リスクを選択し受容する生き方を考える――著者インタビュー『原発事故と放射線のリスク学』

独立行政法人産業技術総合研究所フェロー
中西準子

 福島原発事故発生から3年。リスク評価を研究してきた著者が〝リスクを選ぶ〟生き方を提案する。

リスクトレードオフの視点を持つ

 私は長年にわたり、化学物質のリスク評価を研究してきました。このほど出版した『原発事故と放射線のリスク学』は、放射線の問題をリスク評価という考え方で解き明かしたものです。
 福島で起きた原発事故による被ばく線量は、その全貌がほぼ明らかになってきています。しかし被ばく線量による健康への影響については現在も意見が分かれているところです。そこで、低被ばく線量の場合において、一体どれくらいのリスクがあるのか、どういう対策をとるべきなのかについて考察するためにこの本を書きました。
 私がリスク評価の研究を始めた動機として「リスクトレードオフ」という現実があります。リスクトレードオフとは、あるリスクをなくそうとすると別のリスクが生じて、最初のリスク削減の効果を食いつぶしてしまう現象のことをいいます。
 私たちは、1つのリスクと向き合うとき、そこに何かしらのベネフィット(便益)があるから、リスクと付き合っていきます。たとえば自動車の場合、交通事故のリスクがあることを理解したうえで、それでも私たちは移動の便利さを選択して自動車を使います。原子力発電についても同様に、放射線に対する一抹の不安を抱きつつも、電力の供給というベネフィットを選択してきたのです。
 つまり、リスクをなくそうとすると、一方にあるベネフィットを失うことによるリスクが必ずといっていいほど生じることを知る必要があります。
 3・11以後の安全の議論では、〝経済や利益のために安全を犠牲にしてはいけない〟〝原子力発電はやめて、即刻、再生可能エネルギーにすべきだ〟といった主張が目立ちます。
 しかし、実際には利益やお金も健康のためには必要なことであり、一概に利益を否定することはできません。原発で仕事を得ていたことや地域の活性化につながっていたことを全否定する前に、それらを補てんできる対策を提示してこそ、意味のある問題提起となり得ると思います。原子力発電をやめたとしても、再生可能エネルギーへの依存度を上げることが難しい現実を考えれば、化石燃料に依存せざるを得ません。その場合には、温暖化のリスクが大きくなります。
 ただ、それぞれのリスクは多くの人にとって不透明でわからないというのが実情だと思います。だからこそ、私は原発によってもたらされたリスクがどの程度のものなのかを解明して、それを提示することで、選択の材料を提供したいと考えたのです。

100mSv以下のリスク

 放射線の影響について、国内では「年間100mSv(ミリシーベルト)までは健康に影響しない」という見方があります。被ばく量とがんリスクの関係については、広島・長崎の被ばく者の入念な調査(LSS:寿命調査)があります。これによれば、被ばく線量が100mSv以上では、直線関係があります(図の実線部分)。しかし、それ以下の線量の部分では、LSSでは確かめることができないのです。しかし、100mSv以下でリスクがゼロと考えるのはメカニズムなどから考えておかしいということで、ICRP(国際放射線防護委員会)や国連科学委員会も直線しきい値なし(LNT)の仮定(図の点線)を使って、リスク推定をしています。しきい値とは、それ以下の線量なら影響が現れないという線量の限度で、しきい値なしとは、線量を減らしてもそれなりのリスクはあるとする考え方です。zu0002
 にもかかわらず、あたかもリスクがないかのような説明をしてしまう背景には、科学者が「100mSv以下は証明できない」と投げ出してしまっているということがあるように思えます。しかし、ゼロから100mSvの範囲という決して狭くない領域です。そこをフリーハンドにしてしまっていいものでしょうか。大まかでもいいから、その領域のリスクの大きさを推定し、そこからさまざまな対策の必要性の有無を判断すべきだと思います。
 低線量被ばくの影響を考えるときには、このLNTモデルをどう捉えるかで意見が大きく分かれてしまっています。これは推定を含んでいるので「科学ではない」とする人もいます。
 もちろん科学の分野では、ファクト(事実)で詰めることが王道ではあるのですが、実験で確かめられる領域と、それを踏まえて推定できる領域があると思います。化学物質の分野を見ても人間を使った実験などはなく、動物実験を通して人間の結果を推定しています。それを「推定することは科学ではない」と言ってしまえば、もはや科学者という存在はなくなってしまいますし、推定がなければ予防医療や防災対策なども成り立ちません。
 それでも「しきい値がある、それ以下はゼロですよ」というのであれば、なぜその程度であればよしとするのかをきちんと説明することが科学の役割だと思います。

