連載エッセー「本の楽園」 第126回 つげ義春の文章

作家
村上政彦

 僕の作家生活が始まったのは、郷里の実家の近くにある鈴木書房だった。まずはそこに通い詰めて漫画少年になった。僕が物心ついたころは、創刊したばかりの週刊漫画雑誌が熱かった。いつも読んでいるものに、『少年マガジン』、『少年サンデー』、『少年ジャンプ』、『少年チャンピオン』、『少年キング』があった。
 いま残っているのは、『少年マガジン』、『少年サンデー』、『少年ジャンプ』、『少年チャンピオン』。『少年キング』はちょっと刺激が少なかったが、そのうち休刊になった。月間漫画雑誌で読んでいたのは、『ぼくら』と『冒険王』。これも休刊になった。
 僕がこのような漫画雑誌を読んでいたころ、平棚で異質な漫画雑誌を見つけた。僕がいつも読んでいるマガジンやサンデーとは、表紙からして違う。全体に暗い。雑誌の名は、『ガロ』とあった。好奇心の旺盛な僕は、手に取って読んでみた。
 違うのは表紙だけではない。漫画そのものが違う。僕は迷った末に買った。家に帰って読んでみたら、分からないことが多い。しかし、なぜだか引きつけられた。『ガロ』は、いつも店にあるとは限らなかった。いや、ないことのほうが多かった。
 本屋のおじさんに訊いてみたら、入って来る部数が少ないから、という返事があった気がする。そこで僕は、つげ義春の作品と出会っていた。そのころはファンだったとはいえない。よく分からない漫画を描く作家、という印象があった。
 しかし、その後になっても、絵のタッチは水木しげるに似ているが(のちになって彼が水木のアシスタントをしていたことを知った)、その世界は、つげ義春の漫画としかいえないオリジナリティーがあって、ずっと気になる漫画家だった。
 いつだったか彼が文章を書いていると知った。『新版 貧困旅行記』『つげ義春日記』を取り寄せて読んでみた。

 旅日記は紀行なのだが、冒頭の「蒸発旅日記」は私小説といってもいい。昭和四十三年の初秋、「私」は二、三度手紙のやりとりをしただけの、福岡県の病院に勤める看護婦と結婚するつもりで間借りをしていた部屋を出た。相手の看護婦は離婚経験があって、つげの漫画のファンだという。
 所持金20数万円。あとは時刻表。途中、名古屋辺りからやっぱりやめるかと迷い出したが、「鬱々とした日」から逃れたかった私は、蒸発する思いで小倉行きの列車に飛び乗った。
 その夜、病院に住み込んでいるS子は不在で会えなかった。翌日、パチンコをしたり、本屋を覗いたり、小倉の街をうろうろしているうちに、東京からの不安と緊張がいっぺんに解けた。
 S子と連絡がついて会った。小柄で瘦せ型の美人。私が家出してきたことにも驚かず、歓迎しているらしい、しかし、どこかしっくりいかぬものを感じる。彼女と話し込んでいたら疲れてきて眠りたくなった。S子は、無断外泊はできない、また来週の日曜日に、と帰って行った。
 私は3日のあいだパチンコをし、間が持てずに温泉旅行に行った。湯平の大きな旅館の別館でストリップをやっていた。踊り子は30歳前後の女。ベレー帽をかぶった初老のマネージャーがついていた。客は私ひとり。女は侘しい舞台の上で演歌調の曲に合わせて踊った。
 舞台が終わったあと、3人で話した。私はこの人たちと一緒にドサ回りをするのもいいな、とおもったが、景気が悪いし、しばらくこの温泉の契約が残っているというので諦めた。
 翌日は杖立温泉へ行ってストリップ小屋に入った。そこの若い踊り子と宿を取って一夜を共にした。朝、眼醒めると踊り子はいなくなっていて、私の服んだ睡眠薬の効能書きの裏に、「文通がしたいのでお便り下さいませ」と住所がメモしてあった。
 日曜の7時にS子が来て、今夜は泊まれるといった。私は彼女と結婚していいものか迷いながら一緒に寝た。S子は翌日の夕刻、いったん東京へ戻ってよく考えてから出直して欲しいと病院へ帰った。
 私は帰京してからも家に帰らず神田の旅館に泊まって考えたが、これでは蒸発にならないとおもった。S子からは何度か便りがあったが、返信をしなかった。現在の私は、妻子のある身の上だ。しかし、いまも蒸発を続けていると、ふとおもうことがある。
 文章の調子は嫌々書いたようで、味気ない。ただ、その味気なさの中にある、侘しさや感傷が、独特の味になっている。不思議な文章だ。ときおり挿入される旅の写真は、恐らくつげが撮ったものだろう。彼の漫画そのものの印象だ。
 生活のために書いたという日記は、こんなふうだ。

十月十三日
 近所の多摩川の土手下に、貧しい人たちの住居が密集している。正助をつれマキと三人で散歩する。
 この一角に踏入ると心がなごむ。朽ちかけた家々、雑草、水たまり、迷路のような路地、終戦後のバラック生活そのままのたたずまい。この貧しさに惹かれる自分の心が分析できない。故郷のような懐かしさ、安息を覚えるのは何故か
―昭和五十一年―

 感傷的な甘い侘しさ――つげ義春の文章には一貫してそれがある。

お勧めの本:
『新版 貧困旅行記』(つげ義春著/新潮文庫)
『つげ義春日記』(つげ義春著/講談社文芸文庫)


むらかみ・まさひこ●作家。業界紙記者、学習塾経営などを経て、1987年、「純愛」で福武書店(現ベネッセ)主催・海燕新人文学賞を受賞し、作家生活に入る。日本文芸家協会会員。日本ペンクラブ会員。「ドライヴしない?」で1990年下半期、「ナイスボール」で1991年上半期、「青空」で同年下半期、「量子のベルカント」で1992年上半期、「分界線」で1993年上半期と、5回芥川賞候補となる。他の作品に、『台湾聖母』(コールサック社)、『トキオ・ウイルス』(ハルキ文庫)、『「君が代少年」を探して――台湾人と日本語教育』(平凡社新書)、『ハンスの林檎』(潮出版社)、コミック脚本『笑顔の挑戦』『愛が聴こえる』(第三文明社)など。