コラム」カテゴリーアーカイブ

沖縄伝統空手のいま 道場拝見 第4回 戦い続ける実践者 沖拳会(沖縄拳法)〈中〉

ジャーナリスト
柳原滋雄

組んで投げる理論

 稽古が始まって1時間がすぎたころ、休憩を入れて後半は投げ技の練習に移る。ここで見たのはいわゆる〝空手の投げ〟というより、沖縄相撲の投げに近かった。組み合った状態からの投げだったからだ。山城美智が説明しながら実演すると、きれいに投げがかかる。

相手を自分(の腰)に乗せる。これを〝橋を架ける〟といいます。要は相手が自分に乗ってくれる状態をつくる。接点を作って、橋をかけて、投げる。腰で投げます。手(の力)は使いません。組む手に力は要らない。相手を崩せるのは、(相手の体重が)かかとかつま先に乗ったとき。そのときに片足に体重が乗った状態は強いですが、両足に体重がかかっている状態は弱いです

相手を投げようと(意識)するとダメ。自分が回転する。橋を架けた状態から、橋げたを自分で崩す。そうするとスムーズに投げられます

沖縄相撲からの投げ

 山城の説明は論理的で、わかりやすい。沖拳会の稽古を見学して〝目線を外して攻撃を避ける〟という説明と、投げにおけるこの独特の説明が私にとって特に印象に残った。
 山城は説明している段階から、2本のサイを昔の武士が脇差しをするように空手の帯の内側に無造作に刺したまま指導する。武器が日常稽古に溶け込んでいた。 続きを読む

沖縄伝統空手のいま 道場拝見 第3回 戦い続ける実践者 沖拳会(沖縄拳法)〈上〉

ジャーナリスト
柳原滋雄

本土に広がった沖縄拳法の系統

 沖縄を含め現在、国内22都府県に組織をもつ沖縄拳法空手道「沖拳会」(おきけんかい)。本土で空手に関心のある人なら一度は耳にしたことがあるかもしれない。沖縄空手のこの組織が、21世紀に入ってから、一人の空手家によって短期間に作られたと聞けば意外に感じられるだろう。
 創設したのは山城美智(やましろ・よしとも 1976-)。沖縄豊見城市出身で、YouTubeなど公開映像への露出が高いことでも知られる。那覇西高校、琉球大学を卒業後、同大学院を修了。大阪で休日に沖縄空手に関心をもつ他流派の空手指導者たちに教えているうちに、その稽古が定着した。さらに生徒の中から東京に転勤する人が出て東京でも教えるようになった。

初期に出たDVD『泊手ナイハンチ教範』(2012年)

 東京と大阪で積極的にセミナーを開くようになると、知名度も徐々に上がっていった。海外にもアメリカ、カナダ、オーストラリア、フランスなどへ足を運ぶ。あるとき受講者の中に伝統派空手専門の出版社チャンプの編集者がまじっていた。それが縁で、同社発行の空手道マガジン『JKFan』で連載をもつようになる。全空連(全日本空手道連盟)をはじめとする伝統派空手の専門誌で沖縄空手とはあまり接点がないのだが、編集者が熱心に勧めてくれたからだという。さらにこの出版社からDVDの依頼を受けるまでになる。
 この縁がきっかけとなり、東京オリンピックの組手部門で唯一のメダリストとなった荒賀龍太郎(あらが・りゅうたろう 1990-)など、全空連のオリンピック出場予定選手らの指導を手がけるようにもなった。そして、総合格闘技の菊野克紀(きくの・かつのり 1981-)に空手指導したことでも知名度が上がった。 続きを読む

