第三文明文化講演会「ベートーヴェンと高田博厚」が埼玉県内で開催された(10月26日)。このたび第三文明選書として復刊されたロマン・ロラン『ベートーヴェン』の訳者である彫刻家・高田博厚を記念するもので、同書の解説を記した伊藤貴雄氏が講師をつとめた。
講演会には、高田の彫刻作品を多数所蔵する埼玉県東松山市を代表して、森田光一市長からメッセージが寄せられ、吉澤勲教育委員会教育長をはじめ多数の来賓が参加した。以下に伊藤氏の講演要旨を紹介する。
Ⅰ 息を吹き返した翻訳
今から一世紀前の1926年、日本で一冊の翻訳書が刊行された。ロマン・ロラン著『ベートーヴェン』(原題『ベートーヴェンの生涯』)。訳者は当時26歳の彫刻家・高田博厚である。折しもベートーヴェン没後100周年を迎える直前であった。

第三文明選書として復刊した『ベートーヴェン』
約半世紀後の1977年――没後150周年の年――、同書は第三文明社レグルス文庫として再刊され、さらに本年(2025年)、第三文明選書として三度目の復刊が実現した。三たび世に出たこの一冊は、単なる翻訳の再生ではない。時代ごとに「人間の精神的自由とは何か」を問い直す声が、この書を呼び戻してきたのである。
今回の復刊には特別な縁がある。筆者の勤務する創価大学では昨年、「ベートーヴェンと《歓喜の歌》展」を開催し、《第九》交響曲ウィーン初演200周年に合わせて、同大学所蔵のベートーヴェン直筆書簡(1815年9月、ブラウフル宛)を公開した。その際、同⼤学創⽴者・池⽥⼤作先⽣(以下、池田)が19歳のときの読書ノート――高田訳『ベートーヴェン』の抜粋――も展示した。
展示は大きな反響を呼び、来場された第三文明社・松本義治社長の提案によって復刊が動き出した。難読漢字にはルビが施され、図版も多数挿入されるなど、若い読者にも開かれた新装版として刊行された。100年前の言葉が、ここに再び息を吹き返したのである。
Ⅱ 国際的彫刻家・高田博厚
高田博厚(1900-1987)は石川県鹿島郡矢田郷村(現・七尾市岩屋町)の出身である。18歳で上京し、彫刻家・高村光太郎と出会い、彫刻が自己を鍛え、世界を理解するための思索の営みであることを学んだ。
26歳のとき、高田はロマン・ロランの『ベートーヴェン』を翻訳する。彼にとってベートーヴェンは、芸術と倫理、個人と社会、自由と責任の緊張を全身で引き受けた人間の象徴であった。翻訳とは単なる言語作業ではなく、彫刻のように思想を刻む行為でもあった。
1931年、高田はフランスに渡る。文学者・片山敏彦の紹介でロラン本人と対面し、ロランは高田の彫刻に深く心を動かされ、自身の胸像制作を依頼した。ロランが他者に彫像を託したのはこれが初めてである。以後、1944年のロラン死去まで交流は続いた。
近年、フランス国立図書館で往復書簡が発見され、高田がロラン最晩年まで厚い信頼を得ていたことが確認された(高橋純編訳『高田博厚=ロマン・ロラン往復書簡 回想録『分水嶺』補遺』吉夏社、2021年)。芸術を媒介にした対話が生む精神的連帯の深さを示す稀有な例といえよう。
高田の代表作は、埼玉県東松山市の「高坂彫刻プロムナード」に常設されており、駅から約1キロメートルにわたり道路の両側に並ぶ。また福井市美術館、安曇野市美術館、みしまプラザホテルでも鑑賞できる。
Ⅲ ヨーロッパの良心 ロマン・ロラン

埼玉県東松山市所蔵のロマン・ロラン像(高田博厚、1961)
ロマン・ロラン(1866-1944)は、長編小説『ジャン・クリストフ』でノーベル文学賞を受賞した作家であり、反戦平和主義者として「ヨーロッパの良心」と称された人物である。パリ大学で音楽史を講じ、ベートーヴェンの交響曲全曲を聴いた体験から、1903年に『ベートーヴェンの生涯』を著した。
