連載エッセー「本の楽園」 第154回 物語の危うさ

作家
村上政彦

 このコラムの先の回で、物語の楽しみ方の本を紹介した。そこには物語の効用も説かれていた。ここで取り上げるのは、それとは正反対の本だ。『ストーリーが世界を滅ぼす』。物語がいかに危険なものかを説いている。読んでみよう。

コミュニケーションを行うとき、私たちは必ず、空気のように実体のない言葉を使って、たとえわずかでも他人を動かし、世界を自分に都合よく再構成する

 これは物語のことをいっている。他人を動かすことを著者は、「なびかせる」という。そして、このように述べる。

 なびかせるのはコミュニケーションの主たる機能である。
 ストーリーテリングはコミュニケーションの一形態である。
 よって、ストーリーテリングの主たる機能もなびかせることである。

 僕らの周りには、物語があふれている。友人との冗談まじりの会話、TVドラマ、プロパガンダやCM、国家や宗教の神話などなど。なぜならそれは、

物語が他人の心に影響を与える唯一にして最強の方法だからだ。


 2018年10月27日、米ピッツバーグの郊外で、一人の男が銃乱射事件を起こした。現場は、ユダヤ教の礼拝所。発砲しながら男は、「ユダヤ人は皆殺しだ!」と叫んでいた。11人が死亡し、多くの人が負傷した。追悼集会に参列した著者は、こういう。

このすべては、この棺の列と悲しみのすべては、一つの物語のせいなのだ

 その物語とは、旧約聖書に始まったユダヤ人にまつわる陰謀論だ。犯行の直前、男はSNSに投稿している。

HIAS(Hebrew Immigrant Aid Society:ヘブライ移民支援協会)[ユダヤ系移民の定着を支援する団体]は我が同胞を殺す侵略者を引き入れようとしている。俺は同胞が殺されるのを何もせずに見ていることはできない。お前らからどう見られようがかまわない。俺は突入する。

 これはダークな物語へのナラティブ・トランスポーテーション(物語への没入)が引き起こした事件だ、というのが著者の見立てだ。犯人の男は、陰謀論の物語へ没入し、その世界を生きていた。第二次大戦で、ヒトラー率いるナチスが行った悪夢のような出来事が繰り返されたのである。
 人を説得するためには、理性よりも感情に訴えるほうがいい。物語には人に感情を抱かせる力がある。感情は行動を促す。つまり、物語は人を動かすことができる。
 21世紀になって米国防省が、神経科学者、コンピューターサイエンティスト、心理学者、そして人文学界からストーリーテリングの専門家を集めた。彼らは、「物語を消費する個人の一人ひとり異なる心理に合わせて変容する新しいタイプの物語」を構想していた。
 それは情報戦の画期を拓くことになる計画だった。「ストーリーネット(STORYNET)」と呼ばれるこのプロジェクトでは、心拍数や発汗率などの生理的指標から、コンピューターが人の心を読み取り、物語を用意する試みがなされた。
 この物語に悪意のメッセージが込められていたとしたら、どのようなことが起きるか?
 物語には、光と闇の両面がある。光の側面は人を励まして支え、闇の側面は世界を崩壊させる可能性を否定することができない。
 僕は小説家だ。物語のプロである。人を動員して、世界を崩壊させるような物語が語られたなら、それにあらがうカウンター・ストーリーを語る用意がある。それがどれだけ小さな力しかなくても、僕は物語るだろう。

お勧めの本:
『ストーリーが世界を滅ぼす――物語があなたの脳を操作する』(ジョナサン・ゴットシャル著/月谷真紀訳/東洋経済新報社)


むらかみ・まさひこ●作家。業界紙記者、学習塾経営などを経て、1987年、「純愛」で福武書店(現ベネッセ)主催・海燕新人文学賞を受賞し、作家生活に入る。日本文芸家協会会員。日本ペンクラブ会員。「ドライヴしない?」で1990年下半期、「ナイスボール」で1991年上半期、「青空」で同年下半期、「量子のベルカント」で1992年上半期、「分界線」で1993年上半期と、5回芥川賞候補となる。他の作品に、『台湾聖母』(コールサック社)、『トキオ・ウイルス』(ハルキ文庫)、『「君が代少年」を探して――台湾人と日本語教育』(平凡社新書)、『ハンスの林檎』(潮出版社)、コミック脚本『笑顔の挑戦』『愛が聴こえる』(第三文明社)など。