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沖縄伝統空手のいま~世界に飛翔したカラテの源流
第8回 空手の種類 競技・武術・健康

ジャーナリスト
柳原滋雄

もともとの空手にルールはない

 日本の南端に位置する沖縄 から世界に広がった空手は、伝わった時期や伝播経路などによって、多くのバリエーションを持つに至った。
 同じ「カラテ」でも、沖縄伝統空手と、一般的に知られている空手を並べてみると、かなり異なった武術ともいえる。
 沖縄発祥の空手は、「武術空手」や「武道空手」という言葉で括ることができる。平たくいえば「ルールのない空手」であり、命のやり取りをした時代の空手にほかならない。 続きを読む

沖縄伝統空手のいま~世界に飛翔したカラテの源流
第7回 「空手の日」が制定されるまで

ジャーナリスト
柳原滋雄

構想から25年かけて実現

 沖縄県議会で「空手の日」が制定されたのは2005年3月のことだった。【10月25日】を「空手の日」とすることが決議された際の文章は、

 はるか700年のいにしえ、空手はこの地・沖縄で生まれた

の一文で書き起こされ、世界の空手人口がおよそ5000万人と推定されること、沖縄の文化でこれほどまでに広範な広がりを持ち、世界中の人々に影響を与え親しまれている文化はほかにないことなどが書き込まれている。 続きを読む

沖縄伝統空手のいま~世界に飛翔したカラテの源流
第6回 空手普及の功労者(下)船越義珍

ジャーナリスト
柳原滋雄

東京で空手普及に尽力

沖縄出身の富名腰義珍(ふなこし・ぎちん 1868-1957)は、「船越義珍」として空手界に広くその名を残している。
幼少時は虚弱体質で気弱な性格だったといわれるが、10代の初めに同級生の父親で首里手の大家だった安里安恒(あさと・あんこう 1828-1914)に師事して克服した。当時はまだ空手修行は夜陰に乗じて秘密裡に行われていた時代で、毎夜提灯をぶらさげて安里宅との夜道を行き来した。 続きを読む

沖縄伝統空手のいま~世界に飛翔したカラテの源流
第5回 空手普及の功労者(上)糸洲安恒

ジャーナリスト
柳原滋雄

学校教育用に公開された「秘伝の武術」

沖縄における空手の古い歴史は、文献上、検証することができないハンディを抱えている。記録が消失しており、どのような歴史の変遷をたどったかを追うことができないのだ。そのため断片的な記録を三角測量で推測するしか方法がない。多くの史料を薩摩による侵攻時に失ったという説もある。
そうした沖縄で、廃藩置県以前までは、カラテは師匠から弟子に一対一で伝授される「秘伝の武術」にほかならなかった。 続きを読む

沖縄伝統空手のいま~世界に飛翔したカラテの源流
第4回 「沖縄詣で」重ねる空手家たち(下)

ジャーナリスト
柳原滋雄

海外からひっきりなしに訪れる道場

那覇市から車を走らせて約40分。西原町の一角に黄色の原色使いの特徴的な建物が目に入る。正式名称は「沖縄県空手博物館」。1987年にオープンした空手・古武道に関する物品や資料を集めた個人資料館だ。館長を務めるのは、外間哲弘・沖縄剛柔流拳志會会長(ほかま・てつひろ 1944-)である。
ビルの1階が空手道場のスペースになっていて、階段を上った中2階部分が博物館の展示スペースだ。博物館は県立高校教諭だった外間氏が私財を投じて建設した。 続きを読む