連載エッセー「本の楽園」 第111回 バイトやめる学校

作家
村上政彦

 僕は小説家としてデビューするまで、かなりいろいろなバイトをやった。雇うほうはバイトだとおもっていないかもしれないが、働いている僕は、小説を書くために生活費を稼いでいるのだから、それは正業ではなく、バイトでしかなかった。
 だから、数日でやめた仕事もあったし、やりだしたらおもしろくて1年半続いた仕事もあった。
 小説家としてデビューして、編集者から「3年頑張れば専業作家になれる」といわれた。まだ出版業がなんとか成り立っていた33年前のことである。いま作家デビューすると、編集者は最初に、「仕事を辞めてはいけない」と助言する。これは出版界の現在を見れば、当然のことだ。
 好きなことを仕事にして、生活費を稼いで生きていくことは、誰もが見る夢。しかし夢を現実にするのは、そーとー難しい。僕の場合、小説を書くことと、そこから発生することが仕事になっているので、夢を叶えているといっていい。感謝をささげる人がいれば、素直に感謝したい。
『バイトやめる学校』を書いた山下陽光という人物も、好きを仕事にしている人だ。しかも周りにさっさとバイトなんか辞めて、好きを仕事にしなさい、といっている。この本を読む前から山下陽光という名は知っていた。なんか、おもしろそうなことをしている人だな、という認識だった。
 それでとりあえずこの本を読んでみたら、やっぱり、おもしろいことをしている。長崎で生まれて、1995年に上京。文化服装学院の夜間部に入る。卒業してアパレル関係のバイトなどし、2004年に高円寺で古着屋「トリオフォーSHOP」を開くも半年で閉店。
 それからやはり高円寺で、リサイクルショップ「素人の乱」、古着屋「シランプリ」を開業。しかし全然売れない。そういう状態が7年続いた。
 2011年の東日本大震災でパニックになり、もう閉店しようとしたら、友人から電話があり、「渋谷のパルコに君の服を着て行ったら、店員がぜひ店に置きたいといってる」という。
 店にあった服を10着ほど持って行ったら、その夜、全部売れたと電話があった。2週間で50着売れた。ところがすでに大家には閉店するといってあったので、パルコの注文はそのまま受け、ウェブショップを立ち上げた。すると、ウェブショップのほうもすぐ売れた。
 このころ子供ができたので結婚し、原発事故の影響を考えて長崎に移住。ついで福岡に引っ越し、現在、ハンドメイドファッションブランド「途中でやめる」を営んでいる。
「途中でやめる」の服は、古着をベースにしてリメイクしたもの。全部手作りなので、見てみると、同じ服が1着もない。しかも山下はそれを買った人に送るとき、手書きの手紙を同封するという。
 さて、山下は、『バイトやめる学校』で、誰もに好きを仕事にするための秘訣を公開している。

「人はめっちゃ嫌がるけど、自分はそんなに嫌じゃないよ」っていうものがあったら、大事にしてください。その隙間から始めてみてください

 ちょっと人が喜んでくれること、社会から需要があることをやる。
 僕は洋服を作ることを仕事にしていますが、たぶんほとんどの人って服買うのは好きだけど、作るのってメチャクチャ面倒だしやりたくない。でも、僕は洋服作るのは全然嫌じゃないんです。

 また、「途中でやめる」がめざしているのは、自分が儲けすぎないこと。ショップは夫婦でやっているが、月収20万円を超えないようにしている。山下自身は5万円ぐらいの稼ぎがあればいい、とおもっている。
 人件費は十分に支払う。それは――

手伝ってくれる人に高く払うのが楽しいからなんです。「途中でやめる」が売れることで、それで誰かが食える状態を作れるのがおもしろい。

 好きなことをやって、徹底的に儲けない。雇われなくていい。
「給料上げろ」「仕事よこせ」というスローガンもずっと続いているけど、仕事をアホみたいに作って金をばらまく、はたらいている人に金を払いまくるというのをみんなでやりたい。はたらいている人のほうが資本家よりも多く金を分配されるようになったら最高だと思います。

『バイトやめる学校』は、山下のプロジェクトでもあるので、実際にあった相談者とのやりとりや、バイトを辞めるためのヒント集もある。これは、「働き方改革」どころか、資本主義への挑戦ではないか、とおもう。
 もちろん、おこっている出来事、その変化、は山下の周辺に限られている。しかし彼は、自分の周辺に、いま僕らが経験している資本主義とは違う資本主義の経済圏をつくっている。
 山下陽光のような試みをする人物が増えてくると、世の中はもっとおもしろくなる。

お勧めの本:
『バイトやめる学校』(山下陽光著/タバブックス)


むらかみ・まさひこ●作家。業界紙記者、学習塾経営などを経て、1987年、「純愛」で福武書店(現ベネッセ)主催・海燕新人文学賞を受賞し、作家生活に入る。日本文芸家協会会員。日本ペンクラブ会員。「ドライヴしない?」で1990年下半期、「ナイスボール」で1991年上半期、「青空」で同年下半期、「量子のベルカント」で1992年上半期、「分界線」で1993年上半期と、5回芥川賞候補となる。他の作品に、『台湾聖母』(コールサック社)、『トキオ・ウイルス』(ハルキ文庫)、『「君が代少年」を探して――台湾人と日本語教育』(平凡社新書)、『ハンスの林檎』(潮出版社)、コミック脚本『笑顔の挑戦』『愛が聴こえる』(第三文明社)など。