沖縄伝統空手のいま」タグアーカイブ

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沖縄伝統空手のいま~世界に飛翔したカラテの源流 第15回 日本初の流派・剛柔流(下)

ジャーナリスト
柳原滋雄

宮城長順の孫弟子たち

海外に30万人以上の弟子をもつ東恩納盛男さんは今も一人稽古を欠かさない

海外に30万人以上の弟子をもつ東恩納盛男さんは今も一人稽古を欠かさない

 現在の沖縄剛柔流を引っ張るのは、流祖である宮城長順の「孫弟子」に当たる世代である。比嘉世幸、八木明徳、宮里栄一らの直弟子たちになる。
 国際沖縄剛柔流空手道連盟の最高師範・東恩納盛男(ひがおんな・もりお 1938-)は、海外65ヵ国に30万人以上の弟子をもつ、沖縄剛柔流の顔ともいえる存在だ。 続きを読む

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沖縄伝統空手のいま~世界に飛翔したカラテの源流 第14回 日本初の流派・剛柔流(上)

ジャーナリスト
柳原滋雄

那覇手の本流

 1930年(昭和5年)、日本の空手界で最初にできた流派が剛柔流である。
 剛柔流の誕生は、流祖の宮城長順(みやぎ・ちょうじゅん 1888-1953)の一番弟子であった新里仁安(しんざと・じんあん 1901-45)が他武道にまじって東京で空手演武を披露した際、流派名を聞かれて困ったことに端を発する。新里が沖縄に戻って師匠の宮城に報告すると、宮城は『武備誌』にある拳法八句の一節「法は剛柔を呑吐する」から選び取り、「剛柔流」と称したことが始まりだ。 続きを読む

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沖縄伝統空手のいま~世界に飛翔したカラテの源流
第13回 沖縄独自の流派・上地流(下)

ジャーナリスト
柳原滋雄

上地流はなぜ世界に広まったのか

 戦後なぜ上地流は世界に広まったのか。沖縄に駐留していた米兵が母国に帰国し、そこから世界中に広まったと説明するのは高良信徳(前出)だ。
 特にベトナム戦争時代、発進基地となった沖縄では、米兵が戦場から帰ってくると、暇をもてあましてできるだけ体を鍛えようとする風潮があり、空手道場に通ってきたという。米軍の部隊が各流派と契約して彼らに教えていた時代もあったという。 続きを読む

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沖縄伝統空手のいま~世界に飛翔したカラテの源流
第12回 沖縄独自の流派・上地流(中)

ジャーナリスト
柳原滋雄

2代で築いた流派の基礎

戦後まもなく亡くなった上地完文翁(左写真)と、二代目宗家の上地完英(右写真、66歳のころ)

戦後まもなく亡くなった上地完文翁(写真左)と、二代目宗家の上地完英(写真右、66歳のころ)

 上地完文がこの世を去ったのは1948年。栄養失調のため、享年71だった。
 このとき最期の地・伊江島から名護市の実家まで亡骸を小舟に乗せて運んだ一人が、新城清秀(しんじょう・きよひで 1951-)の祖父・新城清良(しんじょう・せいりょう 1908-1976)である。
 清良は和歌山の紡績工場時代に完文に師事し、またその子・清優 (しんゆう 清秀の父 1929-)も、10歳で上地流空手に入門。戦後完文が帰郷するのに同行した。清秀自身も10歳で空手を始めた、いわば3代つづく空手一家だ。 続きを読む

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沖縄伝統空手のいま~世界に飛翔したカラテの源流
第11回 沖縄独自の流派・上地流(上)

ジャーナリスト
柳原滋雄

 上地流は、沖縄3大流派(しょうりん流・剛柔流・上地流)の一角を占め、独特の存在感を持つ。3流派の中では比較的歴史が新しいが、戦後は米国を起点に世界へと広がった。
 歴史的にみても、小林流や剛柔流が日本本土に伝播し、現在の4大流派(松濤館・剛柔流・糸東流・和道流)の基礎を構成したのと比べると対照的な立ち位置だ。一例として、本土空手の主力組織といえる全日本空手道連盟において、上地流の型は指定型(空手の型試合で演武するときの対象型)に一切含まれていない。
 その意味でも、上地流は沖縄独自の流派といえる。 続きを読む