無二の親友との思い出
彼がいなかったら(空手を)始めていなかったかもしれないですね。
田島一雄・教士8段がそう回想するのはすでに紹介した松林流宗家2代目、長嶺高兆(ながみね・たかよし 1945-2012)との出会いだ。
中学卒業後、高校受験で浪人した際、「補習学級」(予備校のようなもの)で一緒になった。高兆は父親と同じ那覇商業高校にいったん入学したものの途中で辞め、那覇高校を受験したが失敗し、2浪の最中だった。その後、2人は新生高校となる県立小禄(おろく)高校の1期生として入学する。高兆は学校で空手クラブを創部し、田島氏はそこには入らなかったものの、高兆の父・将真の運営する長嶺空手道場に入門した。
浪人時代に一緒に行動するなかで、街でしばしば高兆が喧嘩する姿を傍らで見てきた。
そのころから非常にやんちゃでした。我々何人か男友達を引き連れて、ちょっと変な奴がいたらすぐに喧嘩をしかける。彼はまったく動じない。度胸がありました。レンガ造りの古い建物があったら〝試し割り〟と称してレンガブロックを蹴って柱を崩すこともありました。そうした破壊力をまざまざと見せられて魅了され、私も空手をやってみる気になったのです。
田島氏は、高兆は組手が強かったと述懐する。 続きを読む