2代で築いた流派の基礎

戦後まもなく亡くなった上地完文翁(写真左)と、二代目宗家の上地完英(写真右、66歳のころ)
このとき最期の地・伊江島から名護市の実家まで亡骸を小舟に乗せて運んだ一人が、新城清秀(しんじょう・きよひで 1951-)の祖父・新城清良(しんじょう・せいりょう 1908-1976)である。
清良は和歌山の紡績工場時代に完文に師事し、またその子・清優 (しんゆう 清秀の父 1929-)も、10歳で上地流空手に入門。戦後完文が帰郷するのに同行した。清秀自身も10歳で空手を始めた、いわば3代つづく空手一家だ。 続きを読む