年8月。当時10歳になったばかりだった私の父は、疎開先の鳥取にいた。広島に「新型爆弾」が落とされたと聞いた数日後、父は鳥取の郊外で貨物列車が白い大きな荷物を運んでいるのを見た。
よく見ると、荷物に見えたのは人間だった。包帯でぐるぐる巻きにされた大勢の兵士たちが、立たされたまま縛られて、京都の陸軍病院へと運ばれていたのだった。 続きを読む
人類は核なき世界を実現できるか。芸術平和学を研究する田中氏に聞いた。
若いころから「自分だけにしか表現できない作品をつくりたい」と願っていた私は、28歳のとき、サンフランシスコの「国際美術展」へ出展する機会に恵まれました。会場でスピーチを求められた私は、父の被爆体験を語りました。
スピーチを終えると、1人の女性が涙を流しながら駆け寄ってきたのです。 続きを読む