連載エッセー「本の楽園」 第142回 奇跡の本屋

作家
村上政彦

 僕は小説家として生きているが、町の本屋がなければ、いまとは違った生涯を送っていたかも知れない。本屋は、僕にとって広い世界に開かれた窓であり、広い世界に続く扉であり、このような生き方もあると指し示してくれる道標だった。
 町の本屋が次々に店を閉めてゆくとニュースで見聞きし、この原稿を書くのに調べてみたら、2000年に21654店あった本屋が、2020年現在で11024店になっている。売り場面積を持つ店舗に限ると、9762店。この20年で半分以下になってしまった。
 率直にいって驚いた。何となく、本屋が減少しているとは分かっていたが、ここまでとはおもわなかった。町の本屋に育てられ、生きる道標を示された身としては、狼狽するばかりだ。
 そんなとき、『奇跡の本屋をつくりたい』の著者・久住邦晴さんを知った。北海道の札幌で親子二代70年にわたって「くすみ書房」を営んだ人だ。この著作のどのページにも本への愛が満ちている。こんなに本を愛した本屋は珍しいのではないだろうか。
 2001年のある日、人から、「あなたは日本で一番有名な本屋になる。しかしあなたほどやる気のない人は見たことがない」といわれた。この時期、地下鉄が延長され、最寄り駅が終点でなくなってしまうという事情があって客足が激減し、売り上げが大きく落ち込んでいた。
 教科書を売るなどの外商で何とか利益をあげてはいたが、店舗での売り上げの減少は止まらず、仕事が嫌になり始めていた。そこへ子どもが大病を患って急死するという出来事が起きた。
 子どもの葬儀が終わって集めた香典を会社の支払いに充てたとき、もう、終わりにしようとおもった。社員に店じまいの意向を告げ、準備をしていたら、あることに気づいた。もし、いま店じまいをしたら、子どもを喪って仕事の意欲を奪われたとおもわれないだろうか。そんなことになったら、子どもに申し訳ない。
 久住さんは奮い立った。何度も本に救われた経験のある彼は、経営を立て直す道を探ろうとビジネス書などを読み漁る。そうしたら、

日本のどこかに、この本で救われる人がきっといるはずです

という文章が眼に留まった。大急ぎで取り寄せて読んでみた。そこには、もう、これまでのビジネスの常識は通用しない、まずは人を集めることだ、とあった。「人を集める」――それは盲点だった。そこで人を集めるプロに相談した。答えはふたつ。

マスコミを動かすこと、そして経営者であるあなたを売り込むこと

 久住さんはマスコミが取り上げてくれそうな企画を考え、「なぜだ⁉ 売れない文庫フェア」を催した。新潮文庫の売り上げ1501~最下位までの700点、いい本が多いのにうれないちくま文庫を800点、合計で1500点を店舗に並べた。
 マスコミがおもしろがって取材に来た。そして話題になったおかげで、1500点を一カ月足らずで売り切った。その月の文庫の売り上げは前年の3倍になった。ここから久住さんの反転攻勢が始まる。中公文庫ほぼ全点、岩波文庫全点――ただし、これには仕掛けが必要だ。
 考えたのが朗読会。そして、いちばん売れない岩波文庫が、ちくま、新潮を抜いて、売り上げの一番になった。しかしまだまだ客足は戻って来ない。そこで中学生のための棚をつくることをおもいたった。
 小学校の図書館でボランティアをしていた妻と相談しながら、「本屋のオヤジのおせっかい 中学生はこれを読め!」というフェアを企画した。リストに並んだのは、中学生が読んでおもしろい本500冊。このときもマスコミで動いて、大きな本屋でも1冊置いてあるかないかの古い本が話題になり、出版社が4000冊の増刷をかける結果となった。
 その後も久住さんは、本屋にカフェを併設する、古書も扱う、という仕掛けを続け、いまや日本を代表する論客となった中島岳志と出会う。彼は北大の教員を講師に連れて来て、「大学カフェ」と銘打って講演会を催した。これが盛況でくすみ書房の売り物のひとつになった。
 ようやく経営も波に乗り始めたとき、近くに全国展開している大型書店がやって来た。売り上げが落ちた。続けて全国一の売り場面積を持つ書店が開いた。また、売り上げが落ちた。そこへ不動産屋から新しい出店計画の話があった。2店舗を営むのは資金的に難しいが、店舗の移転ならできる。久住さんは父の代から63年続けてきた店舗をあとにした。
 心機一転となるはずだったが、パートナーの妻が大病を患った末に亡くなった。子どもに続いて、妻まで亡くして、久住さんの心は血塗れだっただろう。しかし、「高校生はこれを読め!」「小学生はこれを読め!」と仕事に打ち込む。
 資金繰りが大変になったときは、寄付を募り、友の会をつくり、クラウドファンディングもやった。それでもくすみ書房は店じまいを強いられた。久住さんは、「奇跡の本屋をつくりたい」と立ち上がるものの、大病を患って亡くなった。

本には奇跡を起こす力があります。
そのためには、ピンチになっても逃げたりあきらめたりしないで、そのピンチに向きあい、どうすれば勝てるか考え、そして行動することです。
その行動のひとつに読書があるわけです。
「本にはすべての答えがあります」

 遺稿となった久住さんの講演会の草稿だ。本の伝道師・久住さんの亡くなり方は、戦死だったとおもう。敵は、「本など何の役にも立たない」という、いまの世の中の風潮である。

お勧めの本:
『奇跡の本屋をつくりたい くすみ書房のオヤジが残したもの』(久住邦晴[くすみ書房・店主]著/ミシマ社)


むらかみ・まさひこ●作家。業界紙記者、学習塾経営などを経て、1987年、「純愛」で福武書店(現ベネッセ)主催・海燕新人文学賞を受賞し、作家生活に入る。日本文芸家協会会員。日本ペンクラブ会員。「ドライヴしない?」で1990年下半期、「ナイスボール」で1991年上半期、「青空」で同年下半期、「量子のベルカント」で1992年上半期、「分界線」で1993年上半期と、5回芥川賞候補となる。他の作品に、『台湾聖母』(コールサック社)、『トキオ・ウイルス』(ハルキ文庫)、『「君が代少年」を探して――台湾人と日本語教育』(平凡社新書)、『ハンスの林檎』(潮出版社)、コミック脚本『笑顔の挑戦』『愛が聴こえる』(第三文明社)など。