ロランにとってベートーヴェンは単なる音楽家ではなく、宗教を超えて人間の内的自由を体現した「精神の英雄」であった。芸術を人間精神の精華と捉えるロランは、芸術家を、社会的責任を負う存在として描いた。
第一次世界大戦が勃発すると、ロランはスイスに亡命し、戦争に加担しない立場を貫いた。その姿勢は戦時下のヨーロッパで激しい非難を受けたが、ロランは沈黙せず、人道主義の言論を発し続けた。この道徳的勇気は、ガンジーやタゴールからも深い共感を呼んだ。
高田はこのロランに出会い、「芸術と良心の結合」という理想を体現する師を得たのである。
1931年、ロランのもとをガンジーが訪ねた際、ロランは唯一の同席者として高田を招いた。そしてその場でガンジー像の制作を依頼する。高田は粘土を手に、ロランとガンジーの対話を聞きながら、その顔を刻んだ。ガンジー像はタゴール像と並び、高田芸術の象徴であり、東西の精神的交流を物語る記念碑である。
Ⅳ 響き合う魂、幻の録音
『ベートーヴェン』の中でロランは、芸術とは感覚の遊戯ではなく魂の訓練であると説き、ベートーヴェンを「自らの苦悩を通して歓喜を創造した人」と呼んだ。その音楽を人間の道徳的勝利として描いた。
高田はこの思想に深く共鳴した。1928年改訂版の「訳者序」で、彼はこう述べる。「彫刻家としての私にロダンが不断に高い指標であるように、ロランは私の心を訓練する変ることない師である」
この一文には、芸術家として生きる覚悟とともに、芸術を通して自己を鍛える求道者の精神が息づいている。ロランの文学がベートーヴェンの音楽を言語化したように、高田の彫刻はロランの思想を形象化した。表現の手段こそ異なるが、両者はともに「生の指標」を求める一点で響き合っている。
第二次世界大戦期、高田はロランのピアノ演奏を録音しようと願い、ロランも異例ながら同意した。しかし戦局の悪化により、高田は日本人であったため送還され、計画は幻に終わった。
ところが高田晩年のエッセーには興味深い記述がある。1957年、日本に戻った高田は、旧友・片山敏彦の所蔵する1935年パリでのロラン演説レコードを聴いたが、その中にはロランが約30秒ピアノを弾く音源が残っていたという(「ロマン・ロランのピアノ演奏」)。
ロランのピアノ演奏は、どこかに実在する可能性が高い。もし情報をお持ちの方がいれば、ぜひご教示いただきたい。ベートーヴェン演奏史上、きわめて貴重な記録であり、歴史的発見となるだろう。
Ⅴ 「ハイリゲンシュタットの遺書」をめぐって
ロランと高田がとりわけ心を打たれたのが、ベートーヴェンの有名な「ハイリゲンシュタットの遺書」である。
1801年、聴覚を失いつつあった31歳のベートーヴェンは、死後に開封されることを想定し、弟たちに宛ててこう書いた。
『芸術』が、ただこれのみが、私を支えてくれた。ああ! 私が自分に課したと感じたものを残りなく果しきるまでは、この世を見棄てることは許されないように思われた。(高田訳)
これを、のちに高田の友人・片山敏彦は次のように訳している。
私を引き留めたものはただ『芸術』である。自分が使命を自覚している仕事を仕遂げないでこの世を見捨ててはならないように想われたのだ。(片山訳)
二つの訳はどちらも秀逸だが、語り口には差がある。片山訳はベートーヴェンの強靭な自我を感じさせ、高田訳は超越的な力への信頼をにじませる。高田にとって芸術とは、人間の手を通して働く魂の力であった。ゆえに彼の彫刻には、つねに祈りのような静謐さが宿る。
ベートーヴェンは上記の遺書を書いたのち、むしろ以前より激しい創作期に入る。《英雄》《熱情》《運命》《田園》《皇帝》《エグモント》――これらはすべて、死の危機を越えた後の十年間に生まれた。ロランはこの時期を「傑作の森」と呼び、その音楽を苦悩の輝かしい昇華として論じた。
Ⅵ 苦悩を通じての歓喜(Durch Leiden Freude)

