本当の復興を目指して――内部被曝問題の次なる課題

医師
坪倉正治

 東日本大震災発生から3年。放射線問題に揺れた被災地は、別の問題に直面している。解決への決め手がないなか、それでも目の前の出来事と格闘し続ける人々がいる。震災直後から福島県南相馬市に入り、医師として支援を続ける坪倉正治氏に話を聞いた。

一医療者として福島に入る

 震災の当日は、東京で診療をしていました。ただごとではない大きな揺れに、関西出身の私は、中学生のころに経験した阪神・淡路大震災を思い出しました。
 被災状況が明らかになるにつれ、医師として何か手伝えないかと考えたのですが、当時所属していた病院の雇用体系では、派遣要請に応じられませんでした。ちょうど翌月から、東京大学の医学研究科に戻ることになっており、所属研究室の上司から「南相馬に行ってみたらどうか」と誘われたのが、福島に来たきっかけです。
 4月10日、自分の車で南相馬市に入りました。南相馬市は、福島第1原子力発電所から約23Kmの位置にあります(2011年4月22日~9月30日まで、半径20Kmから30Km圏内の地区に設定された「緊急時避難準備区域」に入る)。地震や津波による被害も大変なものでしたが、先行きのわからない放射能問題も重なって、混乱を極めていました。
 ひとまず状況を把握しようと市役所に行ったときに、偶然出会ったのが、南相馬市立総合病院の副院長でした。何が困っているのかを尋ねると、「とにかく医師が足りない」と。震災前に14人いた医師が、4人に減ってしまったということで、そのまま市内各地の避難所を回って、診療を手伝うようになりました。

誰かが「冷静な話」をしなければ

 当初直面したのは、ごくごく日常的な医療行為ができないという現実でした。高血圧や糖尿病などの慢性的な生活習慣病の薬が足りない、避難所生活で神経がすり減って眠れない方に処方する睡眠薬が足りない、そもそも血圧を測る人も足りない……。
 私は血液内科の医師ですが、専門がどうとかいっている場合ではなく、目の前の患者さんが少しでも楽になってくれるように対応することで、手いっぱいでした。
 一方で、放射線のことが気にかからなかったと言えばうそになります。そこで、自分で空間線量から推定される外部被曝量を計算すると、南相馬市で1年過ごしてもCTスキャン検査1回分の被曝量にもならないことがわかりました。
 震災直後の混乱が収まってきた5月ごろになって、残っている住民の放射線リスク、とりわけ子どもたちへの影響をきちんと評価する必要性を、ようやく口にできるようになりました。
 公式発表の遅れなどから日本全体が放射能汚染に疑心暗鬼になっているとき、緊急時避難準備区域に指定された場所に住まう方々の心情は、察して余りあるものがあります。だからこそ、何が問題で、何が問題ではないのか、リスクがあるとすれば、どうすれば最小限に減らしていくことができるのかという話を、誰かが冷静に語っていかなければ、と感じていました。住民の健康を守るためには、そこがスタート地点だからです。
 当初は、震災前から残っていた線量計を持って市内の学校などを巡り、線量地図を作っていたのですが、それだけでは、実際に人の体がどれだけ影響を受けたかはわかりません。
 7月に、体内に残留するセシウムを測定するホールボディーカウンター(WBC)が導入され、ここから内部被曝の実態がわかるようになりました。私自身、WBCに触れるのは初めてでしたが、震災前から導入されていた施設で検査の対処法を教わり、ごく自然な流れで内部被曝調査に関わるようになりました。

予想以上に低い内部被曝量 

 WBCの計測がスタートすると、予約が殺到しました。南相馬市には、最終的に合計3台のWBCが入ったのですが、当初はフル稼働で1日110人ほどの検査をし、さらに半年先まで予約でいっぱいという状況でした。
 ここで徐々にわかってきたのが、南相馬市における内部被曝量は、予想以上に低かったということです。1960年代の太平洋上の核実験によって日本全体に広がった汚染と比べても程度は軽く、チェルノブイリ事故後の87年のヨーロッパの国々と比べても、低いレベルだったのです。

内部被曝量を測定するWBC=ホールボディーカウンター(南相馬市立総合病院)

内部被曝量を測定するWBC=ホールボディーカウンター(南相馬市立総合病院)


