近藤誠医師の「がん放置療法」を斬る

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『患者よ、がんと闘うな』『がん治療で殺されない七つの秘訣』などベストセラーを連発する近藤誠医師の主張は、果たして医学的と言えるのか。現役の内科医が近藤氏のうそを暴く。

暴論「がんは放置せよ」

 近藤誠医師(元・慶應義塾大学医学部専任講師)が書いた著書『抗がん剤は効かない』『医者に殺されない47の心得』などが、ベストセラーとして注目されています。近藤医師はがんの3大療法(外科手術・化学療法・放射線療法)は、多くの場合必要がないと考え、「がんは放置せよ」と主張していますが、その主張には、医学的に見て、多くの誤りがあります。
 近藤医師の主張で最も有名なのは「がんもどき」理論でしょう。「がんもどき」理論とは、すべてのがんが、見つけたときにはあちこちに転移している「本物のがん」か、ずっと放置しても転移が生じない「がんもどき」のどちらかに属するとする主張です。転移すると手術や抗がん剤でがんを根絶するのは困難ですし、一方、放置しても転移どころか何も自覚症状が生じないがんがあることも事実です。
 問題なのは、「本物のがん」と「がんもどき」の間の「中間のがん」がないと言っていることです。早期発見・早期治療すれば命が助かるがんもあるわけですが、近藤医師はそのようながんについてまでも「放置しておけばいい」と主張してきました。
 がんと診断されたにもかかわらず、増悪も進行もせず自覚症状が出ない方もなかにはいます。極めて稀ではありますが、がん組織が自然に消えてしまう例もないわけではありません。だからといって、治療対象と診断されたがんを放置することがよいとはとても言えないのです。
 20年前の抗がん剤治療は進歩の途中だったため、近藤医師が言うようにあまり治療効果がなく、患者の体力ばかりを奪う例もありました。しかし現在の医療は20年前とは比べものにならないほど進歩し、抗がん剤の種類は増え、副作用を軽減する対策も進んでいます。
 立って歩いて外来診療に来られず、体力が著しく弱った患者には、今では抗がん剤治療はやりません。末期がんの患者ともなると緩和ケアに努め、患者に無理を強いる治療はしないように医療のやり方は変わっているのです。
 放射線治療にしても、患部だけにピンポイントで放射線を当てられる高精度の治療装置が開発されました。がん治療の精度は高まっているにもかかわらず、近藤医師の主張は医学の進歩がまるでなかったかのようです。

医学論文の曲解とデータの混在

 1980年代、近藤医師は腫瘍部分を切除したあとに残った乳房に放射線をかける「乳房温存療法」を積極的に取り入れました。1983年には近藤医師のお姉さまが乳がんになり、外科手術と放射線治療を受けています。
 今は乳がんへの放射線治療すらやめたほうがいいと言っているのですから、近藤医師の主張はむしろあのころよりも後退しています。医療の進歩をまったく無視し、自分の説にかたくなに固執しているのです。
 近藤医師の論拠には、重大な問題があります。たとえば2014年6月29日放送のBSフジの番組「ニッポンの選択」で、近藤医師は「乳がんは放置したほうが長生きする」ことを示すデータをパネルで示しました。
 やや専門的になりますが、このグラフ(図参照)では、①抗がん剤を使わなかったケース、②抗がん剤多剤併用群、③抗がん剤(ドセタキセル)の乗り換え治療群、という3つの生存曲線を示しています。nyugan
 生存曲線は3種類あるにもかかわらず、出典は1つしか明記されていませんでした。不審に思って調べてみると、BSフジの番組で示された出典は間違っており、しかも元の論文に書いてある論旨をあべこべに曲解しているのです。
 1962年に書かれた論文①の原本を読むと、50年前にも「乳がんを手術するべきかどうか」という論争があったことがわかります。乳がんを放置すると、5年で生存率は20%になる。10年たてばほとんど皆亡くなってしまう。つまり「乳がんを放置すれば人は死ぬ。だから手術したほうがいい」という論文なのです。ところが近藤医師は、この論文を「乳がんを放置せよ」という主張に援用しました。
 3つの生存曲線を見ると、一見②③よりも①のほうが長生きしているように思えるのですが、そうではありません。②③の生存率が①より悪いのは当たり前です。治療を繰り返して標準的な抗がん剤が効かなくなった人たちについてのデータを、進行度の低い症例も混じっている①と比較するべきではありません。
 著作を拝見すると、近藤医師は医学界の論文をたくさんお読みになっているようです。データの見方など、彼は当然理解しているでしょう。一緒に混ぜて論じるべきではない異なるデータを、ごちゃ混ぜにして論じてしまう。「近藤誠医師の言うことはインチキだ」と言われても仕方ありません。

