【コラム】〝文化〟が生まれる場所――変わりはじめたタイの若者たちの暮らし方

フリー編集者
東 晋平

世界大会6位のバリスタ

 育ちざかりの年頃の子供は、ほんの少し会わないだけで、ぐっと背が伸びていたり顔つきが大人びていたりして驚かされるものだが、同じことは「国」にもいえると思っている。経済発展が進む若い国では、まず急加速でインフラが整っていく時期があり、少しすると人々の装いや仕草にも変化が見えてくる。この春、1年数ヵ月ぶりに訪れたタイでも、そうした若々しい変化をいくつか発見した。
 何世紀も前から、中国とインド、アラビア、ヨーロッパを結ぶ交易拠点として栄えてきたこの国は、多様な文明を器用に受容し、独特の文化を育んできた。彼らの美意識はイスラムのデザイン性、ヒンドゥーの色彩、華人の派手好みに加え、どこか日本とも通じ合うようなシンプルな洗練も兼ね備えていて、新しいレストランの内外装や料理の仕上げ方など「上手いなあ」と感心することが多かった。
 ただ食事のあとに出てくるコーヒーは、ほぼ決まって期待できないものだった。そのことをタイで暮らす友人に話すと、そもそも圧倒的大多数のタイ人にとっては今までコーヒーを嗜む習慣がなかったのだからしかたがないと苦笑された。
 だが、どうやらその事情も変わってきたようだ。数年前から外国人の多い場所でスターバックスなどが拡大するにつれ、経済的な余裕を持ち始めた都市の中間層や好奇心の強い若者たちは、早くもコーヒーの楽しみを覚え始めた。
 北部にある第2の都市チェンマイのチェンマイ大学に近いニマンヘミン通りには、今や「世界大会6位」という腕前をもつタイ人バリスタを擁するカフェが誕生し、覗いてみると活気のある店内は外国人旅行者だけでなくタイの若い人たちで連日賑わっていた。店内で売られている世界各地の豆の価格は、日本とそれほど変わらない。南部と違い、標高があってコーヒーの育成が可能なここタイ北部では、オーガニック栽培のコーヒー農園も増えてきている。
 外国人のようにコーヒーを飲むという「スタイル」への憧れの段階を早々に卒業したタイの人々は、自分たちの手で美味しいコーヒーを育て、売り買いし、焙煎し、淹れて飲むことを始めたのだ。おそらくこれから一気に、タイのコーヒーの味は変わっていくに違いない。

若者たちがオシャレになった背景

 人々の変化といえば、わずか2年足らずの間に人々の装いもずいぶん変わった。女性たちのメイクは見違えるほど上手になったし、男女を問わず若い人たちのヘアスタイルやファッションも変わった。
 日本人も多く住むバンコクの「スクンビット49」に、東京のヘアサロン「BOY」が技術提携する「Rikyu」が誕生したのは2010年夏。東京の「BOY」は、ヴィダルサッスーンのアートディレクターとして海外で活躍していた茂木正行さんが、帰国して開いたヘアサロンだ。
 バンコクの「Rikyu」では日本人スタッフが指導にあたり、タイ人の若いスタイリストを育てる一方、地元の美術大学やアーティストらとも協同してワークショップなどを地道に続けてきた。2012年6月には、若者たちで賑わう繁華街サイアムに2号店「BOY」がオープンした。
 技術指導にあたっている石井洋志さんに聞くと、こちらは高級住宅地の「Rikyu」とは少し客層も違って学生などタイの若い人が多く、男女比はわずかに女性が多いもののほぼ半々だという。見ているとほとんどのお客さんがカットだけでなくカラーも頼んでいる。この店がオープンした2年前当時は髪を染めている人を街でそれほど見かけなかったのだが、石井さんの話では「とくにバンコクあたりの若い女性では、もう染めていない人のほうが少ない気がします」とのことだった。

タイ人スタイリストたちが腕を振るうサイアムの「BOY」(バンコク)