 また、福島の食品が危ないという風評被害が出たのは記憶に新しいところかもしれませんが、福島産だから危ないのではなく、キノコや山菜など一部の食品にのみセシウムがたまっていることも明らかになりました。これは、土の表面で電気的に結合するセシウムの性質によるものです。
 逆に言えば、そうしたリスク要因を外しさえすれば、福島産の食材を食べても基本的に問題はありません。もちろん、継続的な検査は必要ですが、福島産であるというだけでナーバスになる必要はないのです。
 ところが、「内部被曝の心配はない」という事実は、思いのほか浸透していきません。住民にアンケートをとると、原発事故から間もなく3年がたとうとする現在でも7~8割の人が「産地を選んで購入する」と答えています。生まれ育った土地への信頼感が、足元からぐらついているのです。
 私たちは地元住民を対象に、セシウムの残留状況や内部被曝に関する車座の説明会を100回以上開いてきました。意識を変えてもらうには時間がかかるでしょうが、このような講座は、今後も継続していきたいと考えています。

子どもたちの尊厳を守るために

 未来を担う子どもたちへの影響も考慮していかねばなりません。小・中学校では放射線教育が指導要領に組み込まれるようになりましたが、放射線への理解度が高まる時期であろう高校には、それがないのです。私たちが高校生を対象に行ったアンケートでは、100人中数人が「自分は子どもが産めないかもしれない」と答えています。
 土地への否定は、自分の生きてきた過程への否定につながり、さらに自分の体への否定を生み出しているのかもしれません。そうした根本的な尊厳の喪失を、周りの大人がどうリカバーしていくか。これは、教育上の重要な課題です。
 私たち医療者にできることは限られています。それでも、科学的根拠のあるデータを示して、必要のない負い目を持たないように伝えていくことは、これから彼らが社会に出て、無知ゆえの偏見にさらされた場合の防御壁になりえるでしょう。検査データの積み重ねが、自分を守ってくれる盾になるかもしれないのです。
 以前、妊娠中の女性が外来に来て、子どもを産むことへの不安を口にされました。その後、「放射線量は問題ないと教えてもらったおかげで、無事に産むことができました」と報告に来てくれたときは、本当にうれしかったものです。
 高校生たちが将来、胸を張って母親になれるように、医師の立場から放射線教育に少しでも関わっていけたらと思っています。

思いやりあるコミュニティーを

 今、南相馬市では、ほかにいくつもの問題が表面化しています。放射線に関する意見対立がきっかけで、家庭内に不和が起こり、別居したままの方。家業である農業ができなくなってしまった、あるいは仮設住宅住まいを余儀なくされたことで、引きこもり状態になってしまう中年男性も後を絶ちません。そして押し寄せる高齢化の波……。
 南相馬の精神病院は満床なのですが、よくいわれるような、うつやアルコール依存の患者さんが急増したわけではなく、認知症老人の肺炎が圧倒的に多いのです。これまで介護を担ってきた人が市外に出てしまったために、マンパワーが不足、老老介護の果てに入院……というケースです。
 原発の補償金の関係で、「内部被曝量が少ない」と公表されたら迷惑だ、と怒られることもあります。
 このように、きっかけは放射線であっても、もともと内在していたほころびが、コミュニティーの崩壊を境に噴出してしまっているのが現状です。ある意味、日本の社会に数年後、あるいは十数年後訪れるとされる問題を先取りしているともいえます。
 そして、セーフティーネットから外れてしまった人々、この3年間のひずみから生まれる声なき声に応えるシステムは、まだ機能していません。
 だからこそ「放射線は問題ない」ということで、山積する問題が消されてしまうことには強い危惧があります。
 震災から時間が経過し、内部被曝検査が学校検診としてシステム化されるなど、インフラの整備は少しずつ進んでいますが、ハコやお金による解決ではなく、人が育ち、思いやりを持って生きていけるコミュニティーが復活することこそ大切なのではないでしょうか。
 住んでいる人々が普通に幸せに暮らしていける日がなるべく早く来ること、本当の復興を願ってやみません。

<月刊誌『第三文明』2014年4月号より転載>


つぼくら・まさはる●2006年、東京大学医学部卒。医師。専門は血液内科。東京大学医科学研究所で研究員として勤務するかたわら、南相馬市立総合病院などで非常勤医として勤めている。週の半分は、福島で医療支援に従事。原発事故による内部被曝を心配する被災者の相談にも応じている。