古武道の2つの系統
沖縄において「空手と古武道は車の両輪」とはよく耳にする言葉である。だが沖縄空手と古武道の成り立ちは、歴史的にはかなり異なっている。例えば空手の古流型の名称はサンチン、ナイハンチ、パッサイ、クーサンクーなど多くが福建地方なまりの中国語に由来するのに対し、古武道の型は考案した琉球人の名前または地元の地名など、沖縄固有の名称に由来するものが多いからだ。これらは古武道が純粋に沖縄発祥のものとして定着した経緯を指し示している。 続きを読む
沖縄において「空手と古武道は車の両輪」とはよく耳にする言葉である。だが沖縄空手と古武道の成り立ちは、歴史的にはかなり異なっている。例えば空手の古流型の名称はサンチン、ナイハンチ、パッサイ、クーサンクーなど多くが福建地方なまりの中国語に由来するのに対し、古武道の型は考案した琉球人の名前または地元の地名など、沖縄固有の名称に由来するものが多いからだ。これらは古武道が純粋に沖縄発祥のものとして定着した経緯を指し示している。 続きを読む
極真空手がブームとなった背景として、1971年に連載が始まった劇画「空手バカ一代」の存在を抜きには語れない。この中で準主役の一人として描かれて名を知られるようになった人物に、80年に四国・松山で芦原会館を設立した芦原英幸・初代館長(あしはら・ひでゆき 1944-1995)がいる。相手の攻撃を受け流し側面や背後から反撃する「サバキ」技術を体系化した〝伝説の空手家〟として知られる。今回は芦原会館の内弟子経験を持ち、その後、沖縄空手や合気道を取り入れた沖縄空手道松林流喜舎場塾・英心會館の石本誠館長(いしもと・まこと 1964-)に迫る。 続きを読む
1970年代以降、日本本土を席捲した極真空手――。型よりも組手を重視し、実戦カラテを標榜することで、劇画や映画を通して若者を中心に爆発的なブームを巻き起こした。今回から3回にわたり、フルコンタクト空手を経て沖縄伝統空手に魅せられた3人の空手家を紹介する。1回目は、極真空手がまだオープントーナメントという全国規模の大会開催を行ってまもないころ、沖縄空手の本場から単身で極真に乗り込んだ経験をもつ金城健一館長(琉誠館)に迫る。 続きを読む
沖縄県の中学・高校に「沖縄尚学」というユニークな私立校がある。県内では文武両道の進学校として有名で、国内外への大学進学、高校野球やテニスなど多くのスポーツ分野でも全国的に名を知られる存在だ。
この学校で、全校生徒に週1回(70分)の空手授業を義務づける試みをスタートさせたのは2007年から(当初は中学校のみ)。きっかけとなったのは、中学校の校長をつとめる名城政一郎(なしろ・まさいちろう)副理事長の海外体験だった。 続きを読む
――8月の国際大会は多くの教訓を残した大会だったと思います。どのように総括しておられますか。
山川哲男課長 私たちは今年8月の大会は、過去の大会と比べても成功したと思っています。世界50の国と地域から延べ3200人の空手家が集まったのは画期的でした。空手の先生方から言わせると、今回の大会のよさがSNSなどで広がったので、次の大会は1.5倍から2倍の参加者があると予測しています。 続きを読む