連載エッセー「本の楽園」 第104回 unlearn(アンラーン)の手引き

作家
村上政彦

 薄い本である。内容も分かりやすい文章で書かれているから、30分もあれば読めてしまう。これは著者の意図したところだろう。
『ゆっくり小学校』――副題に、「学びをほどき、編みなおす」とある。表題からすると、教育書かと思うが、生き方の本だ(生き方について説かれているので、広義の教育書とみることもできるかも知れない)。
「ゆっくり小学校」とは、小学生のための学校ではない。「スロー・スモール・スクール」のことをいう。校長は著者の辻信一。実在する学校ではない。この本そのものがゆっくり小学校の「育ってゆく場所」であり、読者は、ただ受動的に著者の考えを受け止めるだけでなく、読みながらゆっくり小学校の理念を練る作業に参加する。
 目次を開くと、学校らしく、1時限目から12時限目までが、規則正しく並んでいる。それぞれの時間に、キーワードなる言葉が示される。僕らは、この学校の生徒であり、共同参画者だ。
 学びについて、印象に残る逸話が紹介されている。先年亡くなった思想家・鶴見俊輔の体験だ。彼がアメリカで暮らしていたころ、図書館でアルバイトをしていたら、ヘレン・ケラーがやってきた(そう、あの、ヘレン・ケラーです)。
 彼女は鶴見に、学生さんですか? と尋ね、こういった。

私も学生の頃はよく学んだ。でも、学校を出てからは、一生懸命、アンラーン…

鶴見は、アンラーン(unlearn)を「学びほどく」と訳した。

「学び」を一度ほどいて、またつくりなおす。億劫がらずに、何度も。糸をほどき、布を編みなおすように。

 ゆっくり小学校とは、アンラーンのためにあるようなのだ。
 イギリス南西部の村に、「小さい学校(スモール・スクール)」という中学校がある。創設したのは、インド生まれの思想家=サティシュ・クマール。自分の子供を通わせる学校を探していた彼は、生徒を将来の経済成長の道具として見、そのために知識を詰め込む既存の学校の在り方を拒む。
 そして、地域の人々と語らって、生徒9人だけの学校を創ってしまった。それから30年あまり――この学校は教師が生徒ひとりひとりに目配りできるよう、全校生徒は40人に限られている。
 保護者と村民によって運営され、カリキュラムの半分は、通常の学校と同じように、算数や理科、語学などを学ぶが、あと半分は、『衣食住に関わる「生きる技術」の習得と、「自然からの学び」』だ。
 サティシュの教育の公式はE=4Hである。

教育(E)とは、ヘッド(頭)・ハート(心)・ハンズ(手)・ホーム(家庭)という四つのHからなっている。

 ゆっくり小学校は、スモール・スクールにヒントを得たものらしいが、この学校の淵源を探っていくと、サティシュの友人で経済学者のシューマッハーの、「スモール・イズ・ビューティフル」という思想にたどりつく。
 シューマッハーによると、現代の技術は、

「より大きく、より多く、より遠く」という一方向に向かって発展する。

 このような技術に支配された社会は、人間にとって過剰すぎる。
 僕ら人間は、

人間にふさわしい規模――人間らしい「小ささ」の中に自らをおさめる必要がある

 シューマッハーが提唱したもうひとつのキーワードは、「TLC」(テンダー・ラヴィング・ケア=優しい心遣い)だ。この優しさは、小さな場でないと発揮できない。
 スモールの次に大切なのは、スロー(遅さ)である。遅さも優しさと関わっている。優しさは、遅さの中でしか発揮できない。忙しすぎると、他人に優しくできない。いや、自分でさえ粗末にあつかってしまう。
 ルソーは、こんな言葉を残しているという。

教育で最も肝心なこと、それは時間を稼ぐのではなく、ムダにするのを教えること。

 時間をムダにするとは、経済効率や生産性などにこだわらず、ゆっくり時間をかけるという意味だ。

 シンプルも大切なキーワードのひとつである。森の賢者・ソローの言葉。

どれだけのモノを手放すことができるかが、その人の豊かさを決める

 モノだけに限らない。生き方もそうだ。自分の生き方を点検し、必要でないものは捨てる。それが豊かな人生につながる。
 このあたりまで読んでくると、『ゆっくり小学校』が、僕らがこれまで学んできたものを、アンラーンしていることが分かってくる。
 経済は成長しなければならない、科学は進歩しなければならない――僕らはそう学んできたが、果たしてその学びは、人間の幸福に役立っているのか? ほんとうは、スモールで、スローで、シンプルな生き方のほうが、豊かな生活を送ることができるのではないか?
 著者は、サティシュが師と仰ぐガンジーの言葉を引いて、この著作を終える。

「ビー・ザ・チェンジ!」(中略)それは、「こうなったらいいな」と思う、その変化になる、あなた自身がその変化を体現しなさい、という意味です。

参考文献:
『ゆっくり小学校 学びをほどき、編みなおす』(辻信一著/素敬 SOKEIパブリッシング)


むらかみ・まさひこ●作家。業界紙記者、学習塾経営などを経て、1987年、「純愛」で福武書店(現ベネッセ)主催・海燕新人文学賞を受賞し、作家生活に入る。日本文芸家協会会員。日本ペンクラブ会員。「ドライヴしない?」で1990年下半期、「ナイスボール」で1991年上半期、「青空」で同年下半期、「量子のベルカント」で1992年上半期、「分界線」で1993年上半期と、5回芥川賞候補となる。他の作品に、『台湾聖母』(コールサック社)、『トキオ・ウイルス』(ハルキ文庫)、『「君が代少年」を探して――台湾人と日本語教育』(平凡社新書)、『ハンスの林檎』(潮出版社)、コミック脚本『笑顔の挑戦』『愛が聴こえる』(第三文明社)など。