高坂彫刻プロムナード(埼玉県東松山市)
ベートーヴェンの生涯を貫くとされる言葉「Durch Leiden Freude」は、ロランが全著作を通して追い求めた理念であった。日本では一般に、片山敏彦の「悩みをつき抜けて歓喜に到れ!」という訳で知られていよう。
高田はこれを「悩みを通じての歓喜」と訳した。この訳からは次のような含蓄がうかがえる。単なる感情的克服ではなく、苦悩のただ中から歓喜を生み出す生命の運動。苦しみから逃げるのではなく、それを抱きしめて歩むこと──そこにこそ真の歓喜がある、と。
高田の芸術もまた、この思想を体現している。硬い石の抵抗を受けながら形を彫り出すその手は、「悩みを通じて歓喜を」創造する手であった。
ベートーヴェンの《第九》における「歓喜の歌」は、この理念の音楽的頂点である。彼はシラーの詩に基づき人類の兄弟愛を歌い上げつつ、第四楽章後半では詩を自由にアレンジし、宇宙に遍満する宗教的秩序による包摂を描いた。
この創作の背景には、哲学者カント(1724-1804)の宇宙論と倫理学もあったと考えられる。カントは『天界の一般自然史と理論』で宇宙を「星雲の生成」として捉え、その運動原理をモデルに人間が道徳的成長を遂げることを「心術の革命」と呼んだ。ベートーヴェンはこの思想に共鳴し、個人の苦悩を宇宙的秩序へ昇華する音楽を書いたといえる。
この宇宙的・宗教的スケールの大きさを、ロランも高田もベートーヴェンの内に見ていた。彼らを貫いているのは、宗派を超えた普遍的倫理の探求にほかならない。
Ⅶ 若き池田大作の読書
1946年、戦後の焼け跡の中で、高田訳『ベートーヴェン』を手にした青年がいた。19歳の池田大作である。池田は「雑記帳」と名づけた読書ノートに、その冒頭部分を二度書き写した。次の一節である。
老いたるヨーロッパは鈍重な汚れた空気の中に麻痺している。――窓を開け放とう。自由な空気を入らしめようではないか。英雄の息ぶきを呼吸しようではないか
敗戦直後の日本で、この言葉は池田にとって単なる文学ではなかった。ロランのいう「英雄」とは、戦争の勝者ではなく、日々の苦悩を背負いながらも人間の尊厳を守る者である。大人たちの欺瞞と虚無の中で、池田は「心の英雄」として生きる決意を固めたのではないか。
池田は大学に進むことこそ叶わなかったが、働く場をすべて学びの場とし、現実のただ中で思想を磨いた。その青年期の読書録には、ロランのほか、ゲーテやガンジーの名が並ぶ。
戦後思想界では、東京大学総長・南原繁(1889-1974)がカント哲学に基づいて「心術の革命」を唱え、人間の内的刷新なくして社会再建はないと説いた。これは後に「人間革命」という言葉に転化される。
この言葉を掲げ、新たな人間像を提示しようとした思想家が、池田の師・戸田城聖(1900-1958)である。政治や経済の革命に先立つのは、人間そのものの革命であるという信条を、池田は戸田から引き継いだ。
カントが哲学を通して、ベートーヴェンが音楽を通して、ロランが文学を通して、高田が彫刻を通して「魂の革命」を希求したように、池田は「教育」による精神革命を掲げたといえる。
(池田のカント論やベートーヴェン論は、2025年5月に第三文明社より発刊された『歴史と人物を語る(下)』に詳しい。同書には全集未収録の講演・随筆が収められている。)
Ⅷ 真のコスモポリタン(世界市民)とは
ベートーヴェンの音楽、ロランの文学、高田の彫刻、池田の教育──それぞれの表現は、異なる時代と場所にありながら、同じ理念を響かせている。四人を結ぶキーワードは「世界市民(コスモポリタン)」である。
「世界市民」とは、単に語学に堪能であるとか国際的に活躍する人のことではない。宇宙的秩序(コスモス)の中で人間の尊厳を考える存在である。ベートーヴェンの《第九》が「すべての人は兄弟となる」と歌うとき、そこに響くのはこの宇宙的秩序を希求する声である。
