連載エッセー「本の楽園」 第141回 ポストという接頭辞

作家
村上政彦

 ポストという接頭辞をやたら眼にするようになったのは、いつのころからだろうか? 僕の記憶では、ポスト・モダンが最初だったか。いまでもポスト・モダンは眼にするが、いっときほどではなくなった。最近はポスト・トゥルースか。何だか人々はポストという接頭辞で、新しい情報を得た気分になっているようにおもえる。
 ポスト・モダンにしても、ポスト・トゥルースにしても、僕が仕事にしている文学と無縁ではないので、そのことについて考えてみる。とりあえず今回はポスト・モダンについてだ。僕は使わないが、ポスト・モダンをポモと略す人がいる。言葉の使い方は人の好き好きなので、別に略してもらってもいいのだが、僕はそういう言葉は使わない。きちんとポスト・モダンという。
 ポスト・モダンの意味は、文字通り、モダンの次だ。しかしこういう流行(思想などにも流行はある!)を追いかけていると、つい、では、その次は何だろうとおもいがいたる。ある高名な批評家に「ポスト・モダンの次は何でしょうね?」と訊いたら、その人は笑いながら、ポスト・ポスト・モダンといった。これは半分が皮肉で、半分が真面目な回答だとおもった。 続きを読む

連載エッセー「本の楽園」 第140回 川崎洋の詩と言葉

作家
村上政彦

 さまざまな言葉がある。信仰の言葉は生死の軸になる。人を救う言葉だ。哲学の言葉は世界を探求するために役立つ。人を聡明にする言葉だ。では、文学の言葉は、どうか? 分かりやすい言い方をすれば、人の心を表現するから、人間を知ることができる。そして、生きるための知恵を与えてくれる言葉だ。
 僕は小説家なので、小説書くために、ほかの小説家の書いた小説を読む。これはマーケティングだ。どのような小説が書かれていて、どのような小説が書かれていないか、知っているといないとでは、大いに自分の書く小説が違ってくる。
 誰もが書いている主題や物語や人物など書いても、おもしろくない。誰も書いていないものを見つけなければ、小説家として生き残ることはできないのだ。そこがビジネスの世界と文学・芸術が違うところだ。
 どれだけ村上春樹が読まれていても、世界に村上春樹は2人もいらない。1人で十分だ。大学やネットの通信講座で小説の書き方を教えていると、必ず、その時期に流行している小説に似た作品を書いてくる人がいる。
 最初から小説の書き方が分かる人はいない。だから、自分が好きな小説家の真似をする。それは仕方のないことだ。ただ、世に出て行く人と、足踏みをしている人の差は、その先にある。 続きを読む

21世紀が求める宗教とは④――人類を結び合う信仰

ライター
松田 明

現代における世界宗教の条件

 スペイン語は世界21カ国で公用語となっており、話者数では中国語、英語に次いで多い(文科省データ「世界の母語人口」)。
 カルロス・ルビオ博士はスペインにおける言語学と翻訳理論の権威で、日本文学・文化研究の第一人者としても知られる。『プエルタ新スペイン語辞典』(研究社)、『クラウン和西辞典』(三省堂)など数多くの書籍の著述編纂に関わってきた。
 東京大学客員教授だった時期に創価学会の書籍の翻訳に携わった経験があり、2004年から2012年にかけてスペイン語版『御書』や『法華経』の総合監修者も務めた。
 博士は、世界宗教の特徴・条件として、①宗教的メッセージの普遍性、②権力から独立して、そのメッセージを伝える力、を挙げる。
 そして、現代における世界宗教のさらなる条件として、③多様な文化への適応性、④その宗教が放つメッセージのなかに「平和」「寛容」「対話」という要素が含まれていること、を挙げている。

 異なる文化を理解し、それに対応することができる創価学会は、メンバー間の交流がさらに増す中で、真の世界宗教に発展するであろうと確信します。(カルロス・ルビオ博士『21世紀の創価学会論 識者が見た未来への希望』潮出版社)

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21世紀が求める宗教とは③――「教団」に属することの意味

ライター
松田 明

スピリチュアルに流れる日本人

 NHK放送文化研究所が1973年から5年ごとに継続して実施(直近は2018年実施)している「日本人の意識」調査が、興味深いデータを示している(第10回「日本人の意識」調査 結果の概要)。
「ふだんから、礼拝、お勤め、修行、布教など宗教的なおこないをしている」「おりにふれ、お祈りやお勤めをしている」という人の割合は総じて減少傾向にあり、73年には合わせて約3割だったのが、18年には約2割になっている。なんらかの信仰を自覚的に持って実践している人の割合は、緩やかに下降しているようだ。
 一方で、「この1、2年の間に、身の安全や商売繁盛、入試合格などを祈願しにいったことがある」「お守りやおふだなど、魔よけや縁起ものを自分の身のまわりにおいている」「この1、2年の間に、おみくじを引いたり、易や占いをしてもらったことがある」(複数回答可)は、45年間を通して増加のトレンドが見られる。
 ちなみに「宗教とか信仰とかに関係していると思われることがらは、何も信じていない」という人は、多少の増減を繰り返しながらも大きな変化はなく、73年も18年も約3割だった。 続きを読む

21世紀が求める宗教とは②――中間団体としての信仰共同体

ライター
松田 明

震災で発揮された学会の真価

 宗教が社会に何を果たし得るのか。そのことが大きく問われた出来事のひとつが、東日本大震災だった。
 被災地の各地では、神社や寺院が地域住民の一時避難所となって多くの命を守った。創価学会の場合も、気仙沼や大船渡では会館の1階まで津波で浸水するなか、人々は2階に逃れて九死に一生を得た。
 会員であるなしを問わず被災者を受け入れた各会館は、同時に救援活動の拠点となり、発災直後からフル回転している。
 通信手段が途絶え、行政の機能がほとんど失われたなかで、創価学会では即座に自発的な救援活動がはじまっている。被災地域(岩手・宮城・福島・茨城・千葉)の創価学会は、42会館で最大5000人の避難者を受け入れた。全国各都道府県の創価学会も、即座に救援物資やボランティアの派遣に動いている。 続きを読む