連載エッセー「本の楽園」 第55回 老年の力

作家
村上政彦

このところお年寄りが元気だ。文学・芸術の領域では、80歳になっても現役で働いている人が少なくない。もちろんそれは、医学の発達や人々の健康への意識が向上していることと無関係ではない。ただ、クリエイティブな仕事が長命と関係しているのではないか、と横尾忠則は考えた。
そこで80歳を超えたその道の大家らにインタビューを申し込み、3年がかりで対談集としてまとめたのが本書だ。横尾は、クリエーターには、肉体年齢と芸術年齢とがあり、両者が乖離しているあいだは健康なのだが、いつかそれが一致するときがくる、という。
彼の場合は70歳のときがそうだった。突然、顔面神経麻痺や帯状疱疹に襲われ、芸術年齢は若いつもりでいたが、肉体年齢は違うことを思い知らされた。そこから老年の意識が始まった。
横尾は対談の相手に、その質問を投げかける。いつ、老いを意識したのか? 冒頭に登場する小説家の瀬戸内寂聴は93歳(対談当時)。

 私は自分が九十三歳だなんて、本当に信じられない!

つまり、彼女は、あまり老いを意識していない。次に登場する建築家の磯崎新は86歳。
横尾が60歳から70歳まで老人の意識はなかったかと問うと、

 老人っていうのは、なかなか考えつかなかったですね。

と応える。その次の画家の野見山暁治は97歳。

 僕はですね、自分で齢をとったという自覚がないんですよ。

という。写真家・細江英公(84歳)、俳人・金子兜太(98歳)、画家・李禹煥(81歳)、作家・佐藤愛子(94歳)、映画監督・山田洋二(86歳)、音楽家・一柳慧(84歳)など、ほかの対談の相手も、ほぼ同じことをいっている(すべて対談当時の年齢)。
つまりは、老いを意識しない。それも無理に追い払うのではなく、仕事に取り組むことで自然と忘れてしまうということか。それで彼らは若々しいのだ。
対談を終えた横尾の結論は、

 老化というと、身体が動かなくなってくるというふうに一般的には捉えられがちですが、そうではなくて、老化とともに脳の支配から離れて、身体そのものが動き始める。

対談した人々は、

 年齢とともに、身体感覚というか、身体知性というか、そういうものに自分の創作行為や芸術活動を委ねていこうとしておられるように感じました。

という。それなら老いは、創作活動をより本源的な方向へ向ける力になる。
それぞれ専門を持った人々なので、言葉には重みがあって、頷かされることが多い。たとえば、かつてこのコラムでも取り上げたことのある俳人の金子兜太さん。なぜ、俳句をやってきたか?

 本当に自分が生きるための場所をつくってきたような、そういう気持ちで俳句をやってきた。

今年、金子さんは亡くなったが、この言葉には含蓄がある。実に、味わい深い。文学・芸術に携わるものは、みな、そういう気持ちで仕事をしているのではないか。僕は、この1行に出会っただけでも、本書を読んだ甲斐があるとおもった。
人は誰もが老いる。このような先輩たちがいるのを知って励まされる人は、少なくないだろう。僕も、そのひとりである。

お勧めの本:
『創造&老年 横尾忠則と9人の生涯現役クリエーターによる対談集』(横尾忠則/SB Creative)


むらかみ・まさひこ●作家。業界紙記者、学習塾経営などを経て、1987年、「純愛」で福武書店(現ベネッセ)主催・海燕新人文学賞を受賞し、作家生活に入る。日本文芸家協会会員。日本ペンクラブ会員。「ドライヴしない?」で1990年下半期、「ナイスボール」で1991年上半期、「青空」で同年下半期、「量子のベルカント」で1992年上半期、「分界線」で1993年上半期と、5回芥川賞候補となる。他の作品に、『台湾聖母』(コールサック社)、『トキオ・ウイルス』(ハルキ文庫)、『「君が代少年」を探して――台湾人と日本語教育』(平凡社新書)、『ハンスの林檎』(潮出版社)、コミック脚本『笑顔の挑戦』『愛が聴こえる』(第三文明社)など。