ロランは第一次世界大戦の狂気の中で「人類の良心」を守ろうとした。高田はその精神を彫刻に刻み、東西友好の架け橋になろうとした。池田は戦後の混迷の中で、「苦悩を通じて歓喜に至る」という理念を人間教育の思想として結晶させた。それぞれの生のかたちに、同じ旋律が流れている。
ベートーヴェンの言葉「苦悩を通じて歓喜へ」は、単なる芸術家のモットーではない。人間存在そのものを貫く道である。苦悩のただ中で歓喜を見いだす──その歩みこそ、芸術であり哲学であり、人生である。
いま世界が再び分断と排除に揺れるとき、ベートーヴェン、ロラン、高田、池田の系譜は私たちに語りかける。人間の尊厳は国家・宗教・民族のいずれよりも深く、普遍的な根に根ざすものだと。そして、苦悩を拒まず、それを抱いて歩む者こそ、真の「世界市民」である、と。彼らは、苦しむ人を排除せず、むしろ苦しみを共有することによって連帯を築いていく。
Ⅸ 内なるベートーヴェン、内なるロランへの呼びかけ

オーストリアの首都ウィーン北部・ハイリゲンシュタットに立つベートーヴェン彫像(撮影:伊藤貴雄)
100年前の高田訳『ベートーヴェン』は、単なる古典の翻訳ではない。「人間はいかにして自由であり得るか」という問いを、時代を超えて私たちに投げかける書である。
翻訳とは、過去の声を現在に蘇らせる行為であり、その意味で高田の仕事は、彫刻と同じく「思想を刻む芸術」であった。
苦悩を通じての歓喜――Durch Leiden Freude。この言葉は、ベートーヴェン一人の標語ではなく、人間存在そのもののドラマを言い当てた一句である。悩みを抱えながらも一歩を踏み出すとき、新たな歓びの可能性が開かれる。
それゆえ高田訳『ベートーヴェン』の復刊は、一冊の名著が再び世に出たという以上の意味をもつ。若き彫刻家が100年前に託した「人間の尊厳」の光が、いま再び私たちの胸に届いてくるということである。
その光を受け継ぎながら、それぞれの持ち場で、自分自身の内なるベートーヴェン、内なるロランを確認すること――すなわち、自分にしか歩めない「苦悩を通じての歓喜」の道を見いだしていくということ。
私は、この復刊が静かに促しているのは、そうした新しい出発への合図なのではないかと思う。
追記:
ベートーヴェン《第九》作曲の社会的・思想的背景については、拙著『哲学するベートーヴェン――カント宇宙論から《第九》へ』(講談社選書メチエ、2025年)でさらに詳しく論じている。関心を持たれた方は、ぜひご参照いただければ幸いである。
参考文献:
ロマン・ロラン『ベートーヴェン』高田博厚訳、第三文明選書、2025年
ロマン・ロラン『ベートーヴェンの生涯』片山敏彦訳、岩波文庫、1965年改版
『高田博厚著作集』全4巻、朝日新聞社、1985年
高橋純編訳『高田博厚=ロマン・ロラン往復書簡 回想録『分水嶺』補遺』吉夏社、2021年
『ベートーヴェン』
ロマン・ロラン 著
高田博厚 訳
(伊藤貴雄 解説)定価:2,200円(税込)
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いとう・たかお●1973年、熊本県生まれ。2006年、創価大学大学院文学研究科人文学専攻博士後期課程修了。博士(人文学)。2015年、ヨハネス・グーテンベルク大学マインツ ショーペンハウアー研究所客員研究員。2016年、創価大学文学部教授。2024年、創価大学附属図書館館長に就任。著書に、『ショーペンハウアー 兵役拒否の哲学 -戦争・法・国家-』(晃洋書房、2014年)、『哲学するベートーヴェン カント宇宙論から《第九》へ』(講談社選書メチエ、2025年)、編著に『シュリーマンと八王子 : 「シルクのまち」に魅せられて』(第三文明社、2022年)など。 