本の楽園 第183回 パッキパキ北京

作家
村上政彦

 久し振りに痛快な小説を読んだ。帯のコピーに「一気読み必至」とあるけれど、ほんとうに一気読みをした。まあ、長さが手頃だということもある。大長篇ならいくらおもしろくてもそうはいかない。
『パッキパキ北京』――作者の綿矢りささんは顔見知りである。だからといって、大甘の評をかくつもりはない。『ライ麦畑でつかまえて』の主人公は、小説家との関係は、作品を読んでおもしろかったら、と感想を電話できるようだといい、というようなことを言っていた。
 僕と綿矢さんは、そういう親しい関係ではないが、とにかく顔見知りだ(これは自慢です)。日本文藝家協会という物書きの団体があって、僕は常務理事をしている。文壇の大家だからではない。そういう役回りがめぐってくる年齢なのだ。
 綿矢さんは理事だ。だから、月に一度の理事会で顔を合わせる。会合が終わると、食事が出るので、同じテーブルで食べる。そのとき、たまに言葉を交わす。『パッキパキ北京』を読んだときは、主人公のキャラクターが良かったですよ、あれは綿矢さんですよね、と訊いたら、似たような経験をしているので……と答えがかえった。 続きを読む

『摩訶止観』入門

創価大学大学院教授・公益財団法人東洋哲学研究所副所長
菅野博史

第44回 正修止観章④

[3]「2. 広く解す」②

(2)生起を明かす②

②煩悩境の順序

 五陰は四分煩悩(すべての煩悩を四つに分類したもので、貪欲・瞋恚・愚癡の三毒がそれぞれ単独に生起するものが三分で、三毒がいっしょに生起するものが等分で、合わせて四分となる)と結合しており、もし四分煩悩を観察しなければ、煩悩の盛んな活動を知覚できないといわれる。たとえて言えば、船の中に閉じ込もって、水の流れに従っていけば、激しい水の流れの勢いに気づかないが、逆に川の流れを遡(さかのぼ)れば、はじめて川の水が勢いよく流れていることがわかるようなものであるとする。五陰という煩悩の果報を観察した以上、煩悩という因を発動させるので、五陰の次に四分煩悩を論じるのである。

③病患境の順序

 病気には、色陰を構成する地・水・火・風の四大という身体の病気と、貪欲・瞋恚・愚癡の三毒という心の病気がある。身体の病気と心の病気は等しいので、迷いの心では覚知できないとされる。今、四大と四分煩悩をともに観察すれば、体脈や内臓を突き動かすので、四蛇(四大をたとえる)が偏って生起し、病気が生じるようになる。そこで、四分煩悩の次に病気を論じるのである。 続きを読む

芥川賞を読む 第38回 『土の中の子供』中村文則

文筆家
水上修一

児童虐待を受け続けた人間が見つけ出す光とは

中村文則(なかむら・ふみのり)著/第133回芥川賞受賞作(2005年上半期)

命に対する肯定感

 2度の芥川賞候補(128回「銃」、129回「遮光」)を経て、第133回芥川賞を受賞した当時27歳の中村文則。「土の中の子供」は、約234枚の作品で『新潮』に掲載されたもの。
 主題は暴力。親に捨てられ、孤児として引き取った養父母から、虐待の限りを尽くされ育ってきた主人公の「私」。成人したあとも、あえて自ら暴力に晒されるような生活を送る。生と死の境の中で、なぜ自分は被暴力の中へと突き進んでいくのか、自問自答しながら物語は進んでいく。
 現在の物語の中に、幼少期の壮絶な体験を入れ込んでいくのだが、初めは表層的なエピソードから始まって、次第に核心的なエピソードが明かされていき、主人公が抱えてきたものの深刻さが姿を現してくる。
 精神科医からは、過去のトラウマによって破滅願望があるのだという診断結果を下されていたが、それに違和感を持っていた主人公は、自分が求めているものは何なのかを執拗に自問自答しながら物語は進んでいく。重く息苦しい物語の中で最後に仄かな明るさが遠くに見えるのだが、それは、人間はどんな状況にあっても困難を克服しようとする意思があるということを暗示するものだった。どん底にあっても、最後に得ることのできた命に対する肯定感には、読み終わった後、少し胸が震えた。 続きを読む