タイ人スタイリストたちが腕を振るうサイアムの「BOY」(バンコク)


「そういえば、今までタイの人は暑くても長袖長ズボンで、ショートパンツを履いて歩いているのは外国人観光客ばかりだったのに、ショートパンツを履くタイの若者が増えましたね」
 私がそう水を向けると、石井さんはやはりショートパンツ姿で仕事をしている店内のタイ人スタイリストたちを見ながら、「ああ、そうかもしれませんね。長い間、日差しが強いから長袖と長ズボンで肌を出さないようにしていたのもありましたが、たぶん今までは履きたくなるカッコいいショートパンツが売っていなかったんだと思います(笑)。加えて、タイの若い人たちはオープンになった気がします」と教えてくれた。
 情報の広がりと共にファッションへのこだわりも強くなり、日本でしか買えないスニーカーがあれば、それを買うために日本に行くというような人も珍しくないそうだ。タイと日本を結ぶ定期便は6路線7空港。ちなみに人気の渡航先は北海道である。

「文化交流」の本質とは

 東京でも「単なる美容師になるな。さまざまなことを学べ」という方針で、料理研究や雑誌の編集などスタイリストたちの〝課外活動〟に取り組んでいる「BOY」は、バンコクでも定期的にタイ人スタッフの日本研修をおこなうなど人材育成に力を注いでいる。4年前「Rikyu」にアシスタントとして入り、今はサイアムの「BOY」で髪を切っているティ君は、じつはタイの最高学府チュラロンコン大学で建築工学を学んでいた青年だ。タイには日本のような美容師の国家資格がなく、今までは職業としての評価も決して高いとはいえなかった。日本以上に学歴社会といわれるタイにあって、ティ君のような若者がヘアスタイリストとして活躍していくことは、社会に新しい風を送っていくだろう。
「タイの人たちが格段にオシャレになった背景のひとつには、タイ人の美容師たちのカットの技術力が全体的にすごく上がってきたことがあると思います。これは技術がないとできないなと思うヘアスタイルを、街でもよく見かけるようになりました」と石井さんは言う。
「BOY」がバンコクで美容技術のワークショップを開くと、若いタイ人だけでなく当地の有名店で働く30代、40代のベテラン美容師たちも来て、彼らがはるかに年下の日本人から熱心に技術を学ぼうとする姿勢に石井さんは何度も感銘を受けたという。

ニマンヘミン通り1にあるカフェ「RISTR8TO」(チェンマイ)

ニマンヘミン通り1にあるカフェ「RISTR8TO」(チェンマイ)


 文化交流というと何か大袈裟なイメージなうえ、ともすれば官主導のものになり、しかも単発のイベントを大々的にやって終わりということが多い。けれどもモノや情報の交流以上に〝人間の交流〟こそが本当の意味の文化の交流であり、長い視野に立って双方が「人を育てる」ことが、その点睛になるのだと思う。
 上から目線で一方的に何かを押し付けたり与えたりするのではなく、互いを知り、一緒に考え、歩みながら、暮らしの中で大切なものを丁寧に分かち合っていく。自分たちが潤うためでなく、その国の人たちのために何かを生み出していく。アジア各国では、そういう志で働く日本の若者が増えている。
 1軒のヘアサロン。1軒のカフェ。文化というものは案外そういう小さな場所から、動き出していくものなのかもしれない。


ひがし・しんぺい●1963年、神戸市生まれ。フリーランス文筆/編集。著書に、『彩花へ――「生きる力」をありがとう』(企画構成/河出書房新社)、『彩花がおしえてくれた幸福』(共著/ポプラ社)、『「酒鬼薔薇聖斗」への手紙』(共著/宝島社)、『オーランド・セペダ自伝』(編訳/潮出版社)、『アーティストになれる人、なれない人』(企画構成/マガジンハウス)など。チュラロンコン大学、東京大学、早稲田大学、関西大学など講演多数。ヒガシシンペイオフィシャルブログ