連載エッセー「本の楽園」 第148回 書こうとしない「書く」教室

作家
村上政彦

 なんとなく気になる小説家がいる。作品を読んでもいないし、会ったわけでもない。いしいしんじ――みなさん、知っていますか? 僕は、書店をパトロールしているときに、彼の本を見つけて(手には取らなかったけれど)、いつか読むことになるだろうと直感した。
 ある日、なんのきっかけだったか、アマゾンで数冊、いしいの小説を買った。読んでみると、なぜか懐かしい。むかし読んだ気のするような作品ばかりだった。それから僕は、いしいしんじの隠れファンになった(きょう初めて発表しました!)。
 新刊が出たことを新聞のインタビュー欄で知った。『書こうとしない「書く」教室』。さっそく買って読んでみた。出版社のオンライン講座として収録した話をもとにしているので、とても読みやすい。
 午前の部は、1時間目から3時間目まで。ここで語られるのは、いしいの来し方だ。会社員だったとき、処女作の出版が決まって、二足の草鞋を履いた、と喜んでいたら、急に胸が苦しくなって、見たら、おばあちゃんが乗っていて、2本の指を出している。
 二足の草鞋はだめなんだとおもって、その日、会社を辞めた。それから専業作家になって、読んでいるとき以外は、いつもノートになにか書いている。理由は、「かゆみ」。自分と世の中の境界が、かゆい。それをかきむしるのは、文字であり、言葉だ。 続きを読む

書評『バカロレアの哲学』――フランスの哲学教育とそれを支える理念に学ぶ

ライター
小林芳雄

フランスの高校生が受ける哲学教育とは

 バカロレア試験とは、フランスの高校生が卒業時に受ける試験である。この試験に合格した学生には高校卒業資格と同時に大学入学資格も授与される。その起源は古く、ナポレオンが皇帝であった1808年にまで遡る。それ以来、幾多の制度改革が行われ、今日まで続いている。
 この試験のなかで大きな比重を占めるのが、哲学の試験だ。生徒たちは高校の3年次、必修科目として、週4時間の哲学の授業を受け、その1年間の学習の成果をバカロレア試験で問われることになる。しかも1科目に対する試験時間が日本とは比較にならないほど長く、なんと、哲学だけで4時間の筆記試験が行われるという。驚くのはその形式だけではなく、試験問題の内容だ。本書の冒頭では過去に出題された問題が紹介されている。 続きを読む

連載エッセー「本の楽園」 第147回 物語の役割

作家
村上政彦

 かつてこのコラムで書いたかも知れないけれど、作家デビューする前の僕は、フランスのヌーボーロマンなどの影響で、前衛的な小説を書いていた。写真とキャプションを組み合わせて、これが自分の小説だと胸を張っていた。
 ところが、僕は前衛から降りた。きっかけは物語だ。ヌーボーロマンなどの前衛は、物語を否定した。僕は、物語こそが、小説のいちばんおいしいところではないか、と考えた。前衛は、「小説の死」を主張していたが、僕は、小説は死んでも、物語は死なない、という結論に達した。それで前衛を降りて、物語を書き始めた。
 物語とは何か? これは一言では片づけられない。人間は世界を物語として認識する。たとえば、今日一日。もっと長いスパンでとらえれば、自分の生涯。人間は、始まりがあって、途中の過程があって、結末がある、というかたちで、さまざまな出来事を整理する。
 だから、小説家でなくても、人間であるかぎり、誰もが物語をつくっているといえる――というようなことを考えていたら、こんな本と出会った。『物語の役割』。著者は、『海燕』新人文学賞で、僕より少しあとにデビューした小川洋子だ(いまや欧米の読書界でも活躍している)。 続きを読む

立憲・泉代表のブーメラン――パフォーマンス政党のお粗末

ライター
松田 明

公明党の出した「再給付案」

 政界で「ブーメラン」と言えば立憲民主党。その立憲民主党・泉健太代表の〝ポンコツ発言〟に、党内からも批判と溜め息が出ている。
 ことの発端は、3月8日に公明党が記者会見で示した物価高への追加対策だった。
 順を追って説明する。
 ロシアによるウクライナ侵攻の影響で、世界的に燃料費や食料品価格が高騰。昨年10月に政府が閣議決定した総合経済対策には、公明党の主張が数多く反映された。12月に成立した今年度第2次補正予算には、電気・都市ガス代の負担軽減策など、公明党が政府に強く訴えてきた数多くの支援策が盛り込まれている。
 たとえば電気・都市ガス代は1月使用分(2月請求分)から値引きされ、燃料補助金によってガソリンの店頭価格も本来より30円安い170円程度に抑制されている。
 2023年度政府予算案でも、政府は新型コロナ・物価高対策予備費に4兆円を確保。出産育児一時金の50万円への引き上げなど、公明党の主張が随所に反映された。人々の生活のどの部分に特にしわ寄せがきているか、全国に張り巡らされた公明党の地方議員のネットワークは、どの政党よりも敏感に「声」をキャッチできる。 続きを読む

『摩訶止観』入門

創価大学教授・公益財団法人東洋哲学研究所副所長
菅野博史

第6回 序分の構成と内容(3)

[5]三種の止観――漸次止観・不定止観・円頓止観

 師資相承に続いて、智顗(ちぎ)が南岳慧思(なんがくえし)より相承した三種止観について述べている。三種止観とは、漸次止観、不定止観、円頓(えんどん)止観のことである。いずれも実相を対象として観察する大乗の止観である。
 漸次止観とは、浅いものから深いものへ、低いものから高いものへというように、しだいに修行して、最後に実相を体得する止観をいい、『釈禅波羅蜜次第法門』(『次第禅門』と略称する)に詳しい。
 不定止観とは、これに漸次止観、円頓止観と異なる特別な行法があるわけではなく、円頓止観と漸次止観の二つの止観を前後不同に用いたり、浅い行法を深く、深い行法を浅く用いたりするような自在な活用を重視する止観である。これは、『六妙法門』に説かれる。
 円頓止観についての説明箇所は、「円頓章」と呼ばれて、『摩訶止観』の真髄を説いた部分として尊重されてきた。円頓止観とは、浅きより深きに次第する漸次止観とは逆に、修行の最初から最も深く高い実相を対境として修する止観であり、この円頓止観を説いたものが、『摩訶止観』10巻にほかならない。
 序分では、この円頓止観について、円の法、円の信、円の行、円の位、円の功徳によって自ら荘厳すること、円の力用によって衆生を建立(救済)することの六つの視点から詳しく考究している。つまり、円の法を聞き、それを信じ、修行し、それによって位を昇り、自行・化他に励む在り方を説明している。
 次に要点を説明する。 続きを読む