セカンドオピニオンと標準治療で適切な対策を

 近藤医師の誤りは、私たち専門家が見ればすぐにわかります。医学の専門知識がない人が彼の主張を聞けば納得してしまうかもしれません。「慶應義塾大学医学部専任講師」という肩書があるのでなおさらです。表現の自由、出版の自由がありますから、近藤医師の本を出版差し止めにするわけにもいきません。
 2009年、助産師から、ビタミンKの代わりにホメオパシー(※1)の錠剤を与えられた乳児がビタミンK欠乏症で亡くなりました。お母さんはこれに泣き寝入りせず、訴訟を起こしています(裁判で和解が成立)。
 それ以来、少なくともビタミンK欠乏症関連では同様の被害者は出ていません。近藤医師についても、被害者が集団民事訴訟を起こせば状況が変わる可能性はあります。「がんは放置せよ」と言うだけで医学的な根拠を示さないのであれば、免許を持った医師として説明義務違反だと見なされる可能性があります。
 がんの治療法に不安や疑問を感じる人は、主治医とは別の医師にセカンドオピニオンを受けてみるのがいちばんよい方法です。日本に約30万人いる医師のなかに、いわゆる「ヤブ医者」がいないわけではありません。ただし、ごく少数です。たまたま運悪くそのような医師に当たってしまったとしても、セカンドオピニオンを受ければ前者のおかしさはわかります。飛び抜けた名医の治療をというわけにはなかなかいきませんが、国家試験を通過した平均的な医師の治療を受けることはできます。
 日本では国民皆保険制度が整備され、医療へのアクセスは保障されています。普通の平均的な医師による診断を受け、医学界の常識に基づいて適切な標準治療を受ける。そうすれば、書店で山積みされているセンセーショナル(扇情的)な医療本に頼るよりも、よほど効果的ながん治療が進みます。
 つい最近、群馬大学医学部附属病院でとんでもない事件が起きました。腹腔鏡を使った不適切な肝臓切除手術によって、1人の外科医師が8人もの患者を死亡させてしまったのです。このようなとんでもない医師は全体から見ればごく稀であって、普通の病院に出かければ、どこでも普通の医師に出会えます。
 繰り返しになりますが、日本ではがん治療のために人とは違った特別なことをやる必要はありません。まずは自分の主治医に相談し、丁寧に話を聞く。不安があるならば、別の医師にセカンドオピニオンを受けてみる。近藤医師のようなニセ科学、ニセ医学に騙されないために、私たちが心がけるべきことは決して難しくはないのです。

※1「ホメオパシー」 200年前にドイツで発祥した民間療法

<月刊誌『第三文明』2015年6月号より転載>

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内科医NATROM●医学部を卒業後、大学病院勤務、大学院などを経て、現在は某市中病院に勤務。診療のかたわらインターネット上で「科学」と「ニセ科学」についての情報を発信している。著書『「ニセ医学」に騙されないために』(メタモル出版)。 ブログ「内科医NATROMの日記」 ウェブサイト「進化論と創造論~科学と似非科学の違い~」