【コラム】「異教」のなごり――異なる者への敬意が多様性の花を咲かせてきた

ライター
青山樹人

日本史に入り込んだヘラクレス

 クリスマスはキリストの降誕を祝う祭祀だが、じつは新約聖書にはその具体的な「日付」がいつだとは出てこない。それで12月25日がクリスマスになったのは、キリスト教が小アジアに伝播していく途中で、おそらくそれらの地域にあった冬至の祭祀と習合していった結果だろうといわれている。
 農耕社会ではなによりも太陽の恵みが重要である。キリスト教がローマ帝国の公認になる以前、古代ペルシャや周辺地域では太陽神ミトラスへの信仰が盛んだった。1年で一番日照時間が短くなる冬至は、そこから再び日照時間が伸びていく分岐点、太陽が再び生まれる日でもある。そのミトラス信仰の「太陽の誕生日」がクリスマスの原型だというわけだ。この説は、あのダン・ブラウンのベストセラー『ダ・ヴィンチ・コード』にも紹介されていたと思う。
 なるほどなあと思うのは、日本の仏教行事として定着している春と秋の「彼岸会」も、もともと仏教の思想とは関係がないからだ。あきらかに農耕社会における春分と秋分、つまり夏至と冬至の中間にあたる太陽祭祀にルーツがあるのだろう。いつどこで仏教に取り入れられたのかはわからないが、仏教は西域を経由して中国に入っており、これもあるいは同地にあったミトラス信仰の影響を受けたのかもしれない。

 そもそもの話をすれば、「仏像」を生んだのも異文明との遭遇が契機なのだ。仏教の後継者たちは、ブッダが目覚めた「法」の象徴として転法輪という車輪の図柄を刻むことはあっても、ブッダの姿を形にすることはしなかった。
 私たちが知るような仏像が造られるようになったのは、今のアフガニスタンからパキスタンにまたがって紀元前後に栄えたガンダーラである。ペルシャやシリアの影響下にあった同地には、紀元前327年のアレクサンドロス東方遠征を契機にギリシャ系の人々が入り込んだ。そこからもたらされたギリシャ文明との出会いが仏像を生んだのである。仏僧ナーガセーナとの対話篇「ミリンダ王の問い」で有名なメナンドロスⅠ世は、紀元前150年頃にこの地を支配したギリシャ人の王で、仏教に帰依している。
 ガンダーラ仏教美術の中には、ギリシャ神話で地球を支える神とされるアトラスの像が見られるほか、驚くことにギリシャ神話の英雄ヘラクレスを脇侍とした仏像も存在する。端座するブッダの隣を守護するように、ギリシャ彫刻そのままの髭面で筋骨隆々の半裸のヘラクレスが、右手に棍棒を握って立っているのである。
 アフガニスタン東部にあったハッダの仏教遺跡には、それこそ見事なヘラクレス像がブッダの脇侍として置かれていたが、惜しいことにソ連のアフガン侵攻の時期に爆撃されて失われてしまった。
 この仏教に取り入れられた〝ヘラクレス〟は、遠く日本にも伝わった。東大寺法華堂に秘仏として奈良時代から伝わっている執金剛神像は、大陸風から日本風に仏教美術が移行した初期の傑作だ。それでも右手に武器を握り腰をひねった立ち姿であり、太い首や腕にはリアルな血管が浮き出て、頭髪にはウエーブがかかっている。
 執金剛神像は甲冑を着けた単身の武将姿になっているが、やがて寺院の門で外敵を威嚇する2体の金剛力士像(仁王像)が造られるようになると、武器や甲冑は消えてヘラクレスさながらの筋骨隆々たる裸身の男性像になっていく。ギリシャ神話の英雄は、意外な姿になって日本史の中に入り込んでいたのである。

茶の湯とカソリックの類似性

 日本史の中に入り込んだ「異教」は他にもある。たとえば16世紀に千利休によって完成された「わび茶(茶道)」に、カソリックのミサの様式との類似点がいくつも見られるというのはよく知られた話だ。
 1522年に堺の倉庫業者の家に生まれた利休が、本格的な茶道の改革に取り組み始めるのは1540年頃。イエズス会の宣教師フランシスコ・ザビエルが種子島に着いたのは1549年で、翌1550年暮れには堺に入っている。イエズス会はカソリックの男子修道会だ。
 関西の玄関口であった港町・堺では、ほどなく多くのイエズス会宣教師が活動するようになり、利休と親しい豪商の中にはカソリックに改宗して邸内に南蛮寺(教会)を建てる者も出るようになる。利休の身内でも改宗者がいたという伝承がある。
 カソリックの重要な宗教儀式であるミサは、キリストの「最後の晩餐」を踏まえ、パンをキリストの身体に、ぶどう酒をキリストの血になぞらえて司祭と信徒で分かち合う。小麦粉を丸く薄く焼いたパンを取り分け、器に注がれたぶどう酒を回し飲む聖体拝領といわれる典礼である。
 茶道でも、まず器に盛られた菓子が客の間で順に取り分けられ、濃茶の場合は碗に練られた濃いめの茶を客たちが順番に回し飲む。ミサでは司祭を助祭が補助し、茶席では半東と呼ばれる補佐役が主人と客の間でセレモニーを進める。
 聖体拝領ではプリフィカトリウム(聖餐布)という折りたたまれた布が用意され、ぶどう酒が注がれたカリス(聖杯)に添えたり、このカリスを水ですすいだ後で拭き清める際に用いられる。茶道でも客は茶碗の飲み口を懐紙で拭いて次の客に回し、最後に主人のもとにもどされた茶碗は、湯を注いで洗い清め、折りたたまれた茶巾で拭く。
 もちろん、まもなくキリスト教は日本で禁教になるわけで、表立って茶道とカソリックを結びつける記録などはないし、利休自身がカソリックに改宗したような形跡もない。だが利休は当然のようにミサのセレモニーを知っていただろうし、これほどまでの茶道とミサの様式の類似を偶然だというほうが説得力に欠ける。茶道の家元の中にも、両者の類似を指摘する人は少なくない。

 異なる文化、異なる宗教が、そこにある文化や宗教に影響を与え、取り込まれていった事例は、世界の歴史の中にいくつもある。もちろん、政治的な思惑で進められた融合もあっただろうが、根本的には人々の異文化に対する〝敬意〟が不可欠だっただろうと私は思う。敬意を抱けない相手の文化や宗教を、自分たちの文化や宗教に取り入れることは考えられないからだ。
 見たこともないもの。そこに営々と費やされてきた名も知らぬ人々の努力。育まれてきた物語。その〝他者への敬意〟のまなざしがあったからこそ、それらは受け容れられ、新しい装いになりつつも、やはり人々に愛され、長い歳月を受け継がれてきたと思うのだ。

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あおやま・しげと●東京都在住。雑誌や新聞紙への寄稿を中心に、ライターとして活動中。著書に『宗教は誰のものか』(鳳書院)など。