「リスクゼロ」から「リスクを選ぶ」へ

 福島県での除染について、私は除染に関する線量目標値を提案するとともに、移住という選択肢を用意すべきだと主張してきました。国もようやく全員が帰還する前提から離れ、移住という選択に配慮を示すに至りました。
 国は、年間被ばく線量20mSv以下を、避難指示解除の要件の1つにしています。さらに、長期的に年間1mSvとしていますが、住民は1mSv以下でないと帰還できないと要求しています。しかし、この目標は時間、技術、費用の面から見て無理があると思っています。
 私が除染目標値を設定するにあたり考慮した項目は、被ばく線量(許容されるリスクレベル)、帰還時期、技術的限界(費用対効果)、費用の点です。これらを考慮して、年間5mSv程度に収まるような除染目標値を提案しています。そして、ウェザリング(天候などの要因)で線量が徐々に下がり、15年後には長期的目標値である年間1mSv以下になる、というものです。
 実は、今国が行っている計算式は線量が非常に過大に評価されるものになっています。このままではおよそ3万人しか帰れない計算です。これは現実的な案ではないと思います。年間5mSv程度を目標値にして、国際機関などで使われている計算式を使用して計算した結果、およそ5万~6万人が帰還できることになります。残りの2万人くらいの地域は帰還困難区域となり、移住せざるを得ないと考えています。
 一方で除染だけではなく移住への対応を考える必要性も感じています。通常の化学物質のリスク対策では、一定の基準値が決まれば、そこに従ってもらうことがルールになっています。仮にそれを拒んで移住する人がいたとしてもそこに対して補助を出すことはありません。しかし、強制避難後からすでに3年が経過し、子どもたちはどこが故郷かわからない状況にもなりつつあります。
 それに加えて日本人は、歴史的に放射線に対する危機感が意識のなかに深く刻まれています。これらを考慮すれば、リスクを示したからといって急に行動を促すことの難しさも理解できます。その点は、これ以上の費用対効果の見込みが薄い除染に膨大な費用をかけることよりも、移住したい人に補助金を出すような方向性を模索していく必要があると思います。
 震災から3年がたった今、私たちは1つの決断をする段階にあります。それは一定のリスクを受容することなしには、福島の問題は解決しないということです。つまり、リスクを選びましょうということです。除染した区域に戻っても健康への影響は特にないでしょうが、リスクがゼロというわけではありません。逆に帰還しなければ、移住や失業といった社会的なリスクが発生します。そのいずれかのリスクを選択し、受容していくことが求められるのです。
「リスクゼロ」から「リスクを選ぶ」生き方への転換。そのことを放射線の低線量の問題が私たちに教えてくれていると感じてなりません。

<月刊誌『第三文明』2014年6月号より転載>

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『原発事故と放射線のリスク学』
中西準子
 
 
価格 1,944円(税込み)/日本評論社/2014年3月14日発刊
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なかにし・じゅんこ●1938年、中国大連市生まれ。工学博士。横浜国立大学名誉教授。61年、横浜国立大学工学部化学工業科卒業。67年、東京大学大学院工学系博士課程修了。東京大学環境安全研究センター教授、横浜国立大学環境科学研究センター教授、独立行政法人産業技術総合研究所安全科学研究部門長を経て、現在に至る。2003年「紫綬褒章」受章、2010年「文化功労者」、2013年「瑞宝重光章」受章。著書に『環境リスク学』(日本評論社)、『環境リスク論』(岩波書店)、『リスクと向きあう』(中央公論新社)などがある。