連載エッセー「本の楽園」 第90回 地球を見る

作家
村上政彦

 アポロ11号が月面に着陸したのは1969年の夏のことだった。僕の記憶には、我が家の映りの悪いモノクロのTVの、アームストロング船長が、宇宙船を降りて月面に降り立った映像が残っている。
 人類初めて月に立つ――とメディアや大人たちは騒いでいたが、僕はまだ子供のことだから、それほど深い感慨を持ったとはおもえない。「へー、これが月の表面か」とか、「宇宙服ってけっこう重そうだな」とか、おそらくそんな幼稚な感想だっただろう。
 もう少し成長して、宇宙の起源だとか、太陽系や銀河系の大きさだとか、そんなことに興味が及ぶようになると、少しばかり宇宙というものの存在が分かり始めてきた。
 僕は同級生の影響もあって、「天××」と呼ばれる天文好きになった。天文雑誌を開いては宝石をばらまいたような星野(せいや)写真(※1)に眺め入り、その美しさに魅入られた。天体望遠鏡のカタログを取り寄せてどこのメーカーがいいのか選び迷っていたのもこのころのことだ。
 ところが、確か20歳ぐらいだったか、喫茶店でコーヒーを飲んでいたら、不意に銀河系の端から端までが10万光年もあることが思い浮かび、何だか暗黒の宇宙空間に独り漂っているような感覚に陥って、幽かな不安をおぼえた。
 足が地につかない。ずっと浮かんでいる。時間も空間も感じない。ただ、ひたすらの漆黒の闇――それは想像するだけで恐ろしかった。宇宙のことを考えて、そんなふうになったのは初めてだった。その感覚はやがて消えたが、僕のなかには、光があれば闇がある、という単純な真理が残った。
 地球の写真を見たのは、いつのころだったか。青いマーブルの輝きは、どんな星野写真にも劣らなかった。
『地球/母なる星』(小学館)は、宇宙飛行士が撮影した地球(と月)の写真、そして彼らが宇宙で体験した出来事の証言からなる。
 紀元前250年にギリシャのエラトステネスが、計算上では地球は円いという結論を導いた。しかし、誰も見たことはなかった。1519年から22年にかけて、ポルトガルのマゼランの艦隊が世界を周って、地球が円いことはだんだん実感できるようになった。しかし、やはり誰も見たことがなかった。
 20世紀になって、とうとう人は円い地球を見た。「太平洋のまん中に逆巻く雲」や「イタリヤの長靴が地中海に突き出ているさま」や「カリブ海の鮮やかなブルーのサンゴ礁が星と美しさを競う」のを眺めた。

太平洋から大西洋までアメリカ大陸全体が、信じられないほど強い太陽光線で、ほんの一瞬パッと照らし出される

沼地や戻り水をあちこちにちりばめた鏡のようなアマゾン盆地が、まるで大陸の目のように小さい、親しげにウインクするように見える

赤みがかったサハラ砂漠、黄色っぽい中央アジアの砂漠、サファイアのように青い大洋

 宇宙から眺める地球は、やさしい。繊細だ。綿のように雲が浮き、くっきりと山脈が際立ち、糸をくねらせたように河岸線が伸びる。大陸の周りにたっぷりの青い水が満ちる。本当の地球を知るためには、外から見ないといけない。外から見ることで、地球の内面が分かる。
 これらの写真を見ていると、地球が「こころ」を持った、一つの生命体であると感じる。宇宙飛行士たちは、誰もが特別な体験をしたと語るが、それは地球の「こころ」に触れることである。
 スーダンを撮影した写真が印象的だ。国土が集積回路のように微細に区切られ、中身がぎっしり詰まっている。道路や建物だろう。これは恐らく、人が暮らしているところだ。この写真を眺めていると、人が地球に「間借り」して生きていることが実感できる。土地は人の所有物ではない。土地は地球のものなのだ。
 外から見るとき、主語は地球だ。人間はその他大勢の生物のひとつに過ぎない。しかしそれが自然ではないのか。人新世(※2)などと驕っているのは人間だけではないのか。

最初の一日か二日は、みんなが自分の国を指していた。三日め、四日めは、それぞれ自分の大陸を指さした。五日めには、私たちの念頭にはたった一つの地球しかなかった

 宇宙飛行士たちは、宇宙での滞在中に、地球人へのプロセスをたどっていく。

ある朝、目を覚まして窓の外をながめた。私たちはアメリカ大陸の上空を飛んでいた。雪が見えたのはそのときだ。宇宙からはじめて見る雪だった。軽やかにさらさらと、雪は土地の輪郭や川の流れをぼかしていた。私は考えた。晩秋、そして雪。人々は忙しく冬の準備をしているのだろう。数分後、私たちは大西洋上に出た。続いてヨーロッパ、ソ連の上空を飛んでいた。私はアメリカに行ったことはない。しかし、アメリカでも秋や冬がやってくることは変わるまい。そして冬支度もおなじようなものだろう。そして、急にこう気がついた。われわれはみな同じ地球のこどもなのだ。どこの国であろうとそれは問題ではない。私たちはみな地球のこどもである。そして、地球はわれわれの母なのだ

 この地球の闇を消し去るために、世界中の子供たちに、この写真集を見せたい。

※1 「星野写真」(せいやしゃしん)…星空と風景を一緒に写した写真のこと。
※2 「人新世」(じんしんせい)…「Anthropocene」(アントロポセン)。地質時代の区分の一つ。人類の活動が地球の地質や生態系に重大な影響を与えるとして提唱された。

参考文献:
『地球/母なる星——宇宙飛行士が見た地球の荘厳と宇宙の神秘』(ケヴィン・W・ケリー企画・編集、竹内均監修/小学館)


むらかみ・まさひこ●作家。業界紙記者、学習塾経営などを経て、1987年、「純愛」で福武書店(現ベネッセ)主催・海燕新人文学賞を受賞し、作家生活に入る。日本文芸家協会会員。日本ペンクラブ会員。「ドライヴしない?」で1990年下半期、「ナイスボール」で1991年上半期、「青空」で同年下半期、「量子のベルカント」で1992年上半期、「分界線」で1993年上半期と、5回芥川賞候補となる。他の作品に、『台湾聖母』(コールサック社)、『トキオ・ウイルス』(ハルキ文庫)、『「君が代少年」を探して――台湾人と日本語教育』(平凡社新書)、『ハンスの林檎』(潮出版社)、コミック脚本『笑顔の挑戦』『愛が聴こえる』(第三文明社)など。